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78.地獄に堕ちる

三月二十二日早朝、第六サティアンの広い敷地に大きな黒い固まりのような軍隊が押し寄せてきた。ジュラルミンの盾を持って、ヘルメットとガスマスクをつけ、迷彩服に身を包んだ大勢の男たちの一群は軍隊にしか見えなかった。
頭上には何機ものヘリコプターが音をたてて飛んでいた。
「これは強制捜査なんかじゃない…本当に戦いのときがきたんだ。これは戦争なんだ…」
世紀末の予言に半信半疑だった私でさえ、「とうとうそのときがきたのか…」と気持ちが高ぶって、目の前の出来事が現実なのか幻なのか一瞬わからなくなった。軍隊に見えたのは重装備の機動隊だった。それに相対しているのは、白い木綿のうすっぺらなサマナ服の上に汚れた白いジャケットをはおり、履き古した運動靴や安物のビニールサンダルを素足につっかけた頼りない身なりのサマナたちだった。
私は目の前に広がる信じられない光景を呆然と見ていた。

第六サティアンの入り口のドアを機動隊が数人がかりでバールでこじ開けようとしていた。
「宗教弾圧だ!」「宗教弾圧をやめろ!」と叫ぶ者。
「支配流転双生児天(しはいるてんそうせいじてん)の裁きによって地獄に堕ちるぞ!」
多くのサマナはそう叫んで抵抗をあらわしていた。それは前もって教祖から、強制捜査に対してはいつものとおり非暴力で対応し、真理の団体を弾圧することは、死後、支配流転双生児天(閻魔天)で裁かれ地獄に堕ちる、という意味の言葉を相手に叫ぶよう通達があったからだ。
「支配流転双生児天の裁きによって地獄に堕ちるぞ!」
「支配流転双生児天の裁きによって地獄に堕ちるぞ!」
サティアンの窓から身を乗り出し、声をふりしぼって口々に叫んでいる仲間たちを見て、私は思わず「これは戦争なんだよ!」と言いたくなった。
相手に意味がわからない言葉をいくら叫んでも、戦いにならないじゃないかと思った。

第六サティアンの敷地いっぱいに対峙していたサマナと機動隊のあいだでは、あちらこちらで「やめろよ!」「なんだよ!」と怒声が上がりこぜり合いになっていた。
サティアンの入り口がこじ開けられないとわかると、機動隊は電気のこぎりで金属性のドアを切り裂きはじめた。金属を切るかん高いのこぎりの音と飛び散る火花に触発されたように、機動隊とサマナの緊張は一気にたかまった。私は写真を撮ることなんてすっかり忘れていた。何本かのビニールホースを上に向けて放水していたサマナが、放水角度を徐々に下げてジュラルミンの盾を持った最前列の機動隊員に向かって正面から放水攻撃をしようとしていた。私たちには水の出るホースくらいしか武器となるものはなかった。異様な緊張が広がるなかで興奮を抑えられない何人かのサマナがはやし立てた。
「やれー、やれー」
そこへ一人の男性サマナが声をあげて走ってきた。
「やめろ! やめろ!」
機動隊に放水しようとするサマナと、まわりではやし立てるサマナの間を走って、彼は強いはっきりとした口調で「やめろ!」と言って止めた。
「はっ」と私も我に返った。
興奮したサマナを落ち着かせようとする姿を見て、「こんなときに冷静な人だな」と思った。もしそのとき水で攻撃していたら、機動隊は一気に押し寄せてきてけが人も出ただろう。今考えてみると、あの状況のなかで機動隊の侵入に冷静でいられたサマナは、オウムの非合法な活動を薄々知っていたのかもしれない。なにも知らない多くのサマナは、国家権力によるいわれのない弾圧によって、オウムの第六サティアンという聖域が土足で踏みにじられる痛みを感じていた。
「私たちはなにも悪いことはしていないのに…」
第六サティアンの扉が破られ捜査官たちは一気になかへ押し入っていった。
そして、この日を境に地獄に堕ちていったのは「地獄に堕ちるぞ!」と叫んでいた私たちの方だった――。

第六サティアン内部の捜索は日没まで続いた。そこには教祖の自宅スペースもあり、教祖もご家族も不在だったがもちろん例外なくすべて捜索された。
ほとんどのサマナは入ったことがないその場所で、私は立会人の一人として捜索に立ち会った。大勢の捜査官はなにもかもひっくり返して、私は最初こそ抗議したがそのうちあきらめてただ立ち会って見ていた。強制捜査が終わりに近づいて捜査官もまばらになり、あたりは嵐が過ぎ去ったあとのようだった。質素なダイニングテーブルやカラーボックスが置かれたなんの調度品もない教祖宅のリビングで、私はリビングの隣の十畳ほどの教祖の部屋をなにか問題はないかと思ってのぞいてみた。
そこはガランとしてもっとなにもなかった。
小ぶりの一人用のソファーが一つ、事務所で使うような電話機が一台、竹刀が一本畳のうえに転がっていた。竹刀は自分の足を激しくたたいてカルマを落とすために使われるものだ。窓にかけられているのはサマナのいる道場と同じ濃い青色のカーテンだった。
これが「尊師の部屋」だった。
「ああ、ほんとになんにもないなあ…」
私は教祖を思った。教祖が身につけるものはサマナと同じパンツとTシャツとクルタとサンダルだった。

このあと青山道場で緊急対策本部(広報部)に所属した私は、洪水のようなオウム報道を見ることになった。教祖が贅沢だったという報道はたくさんあり、「好物はメロンで、よく買いに走らせていた」などと番組レポーターが話していた。
信者から金をだましとり、私利私欲を肥やす教祖像というのがメディアのお気に入りだった。


