72.毒ガス攻撃

「オウムは毒ガスによる攻撃を受けている」
教祖がそう言い出したのは一九九三年十月だった。(1)
「えー、ほんとうかなあ…?」
私はそう思って聞いていたが、教祖はいつものとおり真剣な面持ちで、ロシアから取り寄せた毒ガス検知器を使って調べた結果、毒ガスが噴霧されていることが証明されたと言った。
毒ガスの影響で、富士・上九では体調不良を訴えるサマナが増えているという話も聞こえてくるようになったが、青山道場に常駐していた私は、「そんなことがあるのかなあ」と対岸の火事のように思っていた。用事で上九に行くと、コスモクリーナー(2)という毒ガスを無毒化するための空気清浄機の設置が進んでいて、そのうちに青山道場にも設置された。
九四年になると、教祖は各支部の説法会で信徒にも「米軍から毒ガス攻撃を受けている」と話すようになった。また、特にひどい被害のある上九の教祖宅から逃れて、ご家族とともにホテルを転々としているらしかった。
上九の警備ボックスわきを通ると、警備担当者が「今日はよく飛んでいるんですよ」と言って、双眼鏡をのぞいて上空のヘリコプターを監視していた。
「米軍が上空から毒ガスを噴霧している? そんなバカな…」
私はそう思ったが口には出さなかった。教祖や上九のサマナに実際に健康被害があるのだから、なにかが起こっているのかもしれない…しかし、米軍による攻撃というのは現実的ではないと思った。

ある日、青山道場で教祖の説法会があった。毒ガス攻撃が続いているから、肉体を強化するために武術や気功などを修行に加えるようにという内容だった。説法と新入会員向けの「参入の儀式」が終わって、教祖とおつきの正大師や警備は三階に準備されていた控え室に移動した。支部の様子など聞かれたりするので私も同席していたが、ご一行はとても急いでいて十分もすると波がひくように去っていった。
ガランとした大部屋に私は一人残っていた。そのときだった。突然気分が悪くなってその場に倒れこんで身体を動かすことができなくなった。
十五分ほど横になったまま目を閉じていると、なんとか起きあがることができるようになった。
「なんだろう、まさか、これが毒ガス?」
これまで経験したことのない身体の異常を感じたので、教祖が説法で言っていた「毒ガス攻撃」なのかもしれないと思った。でも、標的である教祖が去ってすぐに攻撃されるのはどうも腑に落ちなかった…。

オウムは本当に毒ガス攻撃を受けていたのだろうか?
私はアメリカ軍による毒ガス攻撃というのは、教祖と弟子が抱いた妄想だったと思っている。しかし、毒ガス攻撃がなかったのかといえば、ある意味で「毒ガス攻撃はあった」のだと思う。当時ロシアにいた上祐氏も、私が青山道場で経験したような急な体調不良を感じ、「毒ガス攻撃が始まったのかと不安に思った」と著書に書いている。(3)実際、多くのサマナが体調を崩し、多額の資金と人員を投入して毒ガス対策を講じたのだ。
毒ガス攻撃については諸説あり、教団内部に侵入していたスパイが毒ガスをまいていたと考えている人もいる。その可能性がまったくないとは言えないが、わたしは「集団ヒステリー」(4)と呼ばれる現象だったのではないかと思う。教祖が毒ガス攻撃を受けていると信じれば、周囲もそれを信じ、強い想念が現実に毒ガスが発生したような現象を形成したのではないだろうか(毒ガス検知器さえ反応した)。外部から攻撃されているという情報のもと、内部の結束力が強まり、毒ガスが現実化するに至ったのではないか。
この時期の教団は、とても大きなエネルギーに巻き込まれていて、地に足がついておらず、なにかに追い立てられ暴走しているような雰囲気だった。


(1)毒ガス攻撃を受けていると主張する以前、一九九二年十二月「大量の毒ガスを吸って体調を崩した」という説法での発言があった。それが最初の兆候だったのかもしれない。
(2)科学技術省が開発したオウム独自の空気清浄機。オゾン発生機にはじまり、毒ガスの成分に化学変化を起こさせて無毒化するという化学変化を利用した空気清浄機、活性炭を利用した空気清浄機も開発された。
(3)「また、ロシアにいた私も毒ガスを吸ったような体調不良を経験し、ロシア人信者に助けられ、車で病院に行くという出来事があった。症状はそれほど重いものではなく、病院に着く頃には、外気を吸ったせいか、すでに回復していた。そのため、何の検査も受けなかったので、症状の原因もわからない。<中略>ロシアにも毒ガス攻撃が始まったのかと不安に思った」(上祐史浩著『オウム事件17年目の告白』p135)
(4)「集団ヒステリー」は「集団パニック」ともいう。詳しいメカニズムは医学的、科学的には解明されていないが、古くから世界中で認められている現象である。一定の集団内で多数の人にヒステリー症状、すなわち、痙攣(けいれん)、失神、歩行障害、呼吸困難などの身体症状、または興奮、恍惚状態、意識障害、妄言、幻覚などの精神症状が伝播すること。通常は感情、関心、利害の共通である学友、寮仲間、小集落の住民、宗教団体などの親密な関係をもつ小集団内で、発端者がなんらかの症状を呈し、それが間もなく他の構成員につぎつぎと伝播する。


2015年08月04日

コメント

No title

>毒ガス攻撃については諸説あり、教団内部にはスパイが侵入していて、彼らが毒ガスをまいていたと考えている人もいる。
>毒ガス検知器さえ反応した

この2点を合わせて考えれば、内部の人間が毒ガスを実際に撒いていたのではないでしょうか? 何のために? 教団全体に外部からの毒ガス攻撃を信じこませるために。。あるいは、毒ガスを施設内で製造していて、それが洩れてしまっていた、など。

>ロシアにいた私も毒ガスを吸ったような体調不良を経験し

これからすると、内部の誰かが撒いたのか。あるいは、やはり集団ヒステリーの類か。

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これらの毒ガスの一件は、裁判では明らかにはされなかったのでしょうか? 一連の裁判において、メインのトピックでは無かったのかもしれませんが。。
  • | 2015-08-05 | 匿名 URL [ 編集 ]

No title

富士山の山頂には 雲がかかっている
  • | 2015-08-06 | 三橋 URL [ 編集 ]
      

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