71.行方不明

Tさんは子どもを連れて出家したシングル・マザーだった。私と彼女は直接の知り合いではなく、私の友人の知り合いの紹介でオウムに入会したという縁だった。
入会してほどなく、Tさんは幼い子どもを連れて出家した。ところが、富士に行って二か月もしないうちに、彼女が配属された部署から「Tさんがいなくなった」と、世田谷道場にいる私に連絡が入った。住んでいた東京に戻っていることはわかっているから、縁のある私が彼女を説得して富士に戻してほしいという依頼だった。
出家者が突然いなくなること(下向)は珍しくなかった。私自身、出家と現世の間で心がゆれる状態がよくわかっていたので、ゆれるサマナを説得して教団へ戻すことは得意だった。それに、出家者はもともと崇高なものを求めているから、現世に戻りたいというのは一時的に煩悩に翻弄されているだけで、冷静になれば再び修行に向かうようになるものだ。

Tさんに連絡すると、話しに来るのが私一人なら、という条件で会うことを承諾してくれた。
次の日、私は彼女と会って、Tさんの気持ちを聞きながらときどき法則について話した。穏やかに話しながらも、私が考えていたことは結局のところただ一つだった。
「とにかく富士に連れ戻せばなんとかなる」
それは、信徒が友人・知人を導くにあたって、とにかく支部で成就者に会わせればなんとかしてくれる。出家者ならば、ゆれているサマナがいればとにかくステージの上の人に会わせる、できれば教祖に会わせればなんとかしてくれる、そう思うことと同じだった。
案の定、Tさんは少し不安定になっているだけに見えた。冷静に考えて行動しているなら、子どもをどうするか考えているはずだが、Tさんは教団に残したままの子どものことをまったく気にかけていなかった。
私は、「子どものことを考えて、もう一度修行してみたら」とうながした。
Tさんは少し考えてから、「もう一度、修行してみようかな…」と言った。
「ただ、富士に戻るのは一日待ってほしい」と、Tさんは条件をつけた。
彼女の気が変わらないうちに富士に連れて行きたかったが、彼女は頑として譲らなかった。これ以上押しても無理だと判断した私は、「明日迎えに来るね」と言い残して帰った。
世田谷道場にもどった私は、富士に電話した。
「まあなんとかなりそうです。明日には富士に連れて行けると思います」
そう知らせると、Tさんの上長は行き先の変更を伝えてきた。
「イニシエーションを受けさせるから、富士ではなく上九のクリシュナナンダ師(林郁夫受刑囚)のところへ直接連れてって」

その頃、上九の第六サティアンでは薬物を使ったイニシエーションが行われていて、杉並区野方にあったオウム真理教附属医院の医者や看護師の多くが、第六サティアンに常駐するようになっていた。下向したサマナが教団に戻った場合、心が落ち着くまで修行に入るのが普通だったが、Tさんが修行に入るのではなくイニシエーションを受けると聞いて、私は少しうらやましく思ったことを覚えている。サマナならだれもがイニシエーションを受けたいと思うものだ。
次の日、私は車を運転して約束通りTさんを迎えに行き、どこにも寄らず中央高速をとばして第六サティアンへ連れて行った。クリシュナナンダ師に「よろしくお願いします」と言って、Tさんをシールドルームに残して東京へ戻った。クリシュナナンダ師は、臨床経験の少ない若い医師が多いオウムには珍しく、医師としてのキャリアを持っている人物だ。
それからしばらくして、私は用事で上九に行くことになった。
「Tさんどうしたかな。落ち着いて修行に向かう気になっただろうか」
そう思って、Tさんの様子を見るつもりで第六サティアン三階のシールドルームにいるクリシュナナンダ師を訪ねた。
シールドルームの重いドアを開けたクリシュナナンダ師は、疲れたような表情のない青白い顔をしていた。
「Tさん、どうですか?」
私は気軽に尋ねた。
Tさんと言ってもクリシュナナンダ師はぴんとこないようだった。
「十日ほど前に私が連れてきた、ほら、ゆれていたサマナです」
そう言うと、彼は表情を一変させて怒鳴った。
「余計なことを聞くんじゃない!」
そしてシールドルームのドアを力まかせにバタンと閉めた。
私は驚いて、閉ざされたドアの前でしばし呆然としていた。
クリシュナナンダ師は、誰の目から見ても温厚で、善良で、知的な紳士であるだけでなく、社会的にも成功した優れた医師だった。その彼が突然表情を一変させ怒りをあらわにしたのだ。部下であるサマナ相手なら理解できなくもないが、私は彼と同じ成就者だったから少しむっとした。
なにか聞いてはならない事情があるのだろうと思いなおし、Tさんの様子を確認するのをあきらめて東京へ戻った。

