65.ロシア・コネクション

「麻原さんは、いったいどこで間違ったのだと思う?」
湯河原のマンションの一室で作家のTさんが私に尋ねた。Tさんはオウムをテーマに小説を書こうとしていて、私たちは何度か会ってオウムについて話し合っていた。
どこで間違ったのか?…。
私は答えに詰まってしまった。一九九五年の地下鉄サリン事件は、九九パーセント以上の信徒・サマナにとって想像を絶する衝撃的なことだったが、私は教祖が間違った結果だとも、一部でささやかれるように闇の勢力の陰謀があったとも思ったことはない。教祖は常に宗教的信念に基づいて行動していた――狂気であろうと正気であろうとそれについては終始一貫していたと思う。ただ気になるのは、サリン事件前の教団はなにかに取り憑かれているような独特な雰囲気があったことだ。それがいつから始まったのか、なにがきっかけだったのか…。私は教団活動の年表を見ながら、いったいどこが転換点だったのだろうかと振り返ってみた。
「もしかしたら、ロシアか…」

オウム真理教の十年にも満たない活動期間のなかで、海外拠点を設けたのはアメリカとドイツとスリランカ、そしてロシアだった。一九八七年末に開設されたニューヨーク支部は、教祖が現地でシャクティーパットを公開して入信拡大を試みたが、アメリカ人の信徒は増えなかった。ドイツのボン支部は信徒がいたかどうかさえわからない(1)。スリランカでの活動は布教ではなく、テーラヴァーダ仏教を支援するための福祉事業だった。
九二年六月に開設したモスクワ支部だけが例外的に信徒数を伸ばし、最盛期の会員登録者数は四万五千人とも五万人ともいわれている。日本の信徒数が最大でも一万人を超える程度だったのと比べて、ロシアでは二年という短期間に日本の四倍以上の会員を獲得したことになる。宗教的な意味では、日本をはるかに上回る規模のロシアのエネルギーが教祖の意識とまじりあったということだ。
九三年後半、マイトレーヤ正大師(上祐史浩)、サクラー、ウッパラヴァンナー、プンナ・マンターニプッタという実力のある正悟師たちがロシアに投入されて教勢が飛躍的に拡大しているとき、日本では教祖と教団内部の雰囲気はどんどん妄想的になっていった。それがバブルのように膨れ上がって九五年の地下鉄サリン事件に至ることを考えると、ロシア進出は破滅に至る転換点として位置づけられるのではないだろうか(2)。
ロシアというと、一部の男性サマナが射撃ツアーに行ったことや、カラシニコフ(銃)の入手、ロシア製の大型ヘリコプター・ミル17の購入などが大仰に取りざたされるが、中身を調べてみるとどれも現実味のない張子の虎のようなものだとわかる(3)。ここで考えてみたいことは、東西冷戦のなかでロシアという超大国が抱いていたアメリカへの強い敵がい心、より多くの大量破壊兵器を保有しようと競い、核実験を繰り返す…あの時代をおおっていた破壊と終末のムードのことだ(4)。ロシアの潜在意識(集合無意識)といってもいい。九二年末から教祖はアメリカを敵視する発言を繰り返すようになり、その後アメリカ軍による毒ガス攻撃を受けていると語り、末期にはアメリカ軍が攻めてくるといって準備をしていた(5)。これはロシアという国の潜在意識のイメージをそのまんま映しだしているようにも思える。

けれども教祖にとってロシアで最も重要だったことは、軍事力ではなくラジオとテレビの放送権の獲得だった。放送権獲得を進めた早川死刑囚はこう書いている。
「このロシアでの事前交渉の過程で、以前からグル麻原が放送権を得ようとして得られないでいたのを知っていた私は、ロシアが日本向けにラジオ放送をしていることを知り、この日本語放送の放送枠が手に入らないかどうか交渉し、これを得ることができました。グル麻原は、このラジオ放送枠の獲得が、今回のロシアでの出来事のなかでの一番の成果であるといって大いに喜びました。
この放送権獲得をきっかけに、その後ロシア国内向けのテレビ、ラジオでも放送枠を獲得し、その結果ロシアでは、毎日のように教団の宣伝がラジオ、テレビを通じて行われるようになりました。日本でいうNHKのような放送局からオウムの番組がラジオで毎日、テレビで毎週放送されることで、教団のステータスはロシアでは異常に高まっていったのです。」(6)

