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7.最初の体験

はじめての神秘体験は、送られてきたオウムの本を斜め読みし、そこに書かれていたヨーガの修行法を真似ているときに起こった。
慣れない行法を試して少し疲れを感じた私は、横になって休んでいた。
うとうととしたまどろみのなかにいるときだった。
「コンコン」
ドアをたたくはっきりとした音を聞いた。
だれかが訪ねてきたのだと思い、とび起きて玄関に行ってドアを開けた。

そのとき、開けたドアはたしかに自分の部屋のドアだったはずだ。
でも、今考えてみるといったいそれはどこに通じるドアだったのだろうか。
開けたドアの前には、白銀に輝く二人の子どもが私を見上げてきらめくようなほほ笑みを浮かべて立っていた。
三、四歳くらいだろうか、うりふたつの双子だった。
二人の向こうには、見たこともない白銀色の空間が広がっている。
そこは、ここよりもずっと微細な世界としか表現できない異界だった。

「やっときたね」

深くやわらかな声が、私のなかに響いた。
双子は、坊主頭で大きな漆黒の瞳が印象的だったが、一つだけ違うところがあった。見た目は違わないのに、男の子と女の子のペアだということが、どういうわけか私にははっきりとわかった。
これは夢なのだろうか、それとも幻なのだろうか。夢というにはリアルすぎた。では、現実なのだろうか。白銀色に輝く子どもなんて現実にいるはずもない。それは現実よりも微細で、現実よりもリアルで、現実を超えたものだった。
夢でもなく、また現実でもないとしたら、いったいそれはなんだろうか。

“ヴィジョン”と呼ぶしかなかった。

この最初のヴィジョンは、現実にはまだオウムと接していないとき、義理で読んだ本に書かれている行法をしたあとやってきた。
「これはなんなんだろう…」
見たことも聞いたこともないものに出くわして、私は戸惑い、思わずバタンとドアを閉めた。

非常にリアルで神的ともいえるヴィジョンは、見た者をわしづかみにしてしまう力があるのだと思う。特に、ヴィジョンとともに聞く「声」は、何年たって思い出しても、ありありとよみがえってくる。
それはまるで心の深みに時を超えて響いているかのようだ。
「やっときたね」という声を聞いたとき、私はいったいどこにきたのだろうか。

この体験を私はずっと不思議に思っていた。オウムの修行者はさまざまな非日常的な体験をするが、それを重要視することはなかった。ただ、「成就」のための極厳修行中だけは体験が取り上げられて、成就判定の目安になった。
そうはいっても、信徒は教祖が登場する神秘的な夢やヴィジョン、あるいはさまざまな色の光の体験をすれば興奮してまわりに話し、まわりもまた「すごいね」などと目を輝かせていた。
「オウムの本を読んだらその晩にグルが夢に出てきた」
「戒律を破っていたら夢にグルが出てきて叱責された」
「尊師の説法中にものすごいグリーンの光を見た」
そういう話はたくさん聞いた。
でも、なぜ私には教祖ではなく双子があらわれたのだろう? 
このヴィジョンはなんなのだろう? 
このあとすぐ私はオウムに入るが、ヴィジョンの意味を教えてくれる人はいなかった。



2015年02月26日

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1989年10月出家
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