九五年三月のオウムへの大がかりな強制捜査以降、多くの信徒・サマナが、警察・検察・公安から事情聴取された。私もTさんについて任意で事情を聞かれた。Tさんの足取りは、私が上九に連れていってから途絶えたまま行方不明だということだった。
Tさんを説得して一緒に上九へ行った経緯を、私は包み隠さず二人の刑事に話した。
事件直後は信徒の微罪逮捕が横行していたので、Tさんに関わるなにかで私も逮捕される覚悟をしたが、結局それが事件になることはなかった。
私はTさんに対する自分の行動を思い返して、違法なことはなにもなかったこと、Tさんの身になにかあったとしても、「私に責任はない」と何度も自分にいいきかせた。
私はときどき考える。
崇高で善きものと信じていた宗教が、気がついたら邪悪なものになっていた。それならば、なかにいた自分もまた知らぬ間に悪に染まっていたのだろう。はたして私が悪に染まったのはいつだったのだろうか。クリシュナナンダ師の怒鳴った顔、目の前で閉ざされたシールドルームの扉が思い出される。私は行方不明のTさんに対して、「責任はない」「悪いことはなにもしなかった」と自分にいいきかせ、「Tさんのことは忘れよう」と思った。
オウム事件の数は多く、裁判を迅速に進める必要性から小さな事件は起訴されなかった。
Tさんは行方不明のままだ。あのとき上九のシールドルームで行方不明になったのなら、薬物イニシエーション中なんらかの理由で死亡したことも考えられる。私の意識にその可能性が何度も浮かんだが、そのたびに、もしTさんがイニシエーション中に亡くなったとしても、それはTさんのカルマであり、私に責任はないのだと思った。そうやって、自分を守るためにTさんを意識から切り離した瞬間、私はなにかを失ったような気がする。
教団が裏で数々の悪をなしていたとき、多くのサマナ・信徒と同様に私もまったくそれを知らなかった。だから、私は潔白なのだとずっと思ってきたのだが、はたして本当にそうだといえるのだろうか…。



2015年07月30日

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コメント

蓼食う虫

カルマによって つきあえるひと かよえる店がかわってくる。そういったものが消えるのが解脱なら 薬物は そういったものを消してくれる。心から出る毒を 中和してしまうのだ。 人によってはその毒が自我まで壊してしまう。毒は有限なのだ。
もう一つの道は 毒のバルブを閉めてしまうことだが、これは無理。
  • | 2015-07-31 | 三橋 URL [ 編集 ]

No title

出たねえ。
クリシュナナンダの傲慢さは僕も何度か目にしたことがあるよ。
  • | 2015-07-31 | 元R師 URL [ 編集 ]

無念さ

>オウム事件の数は多く、裁判を迅速に進める必要性から小さな事件は起訴されなかった。Tさんは行方不明のままだ。

裁判の迅速化を優先させる措置があったということで、多くが不問にされてしまった。これを無念に思っている方は多いことでしょう。元も現も、幹部、指導層の人たちからの、それらについての言及はほとんどないようですし。。裁判で取り上げられた事件に比して、些末だという扱い。。でも、関係者にとっては忘れてしまえるものでしょうか。本当に無念だと思うのです。オウム教義から言っても、こうしたことは本当に重大なカルマになるのではないでしょうか。。コメントいただければありがたいです。
  • | 2015-07-31 | 匿名 URL [ 編集 ]

ザンゲ

脱会して20年以上なる、元で当時の関係者です。警察にも訊かれたことありましたが、正直に話さなくて本当にゴメンナサイ。あれは、一種の医療事故のようななものでした。確かに彼女は、イニシエーションを受け、修行者であり、大事な法友でした。師以上の方が直接かかわるのが原則でしたので、師補以下は詳しいことがわかりません。それが仇となって、十分な申し送りがないままに、それはおこってしまいました。要するに薬の過量投与により、心肺停止をきたし、蘇生させましたが、低酸素脳症で意識がもどらなくなってしまったのです。しばらく人工呼吸器につながれているのを目撃しましたが、その後亡くなったと聞いています。こんな他人事みたいに語ることをどうかお許し下さい。彼女のことは、この20年忘れたことはありません。林郁男が部下の失態の責任をとらされる立場にいたことから、少しでも真相を知る関係者を増やしたくなかったことは想像に難くありません。かれを傲慢の一言で片付けることは容易いでしょう。ならば、あの教団に開祖も含めて、一人でも謙けょで謙譲な方がいらしたのでしょうか。直接の担当だった看護師は、一人で責任を取らされる形となり、chsに異動になったようでした。仮谷さんの事件が起きる直前の出来事だったと記憶しています。
  • | 2015-07-31 | 匿名 URL [ 編集 ]