2015年08月24日

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コメント

No title

なんだかまるでドラマの中の物語のように感じてしまいます。

贅沢な尊師、想像がつきません…
  • | 2015-08-25 | いつも拝読している者です URL [ 編集 ]

No title

まるで敗戦国だ。

警官と言う職業は、まともな神経では務まらないのかもね。
  • | 2015-08-25 | 元R師 URL [ 編集 ]

Re: No title

> なんだかまるでドラマの中の物語のように感じてしまいます。

現場にいましたからね。ドラマチックでした笑
いつも読んでくださってありがとうございます。
  • | 2015-08-25 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> まるで敗戦国だ。

そういえばそうだ笑
  • | 2015-08-25 | 元TD URL [ 編集 ]

報道

>信者から金をだましとり、私利私欲を肥やす教祖像というのがメディアのお気に入りだった。

メディアが突っ走ると、そういう扱いになるという典型的な例でしょう。型通りのストーリーが先行するという状況で、ある意味、怖い話でもあります。当時のメディアは、型通りのそれに当て嵌めていく作業しかしていなかった。その手の情報に接する時、確かに違和感以上のものを感じますね、嫌悪とまでは言えないですが。。事件が事件だったからでしょうか、そうした取り上げ方についての反省は求められなかったメディア、、特に民放系、雑誌、ともに面白おかしく取り上げてましたね。今もその手の情報が一般人の多くに刷り込まれているようです。

ただ、そうした型通りのストーリーを排除させた上で無いと、事件の本当の意味は見えてこないと思いますね。ただし、意味があるとすれば、ですが。。元TDさんのお陰で昔の色々なことを思い出してきましたが、そうしたメディアの扱い方に違和感があったとしても、一方、それでは教団の運営に問題がなかったのかと言うと、そうは言えないと思うのです。現時点では、有名幹部らの回顧録が定説として幅を利かせているように感じられますが、いろんな立場からの教団分析があっていいはずだと思います。口を閉ざしてしまったかのような元幹部方々の今後の出方にも、少なからず期待しています。
  • | 2015-08-26 | 匿名 URL [ 編集 ]

ならうよりなれろ

厳しい修行をしてると ほっといても真理に至ると思いました。
  • | 2015-08-27 | 三橋 URL [ 編集 ]

真理

厳しい修行=真理か?
これはお釈迦様が否定されたことではないかと思います。また、それとは別に、過酷な修行というのは、その実践者にむしろ慢心を生じさせかねない、、そうした懸念はないでしょうか。

グル一途だったオウムの教えの中にあっても、仏教の基本的な実践方法は説かれていたはず。オウムを離れたとしても、その種の仏教の教えは根拠の確かなものですし、使える教えだと思うのです。また、自燈明法灯明が大事だということも付け加えておきます。
  • | 2015-08-28 | 匿名 URL [ 編集 ]

サリン事件後は教団内部は本当にすごい状態でしたね。

当時、信徒だった私から見ても、まるで戦時下にあるような緊張状態が漂っていました。

歩けば警察や公安に真後ろにぴったりくっつかれますし、道場に行く時、またビラを配る時など、誹謗中傷、暴力とかもすごかったです。

包丁を持って道場に押しかけた人もいました。

道場にいても、道場に入る時、出る時も、何が起きるかわからない状態でしたね。

私は当時二十歳になるかならないかの学生で、世間知らずだったので、他人事のように状況を見ていたところがあります。

事件前に教祖の間近で世話をされていたサマナとは親しかったので、教祖の話はよく聞きました。

尊師布施でしたか、教祖が直に受け取られ、教祖自身使っていただける布施です。

教祖がこれを受け取ったのは良いとしても、実際使うのは大変だった話を聞きました。

尊師布施を使わざる得ないので、多少メロン等、一生懸命買われてた時がある話を聞きました。

そもそも教祖の時間がないのと体調の問題で、贅沢と呼べる程のものはなかったそうです。

94、95年は教祖が体調が悪くて、ほんのちょっとした凹凸でも、足をひっかけて転けられたり、教祖の声がでないため、指示を受ける際、周りの人が口元まで耳を近づけて、やっと声を聞き取れる状態だったと聞きました。

世話をされていたサマナからは、教祖の身体も時間も投げ打って救済にかける姿勢は、身近で見ないとわからないよと聞きました。

教祖にそのような側面もあったのはおそらく事実で、見る人によって全然見え方が違うんだろうと思います。

教団によって、筆舌に尽くし難い苦しみを経験した人たちがいるのは事実で、この点は教団に関わった人は他人事でなく、皆共通のところもありますが、個々の経験は経験として、どのように向き合うかは、それぞれの人に問われることだ思います。





  • | 2015-08-29 | 元信者 URL [ 編集 ]

教祖

>教祖の身体も時間も投げ打って救済にかける姿勢は

上祐氏も言っているように、教祖は、自分を救世主だと信じていたんだと思いますよ。だからこそ、体を張ってそこまでやった。体調が良くない時もあったことでしょう。贅沢だったかどうかは本質的な問題ではないと思いますよ。贅沢であったとしても教義上は問題なかったはず。一方、忘れてはいけないのは、数々の事件のことです。こちらも合わせて考えないといけません。常人には悪業でも、救世主なら許されると考えていたのではないでしょうか。それを一般人に受け入れてもらえるわけがないです。また、(オウムで認定された)成就者だから(だったから)許されるというのも、これまたあり得ない話です。
  • | 2015-08-29 | 匿名 URL [ 編集 ]
      

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