96.戦争と分裂

二〇〇三年の後半以降、教団にあったのは骨肉の争いだった。「尊師の教団を上祐教にするのか」という信仰の根幹にかかわる問題だったので、代表派(上祐派)と反代表派の戦いは容赦のないものになった。ステージの高い順番に、まず正大師たちが対立し、争い、分裂し、次に正悟師そして師、サマナ、信徒という順番で対立し、分裂していった。それはまるで正大師が見たヴィジョンの「乳海攪拌」神話のように、教団を深部から激しくかき混ぜ、引き裂いていった。
まず、師から声が上がった。
「マイトレーヤ正大師はおかしい!」
「魔境だ!」
幹部の不祥事が発覚したこともあり、正大師は一旦改革を断念して、烏山の自室で長期のリトリート修行に入ることになった。(*)
反代表派のなかで、重要な役割を果たしたのが荒木君だった。正大師を批判する小さな会合を粘り強く繰り返したのだ。彼の背景には、教団の外から影響を与えている教祖の家族の存在があるといわれていた。下のステージの者が最高位の正大師を批判するのは、そんな後ろ盾でもなければできないことだろう。
荒木君の執拗ともいえる正大師批判は、私には宗教観の違いというより、一つの運命(カルマ)のように感じられた。マイトレーヤ正大師は、九二年に出家してオウムの非合法活動をまったく知らなかった荒木君を、広報部の顔という抜き差しならない立場に立たせた。さまざまなメディアに数年間露出したことは、荒木君の人生を決定的にしたと思う。正大師自らが教祖から離脱する方向へと歩み出そうとすれば、裏切り者の烙印を押され排斥されるのは当然の運命かもしれない。

長い年月信仰をともにしてきた修行者仲間が、翌日には敵になり反目し非難し合う。そんな愛憎劇が、あちらでもこちらでも起こっていた。私は正大師の宗教観はよく理解できたのだが、集団で行く神社参りやパワースポット巡りには興味がなかった。
この時期マイトレーヤ正大師はたしかに少しおかしかったと思う。烏山に住んでいる師は、正大師がなにか思いつくたびに、昼夜関係なく頻繁にミーティングに呼び出された。また、夜中に電話をかけてきては、考えていることをずーっとしゃべり続けることがよくあった。最初は私も「ええ、そうですね」「たしかに」と受け応えをしていたが、正大師は自論を一方的に延々と話し続けているだけで、こちらの返答を求めているわけではないのだなと思った。しまいには受話器を持っている腕が疲れて耳から離していたが、それでも受話器からは「日本とオウムのパラレル理論」という正大師の自説がとうとうと流れていた。さすがのマイトレーヤ正大師も、社会との軋轢と教団内部からの激しい突き上げで、どこかのネジが巻き切れてしまったのかもしれない。
「深夜の突然のミーティングと、電話でエンドレスな話をするのはやめてほしいなぁ…」と、私は思っていた。

結局、マイトレーヤ正大師はリトリート修行を中断して出てきた。それからは派閥のメンバーを従えて自由に活動するようになったので、分裂はさらに加速していった。
「この分裂騒ぎが、これまで信じてついてきてくれた信徒さんにまでおよんだら、教団は終わりだ。いくらなんでもそれはないだろう」
派閥間の激しい対立を見ながら私はそう思っていた。しかし、それは楽観的すぎた。最後には、全国各支部で代表派と反代表派との信徒の奪い合いがくりひろげられた。これまで教団を支え、信じてついてきた信徒の争奪戦――あまりにも醜いありさまに、私は「オウムは本当に終わったんだな…」と思うと同時に、この争いで決して癒されない傷をみんなが負った気がした。
「真理」を追求する仲間だと思っていたのに、事件から十年たってふたを開けてみたらまったく違うものを信じていたことが明らかになった。これほどまでに違う弟子たちを、教祖はいったいどうやって一つにまとめていたのだろう? と、不思議に思うほどだった。


(*)マイトレーヤ正大師のシャクティーパットは、オウム真理教時代十分間で五万円のお布施だった。アレフでは五分間一五〇万円。十分間三〇〇万円としておこなわれた。三億円以上を集めたとされるこのシャクティーパットの結果、正大師は多大なカルマを受けて魔境に入ったというのが、反代表派の正大師観だった。




2015年10月17日

コメント

私も、この分裂騒動が決定的な辞めるきっかけとなりましたが、なんだか残念でしたね(´・_・`) アレフに上祐さんがいて、社会とのバランスがとれるかな、と思っていたんですが、なんか極端な方向に行ってしまった感じ💦
  • | 2015-10-18 | おざあい URL [ 編集 ]

感想

ここまで読んできて、克明に記録されている事象の数々、それらを可能ならしめた記憶力に敬服します。もちろん文章も読みやすいです。貴重な記録だと思います。と同時に、あと少しで連載が終わってしまうのかと思うと残念です。番外編にも期待しますが、何らかの形での発信を継続していただきたいです。後継団体の現状や世の中批評でも結構です。ご自身の現状なども伺えればうれしいです。
  • | 2015-10-18 | 匿名 URL [ 編集 ]

