67.パーフェクト修行

九三年末、「パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション」が始まった。内部では略して「PSI」「パーフェクト」と呼ばれていた、いわゆる「ヘッド・ギア」だ。
このイニシエーションのために、上九一色村の第六サティアン三階には、広さ二畳ほどの個室が長屋のように百近く作られ、各部屋の壁と天井には外部からの電磁波を遮断するために銅板が張られていた。そこは「シールドルーム」あるいは単に「シールド」といわれていた。
パーフェクトは、瞑想中の教祖の脳波と同じ微弱な電流を頭部に流すというイニシエーションだ。これを受ける修行者は、もはや信じることも帰依をすることも、いかなる修行をする必要もなく、電極のついた帽子をかぶってさえいれば勝手に修行が進む、完全なる解脱へ導くイニシエーションだと喧伝(けんでん)されていた。

最初に作られたパーフェクトは、頭皮に直接電極を貼りつける様式だった。新しい修行やイニシエーションは成就者から順に受けることになっていて、私はこの初期のタイプのものを受けた。頭に二十ほどの電極を貼りつけてもらってシールドに入り、部屋に置かれているパソコンにケーブルを差し込む――それがすべてだった。
イニシエーションを受けている間はなにもすることがないので、私は部屋の電気を消して眠ろうとした。
「寝ていて修行が進むなんて、なんて素晴らしいんだろう!」
目を閉じているとバチッバチバチッと稲妻のような光が見える。
「わぁ…きょ、強烈な光だなあ、これはすごいかもしれない…」
しばらくすると、頭部を流れる電気があまりにも痛くて眠るどころではなくなった。
「イテテテ、これは忍辱修行だなあ…」
「イタ、イタタタ、拷問みたいだ…。外そうかなあ…。」
「いやいや、これはイニシエーションなんだから、がまん、がまん…。」
「痛いよぉ…。ほんとに、だいじょうぶなのかな、これ…」
CSI(科学技術班)の責任者マンジュシュリー正大師(故村井秀夫)のつるんとした顔と満面の笑みが思い浮かんで、少し不安がよぎったが、とにかく修行だと思って横になったまま身体を丸めて痛みに耐えていた。なかには頭皮が焼けこげて陥没したり、耳たぶに取りつけた電極で肉がただれて落ちた人もいて、どうやら最初にイニシエーションを受けるということは、実験台になることだったようだ…。(これ以前にも何人かが受けて効果を試していた)
その後、電流の強さは調整され、電極を装着できる帽子と携帯用のパーフェクトが完成した。サマナにはこの携帯用のパーフェクト一式が配られ(1)、外部と接触しないサマナは、制服を着るようにパーフェクトの帽子をかぶって常にイニシエーションを受けながらワークをしていた。信徒は、ハルマゲドンが起きるまでに、「パーフェクトを受けるか」(2)「出家をするか」「マハーポーシャの社員になるか」という三択を迫られていた。

ところで、パーフェクトの基板は第八サティアンの基板工場で製造していた。最初こそ基板製作は外注して部品の実装だけをCSIで行っていたが、倒産した基板工場からフルセットを買い取って自前で製造できるようにした。これはパーフェクトの量産のためということもあったが、教祖はもっと広い視野で、将来的にはパーフェクト以外のもの、パソコン等を作るつもりだったようだ。その準備なのか、基板工場の次には半導体工場の買収計画も進められていた(最終的には話がまとまらなかったようだ)。
当時CSIにいた関係者に教祖の構想がどんなものだったかを聞いてみた。

「もともとマハーポーシャはパソコン事業というわけではありませんでした(*)。教団では現世的な意味でのビジネスの拡大をねらっていて、そのための試行錯誤をしていたのです。
教祖のねらいは、ディスカウントショップを展開したかったようでした。そのための市場調査や買いつけを進めていました。韓国、香港、シンガポール、台湾といった国々をまわり、ラジカセだとかビデオデッキだとか商売になりそうな商品を探していたのですが、そのなかで唯一芽が出たのがパソコンだったということなのです。
教祖には、パソコンのパーツを仕入れて組み立てるだけではなく、最終的には、全てを一貫生産できるパソコン工場を持ちたいという構想がありました。つまり、基板工場の取得はその構想の一部にすぎないとも言えるのです。このパソコン工場の計画は決して絵空事ではなく、まずはハードルの低そうなパソコンのケースを作るようにという指示が実際に出ていました。
また、当時CSIでは、『百円以下でラジオを作るように』という課題が与えられていました。教祖は、ズバリ今でいう『100円ショップ』のようなものを作りたかったのだと思いますが、『中国』という選択肢のなかった当時としては到底無理な課題でした。でも、目のつけどころは良かったのでしょうね。ダイソーの沿革を見てみると、一九九一年頃がチェーン店展開の時期なので、やりようによってはオウムにもチャンスがあったのかと、今になって思いました。私たちの視点からすると当時の教祖の指示は、泥縄的で無茶なものばかりだったようにも感じていましたが、あとから振り返ってみると、教祖は結構広く俯瞰した視野から物事を考えていたのだなと思わされることもあります。」

パーフェクト以降、オウムには「狂うか解脱するか」という極厳修行はなくなった。
今、振り返ってみれば、パーフェクトは「機械的」「電気的」「大量生産」という特徴があり、「解脱・悟り」のアプローチとしてなにかがおかしく、またどこか戯画的にも思える。しかし、コンピュータを使って瞑想中の教祖の脳波と同調させて修行を進めるというアイディアは、当時の私たちに違和感はなく、画期的に思えた。
この時期、教祖はすでに裏ではヴァジラヤーナ活動へ突っ込んでいた。六月に炭疽菌噴霧、九月に核兵器開発のためウラン鉱脈の調査にオーストラリアへ、十一月にはサリン生成に成功し、池田大作名誉会長の暗殺未遂――パーフェクトが発表されたのは、このようにヴァジラヤーナ活動が過激化し、毒ガス攻撃を受けているという説法(3)が始まったこの年の暮れのことだった。

(1)パーフェクトの帽子の内側にはスポンジがついていて、そこにゲルを注入して電気が通電するようになっていた。ゲルは注射器を使ってスポンジに入れていたから、サマナは各自プラスチックの注射器を一本は持っていた。事件後、教団施設内部の映像で大量の注射器を映したものがあったが、それはパーフェクトのゲル入れに使われたもので、薬物とはまったく関係ない。
(2)信徒のパーフェクトは、好きなときに好きなだけ富士でパーフェクトを受けられる一千万円お布施コースと、一度だけ一週間受ける百万円お布施コースがあった。
(3)九三年十月頃から、教祖は「外部からの毒ガス攻撃を受けている。米軍から攻撃を受けている」と説法で頻繁に語るようになる。だが、最初に「大量の毒ガスを吸った」と言ったのは、一九九二年十二月の説法だった。
*今回聞いたマハーポーシャ立ち上げの経緯は「66.マハーポシャ」の内容と少し違っていた。




2015年07月22日

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