Re: 無念さ

> 裁判の迅速化を優先させる措置があったということで、多くが不問にされてしまった。これを無念に思っている方は多いことでしょう。元も現も、幹部、指導層の人たちからの、それらについての言及はほとんどないようですし。。裁判で取り上げられた事件に比して、些末だという扱い。。でも、関係者にとっては忘れてしまえるものでしょうか。本当に無念だと思うのです。オウム教義から言っても、こうしたことは本当に重大なカルマになるのではないでしょうか。。コメントいただければありがたいです。

コメントありがとうございます。
Tさんを忘れていないから、「オウムとはなんだったのか」問い続けているつもりです…。
答えのない問いを問い続けることが、私の鎮魂だったのかもしれません。
ちょっと要領を得ないお返事で申し訳ないです。。
  • | 2015-08-01 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: ザンゲ

私はときどき、ふと、こんな想像をすることがありました。
ある日、Tさんの成人した子どもが「お母さんのことを教えてほしい」と言って、私を訪ねてきたらなんと答えるか…と。
「あなたのお母さんを説得して教団に連れ戻したけれど、その後のことは知らない…」
そう答えることを想像すると、なんともやり切れない思いがしました。
でも、今回コメントをいただいて、想像の中で私はこう答えることができます。
「私があなたのお母さんを教団に連れ戻して、その後、お母さんは薬物イニシエーション中に亡くなってしまったの。ごめんなさい」

Tさんのいきさつを詳しくご説明くださったこと、感謝いたします。


  • | 2015-08-01 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

当のご親族が今になってこの場この形でいきさつが公開されることをどう感じるか、やりとりにその視点が感じられない。今になって元同志なめあう自慰の公開は、故人もご親族も両方の尊厳を冒涜してる、ように感じる。ご親族はあなた方以上に自問し続けているはずで、もし吐き出したいと思うのならば、真実を伝えるべき相手と手段を根本的に間違えてる、と感じる。匿名では問い返すこともできないから卑怯、に感じる。結果的に、欠けてたから、冒涜してたから、間違えてたから、たくさんの事件が起きたのに、反省はどこに行ったのか、疑う。一度公開した真実は回収不能。即刻削除の上、すみやかにご親族をみつけて、ご親族が周囲から聞き及ばないうちに、謝罪といっしょに大切な故人の最期を直接伝える義務が発生した、と感じる。大乗の救済者として、20年+これからも続く痛みを救済して来てほしい、と切に願う。あくまで、私が感じたこと、願うこと、です。
  • | 2015-08-01 | No name URL [ 編集 ]

Re: No title

林郁夫受刑囚の著書を読むと、また、その後の彼の言動からも、治療省で死亡した関係者について彼は洗いざらい話していると思いますし(隠す意味もない)、この件は事件後早い段階で警察が捜査していますから、ご遺族の方には真実が伝えられているはずです。



  • | 2015-08-02 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

悪の凡庸ってやつだよね
  • | 2015-08-02 | 野田 URL [ 編集 ]

Re: No title

一度承認しましたが、他の方のコメントを揶揄しているような印象を持ちましたので、削除いたしました。
  • | 2015-08-02 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> 悪の凡庸ってやつだよね

そうですね。
「私たちの善良さが、無意識の内に悪を引き寄せた」
私ならこう言うかもしれません。
  • | 2015-08-03 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

ザンゲを書きました。当時、野方と上九の6sには、AHI所属の師以上の医師ないし看護師が少なくとも9人以上は、いたはずで、その誰が主治医だったのか、どういう理由でいつ来られた方なのか、私の立場では知りようのない事でした。その時(心肺停止にて蘇生処置中)はじめてお目にかかって、Tさんの名前する知らない、何の一面識もない方だったのです。今回のブログで経緯がよくわかりました。1年半くらいして、関西にいる時にわざわざ警視庁から来られた方から、行方不明者の写真を見せられ、何か知っていることないですか?という質問を受けました。その中の1枚は間違いなくTさんだと思いましたが、「知らない」と答えました。誰が、最期を看取ったのか、死亡診断書は書かれたのか否かも、本当に知らないのですから、まあ大きなウソはついていません。非難したい方は、大いにして下さい。救済のためと思ってした活動のすべては、他人からみればやはり非難の対象になるのは当然のことです。坂本事件後も、自分の信じたいように、都合のよいことだけを勝手に信じた、自己責任を全うしましょう。赤ちゃんの殺害も辞さない鬼畜の教団に加担していたのです。敵対していなくても、教団の内ゲバみたいな形で亡くなった方も一人・二人でもないでしょうし。
  • | 2015-08-03 | 匿名 URL [ 編集 ]