No title

仮にも救済を説くのならば、教義だ、教祖だということより大事なのは、一人一人が相手のことを思いやれる人間になること、それが宗教がのもっとも大事な部分だと思うのですが、麻原さんの教えにはそういうことが皆無だったのですね。
相手を思いやるなら、深夜の長電話や会合したら相手はどう感じるか、と考えるでしょうから
  • | 2015-10-18 | シルバーストーン URL [ 編集 ]

No title

>どこかのネジが巻き切れてしまった
(笑)
>まったく違うものを信じていた
これは麻原がいたときからそうだと思うけど。

  • | 2015-10-18 | 元R師 URL [ 編集 ]

No title

終了したら、一冊の本にまとめてほしいですね。
  • | 2015-10-18 | moto URL [ 編集 ]

まつまたくちがうものを信じていたとはどう言うことでしょうか?
元オウムの方は理解でているのかもしれませんが、凡夫なのでわかりません
  • | 2015-10-18 | No name URL [ 編集 ]

違うものを信じていた

教祖がいた頃からそうだった、という元R師のコメントのとおりだろうと思います。
解脱や悟りに集中していた人、ハルマゲドンに熱狂していた人、救済にロマンを感じていた人、仏教的な理想社会を求めていた人、単純に成就という神秘的なことや成就者にあこがれていた人、来世のためにと思っていた人、そして、教祖という存在が好きだった人――このようにサマナがオウムに期待していたものは実は多様でした。
オウムに求めていたもの、信じていたものが多様だったということです。それを一つにまとめていた教祖には、そういう多様性・多重性、いわば幅がありました。
教祖がいたときは、それでもまとまって同じものを信じているという感じがしました。それは、「尊師を信じている」ということでまとまっていたのですが、教祖がいなくなってから、上祐さんが再びまとめあげようとしたらダメでした。みんなかなり違うものを信じていたんだねぇ…と思ったのです。
  • | 2015-10-20 | 元TD URL [ 編集 ]

回答ありがちございました。
確かに、原始仏教やヨーガ、陰謀論含めての多様性ですね。
  • | 2015-10-20 | 向煩悩破戒凡夫 URL [ 編集 ]

Re: 感想

> ここまで読んできて、克明に記録されている事象の数々、それらを可能ならしめた記憶力に敬服します。もちろん文章も読みやすいです。貴重な記録だと思います。と同時に、あと少しで連載が終わってしまうのかと思うと残念です。番外編にも期待しますが、何らかの形での発信を継続していただきたいです。後継団体の現状や世の中批評でも結構です。ご自身の現状なども伺えればうれしいです。

感想をありがとうございます。とてもうれしかったです。
記憶力をほめられてびっくりしました。ナルコのせいか二、三年あった道場活動時代のことはあまり書けませんでした。
脱会するまであと少しですが、脱会届を出せば終わりというわけでもありません。
番外編もありますので、読んでくださればうれしいです。

  • | 2015-10-20 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> 仮にも救済を説くのならば、教義だ、教祖だということより大事なのは、一人一人が相手のことを思いやれる人間になること、それが宗教がのもっとも大事な部分だと思うのですが、麻原さんの教えにはそういうことが皆無だったのですね。

こんばんは。コメントありがとうございます。
たしかにオウムでは、教義だ、教祖だと言うことは多かったですが、一人一人をしっかり見て、思いやるということが少なかったかもしれませんね。
ただ、教祖はよく弟子を見て、弟子のことを考えていたと思います。これは私個人の印象ですが。
  • | 2015-10-20 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

>一人一人をしっかり見て、思いやるということが少なかったかもしれませんね。

あの教団にあっては、まさにその通りかと思います。
ただ、在家の者にあっては、教祖は更に更に遠い存在でしたよ。サクラー正悟師やウッパラバンナー正悟師、彼女らからの指導と道場での加行を頼りに修行を進めていたのが実際。自分などは教祖との縁は薄いのかもしれませんけれどね。教祖が大事にしていたのは成就した弟子方、、それはそれで結構なのですが、当時は物足りなさを感じていたのも事実です。今となっては、それが良かったのか悪かったのかは分かりません。現実を受け入れるしかないのでしょう。元TD師が、今も教祖を高く評価しているのは直に接していたことと、元TD師ご自身の教祖とのご縁かなと思います。私個人は、元TD師のお兄さんと縁があったように感じます。お元気なのでしょうか。この場を借りまして、インド旅行の際にお世話になったことを感謝いたします。
  • | 2015-10-20 | 匿名 URL [ 編集 ]

No title

>私個人は、元TD師のお兄さんと縁があったように感じます。お元気なのでしょうか。この場を借りまして、インド旅行の際にお世話になったことを感謝いたします。

先ほど兄が来ましたので、コメントを読んでもらいました。
「だれだろう? ぜひお名前をご連絡ください」とのことでした。
いつものとおり元気でした(笑)
(よろしかったらプロフィールにアドレスがあります。)
  • | 2015-11-01 | 元TD URL [ 編集 ]

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