77.一九九五年三月

一九九五年、教団施設のなかは二十四時間どこでもコスモクリーナー(毒ガス浄化の空気清浄機)のうなるような音が響いていた。出家サマナは千七百人まで膨れ上がっていた。急激に新人が増えたこともあって、だれがどこの部署(省庁)でなにをやっているか、そもそも教団全体の部署を把握することさえ困難になっていた。
二十以上あった省庁には、高学歴で若いサマナがいろいろな企画を立案する「法皇官房」、コスモクリーナーの保守・管理をする「防衛庁」、サットヴァ食品(修法された食品)を作る「厚生省」(裏では生物兵器・化学兵器を研究していた)、上九一色村には「科学技術省」の工場が点在し、パソコン販売店、スーパーマーケット、ラーメン屋を「商務省」が経営していた。「秘密ワーク」「シークレット」とよばれた「諜報省(CHS)」や「近未来研究所」や「白い愛の戦士」など、名前を聞いただけではなにをしているのかわからない部署もあった。
クンダリニー・ヨーガ以上の成就者たちは、部署のリーダーとしてワークの結果をだそうと血眼で、他の部署のことを気にかける余裕はまったくなかった。部署には次々と新しい指示が上から降りてきて、それを受けたサマナは「右!」と言われれば右へ、「左!」と言われれば左へ、言われるままに一斉に向きを変える小魚の群のようだった。

一月七日から二月十六日までの間に、教祖は毎回百人のサマナを集めて富士山総本部で十三回の「お食事会」を開催した。「お食事会」は精進料理のコースを食べながら法話を聴き、だれでも自由に質問ができる教祖とサマナの交流会だった。今思えばこのお食事会は、教祖にとって弟子との「最後の晩餐」だったのだと思う。元旦の『読売新聞』の一面には、山梨県上九一色村でサリン生成の残留物質が検出されたというスクープが掲載された。これは明らかに当局がサリンと教団のつながりをリークしたものだ。運命のときがもうそこまで来ていることを教祖は十分わかっていただろう。
一月十七日未明、阪神淡路大震災が神戸とその周辺の街を襲った。
このわずか十日前、教祖はロシア向けの番組で神戸に地震が起こる可能性をオウムの占星術をもとに語っていた。予言がズバリ当たって、もうすぐハルマゲドンだという教祖の警告はますます真実味を帯びていた。「急いで!」「時間がない!」という切羽詰まった雰囲気のなかで、「米軍による毒ガス攻撃」「地震兵器」「ハルマゲドン」「スパイ」「フリーメーソンの陰謀」「滅亡か破滅か」という非現実的な言葉が私たちの頭の上を飛び交っていた。すべてがドタバタでちぐはぐ、全体がぐんぐんスピードを加速して「救済、救済」とせき立てるようなかけ声で全力疾走しているが、いったいぜんたいどこへ向かっているのやら方向感覚を失っているような感じだった。どどっと一斉に走る部署ごとの動きで、教団全体が振動しているようだった。それはオウムを揺るがす大地震の前触れだったのかもしれない。

サマナは何年もテレビを観ていなかったしラジオも聴いていない。もちろん新聞・雑誌も読んでいなかった(携帯電話はまだ普及していなかった)。だから九四年六月二七日に起こった松本サリン事件も、九五年三月二〇日に起こった地下鉄サリン事件も九九パーセントのサマナは何も知らなかった。たとえ事件のことが耳に入ってきたとしても、オウムと結びつけようもなかった。
「強制捜査が来るらしいよ」
そんな噂が飛び交ったかと思うと、強制捜査にどう対応するかを書いた読みにくい手書きのメモのコピーを渡されて、部署の責任者は頭にたたき込むよう言われた。
「必ずビデオ撮影し録音すること」
「令状を見せてもらい内容をメモをすること」
「捜査には必ず責任者が立ち会って、勝手に捜索させないこと」
なぐり書きのような文字で、やけに具体的なポイントが書かれていた。
東京にいた私に、ヤソーダラー正大師(教祖の妻)から至急上九の第六サティアンに来るよう指示があった。駆けつけてみると上九には大勢のサマナが集まっていた。
「不当な強制捜査の証拠写真を撮っておいて」
そう言われたが、なにをどう撮ればいいのか想像もつかなかった。私はとりあえずバッグにカメラを三台詰めて、みんなと一緒になにかが起きるのをただ待っていた。

2015年08月22日

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コメント

No title

どんどんおかしくなっていっている印象だけど、教団を離れようという考えはなかったの?
  • | 2015-08-24 | 元R師 URL [ 編集 ]

Re: No title

> どんどんおかしくなっていっている印象だけど、教団を離れようという考えはなかったの?

このときはぜんぜんありませんでした。
  • | 2015-08-25 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

中国の暦は年月日時が甲子から始まり癸亥で終わる60の干支で表されます。

神戸=14画
1995年1月=丁丑月=14

東京=16画
1995年3月=己卯月=16

東京大学=35画
95(60進数)=35=戊戌(戊戌年という意味ではない)

清水正孝(東電社長)=28画=佐藤(雄平福島県知事)
2011年=辛卯年=28
2011年3月=辛卯月=28

御嶽山=31画
2014年=甲午年=31

1990年11月17日
雲仙岳噴火

雲仙=17画
雲仙岳=25画
雲仙普賢岳=52画
1991年6月3日の火砕流での死傷者・行方不明 52人

善光寺=24画
弘化4年3月24日の夜に善光寺地震発生し火災で観光客の多くが亡くなる
(徳川)家慶=25画に報告されたのは地震の翌日25日

大正12年9月1日、神奈川県で地震、関東大震災
日本=9画=9月
神奈川=東京市=21画、21と12が対称
関東=27画=庚寅と12=乙亥は天地徳合

1896年6月15日=丙申年/甲午月/己亥日=33/31/36で3が多い明治三陸地震
釜石=15画=15日

1933年3月3日、昭和三陸地震

明治24年10月28日=辛卯年/戊戌月/丁亥日=28/35/24
濃尾地震
濃尾=24画=明治24年=丁亥日

1954年9月26日、洞爺丸事故
洞爺丸=26画

昭和9年9月21日、室戸台風
日本=9画=昭和9年9月
室戸岬=21画=21日
  • | 2017-03-28 | 和合萬年 URL [ 編集 ]
      

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