失礼しました

前回とアドレスが違っていたのと、ちょっと開き直った表現が不愉快でしたら謝ります。しかし自分の偽らざる気持ちです。ブログ主に見ていただければそれで結構です。削除のままで構いません。この20年以上、今だに誰にも話題にできなかったことをこの度ザンゲという形で書かせて頂き感謝してます。が、やはり安易に話題にすべきことではなかっと反省しています。理由は3つあります。第1は、隠していた最大の理由が、もう関わりたくないという自分のエゴからきており、そこには反省や悔恨が乏しいのです。第2に、他の医療現場でも一緒ですが、職業上知り得た秘密を明かしてはならない、という当たり前の職業倫理からきています。これは違反すると刑事罰になりますから、余程のことがないと話せないのです。だから匿名で許して下さい。クリシュナナンダ元菩師長が、どこまで覚えていて、どこまで正確に回顧しているかは、怪しいです。むしろ、公判以外では、話していないことの方が多いのではないか、と個人的には思います。第3に、これも密教(真言秘密金剛定)では常識の、奥義参入というか、イニシエーション絡みなので、それにかかわる秘密を明かすことは厳禁なのは言うまでもないでしょう。関係者が一様に口を噤むのは、程度の差こそあれ、こんなところでしょうか。自分の場合は、一番卑小で恥ずかしい理由でしたから、当にそれを厳しく指摘されたが故に、過剰に反応してしまったようで失礼しました。
  • | 2015-08-03 | 匿名 URL [ 編集 ]

No title

>「私たちの善良さが、無意識の内に悪を引き寄せた」
オウムがしたことは悪だがオウム信者は善良だったということでしょうか?オウム真理教及び麻原に善良な人が騙された、洗脳されたということでしたら、無知は無垢ではなく罪であったと思います。

続きに興味があります。一読者としてこれからもアップをお願い致します。
  • | 2015-08-04 | アンダルシアに憧れて URL [ 編集 ]

Re: 失礼しました

私が削除したコメントが、ザンゲの方が投稿したものだというのは意外でした。
過剰反応だったということ、なるほど了解いたしました。
  • | 2015-08-04 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> オウムがしたことは悪だがオウム信者は善良だったということでしょうか?

善良で真面目な人が多かったと思います。
死刑が確定した人でも、私が実際に接した人はそうでしたよ。

> 続きに興味があります。一読者としてこれからもアップをお願い致します。

ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
  • | 2015-08-04 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

>善良で真面目な人が多かったと思います。 死刑が確定した人でも

だからこそ、大事件の実行犯が幾人も出たというのが、今となっては大勢の見方ではないでしょうか。不真面目を肯定はしませんが、不真面目な信者だったのなら、上からの指示を無視したと思います。教祖からの脅しや、ここまで関わってきてしまった以上、辞めるのが怖かったという面もあったでしょう。一方、自分の地位保全のため犯罪に加わったのだろうという見方も根強くあると思います。これはつまり保身ですから、裁判での教祖批判も保身の為であろうと見られてしまうのだと思います。教えに則って真面目に教祖に従ったが、逮捕されて裁判になったら、教祖批判。一般人から見て、これはどう見えるでしょうか。

また、

>密教(真言秘密金剛定)では常識の、奥義参入というか、イニシエーション絡みなので、それにかかわる秘密を明かすことは厳禁なのは言うまでもないでしょう。

ということがあるのなら、裁判で裁かれた人たちや脱会した幹部の方々は、(外向けにはいろいろ言っているが)今現在も、そうした教えを守っているとも考えられるのではないでしょうか。世間から信用されないのは、そうしたことが多く絡んでいるためだと自分は思います。
  • | 2015-08-04 | 匿名 URL [ 編集 ]

コメントされてる方の内容に関連して思い出したことがあります。

分裂騒動後に上祐さんと一対一で話す時があり、このように言われました。

”自分たちは最善を目指していたら、最悪の存在になっていた”

私も当時そのように思いました。

真理という言葉のもと、自分たちは最善の実践をしている特別な存在だと思う傲慢さの落とし穴があったということです。

そして気づかないうちに、世でいう最悪な存在になっていたというわけです。


  • | 2015-08-05 | 元信者 URL [ 編集 ]

No title

匿名さんはじめAHIの方々を聖称賛。
  • | 2015-08-05 | No name URL [ 編集 ]
      

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