教祖もこう言っている。
「今回のロシアツアーというのは、一言でいうならば予言の成就です。この予言の成就とは何かというと、これはキリスト、つまり今から二〇〇〇年前に登場したイエス・キリストの予言、イエス・キリストはこのような予言をしています。まず、御国の福音が全世界に述べ伝えられた後、世界の終わりがくると。この御国の福音とは何かというと、要するに、神聖世界へ入るための方法が世界に述べ伝えられた後、世界の終わりがくるという予言です。これは実際問題としてわたしたちがモスクワ放送、あるいはモスクワ短波放送という二局を、一日一時間ずつ借り切りまして、結局四月の初めぐらいから全世界に向けて、オウム真理教の教義を放送する今計画がありますが、この予言の成就をするということが一つあります」(7)

一九九二年六月十五日、「御国の福音が全世界に述べ伝えられた後、世界の終わりがくる」というイエス・キリストの予言を成就させるために、教祖は「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス(御国の福音)」と名づけた全世界向け英語ラジオ放送をスタートさせた。「予言の成就」という言葉を教祖が説法で使うようになったのはこのときからだ。(8)


(1)八九年一月ボン郊外に物件を借りたのがスタート。
(2)ロシア進出のきっかけは、教祖が意図したものではなく、ブローカーから話を持ちかけられて偶然に始まったものだった。
(3)早川紀代秀著『私にとってオウムとは何だったのか』より以下引用。
射撃ツアーについて:「九四年四月には、射撃ツアーを始めました。これは、オウムがロシアに進出したときからロシアでのオウムの支援者であった日露基金という組織から、観光ビジネスとしてもちかけられた話で、二ヵ月に一度くらいの割合で日本から観光客を送り込もうということだったのですが、日本で客が集まらず、結局、三回ほどオウムのサマナが参加しただけで終わってしまいました。グル麻原は、この話をロシアの支援者との交際費というふうにとらえていて、『お金を落としてあげましょう』ということでした。」(P105)
小銃について:「初めは見学だけでいいと言っていたAK(カラシニコフ)を、なんとか一丁入手してほしいとの村井の要望によって、あちこち手を尽くして入手に苦労するはめになりました。その結果、どうにか一丁入手できました<中略>村井達は、広瀬と横山真人を中心にAKの製造にとりかかり、九五年の正月ごろには、試作品一丁が完成しました。」(p180)
大型ヘリコプターについて:「九四年の五月末には、九三年秋ごろから交渉して購入していたロシア製の大型ヘリコプター・ミル17が日本に到着しました。このヘリコプターは、村井達が開発しているというレーザー砲を搭載する目的で入手したものでした。」(p181)
このヘリコプターは日本では一度も飛行していないし、オウムで飛行させることは現実には不可能だっただろう。
(4)一九四五年に最初の核実験が行われて以降、冷戦期にアメリカ合衆国・ソ連を中心に約2000回もの核実験が行われている。核によって人類が滅亡するかもしれないという不安が世界をおおっていた。オウムは初期の頃からこの危機感をもって人類救済を謳っていた。
(5)「それはグル麻原が湖のほとりで米軍と戦っているヴィジョンを見たからでした。米軍が上九に攻めてくるということでした。AKの大量生産や迫撃砲製造計画、レーザー砲やプラズマ兵器の研究、サリンの研究製造などはこの米軍との戦いに備えてのことでした。また、グルは九四年ごろには上九を含めた富士山周辺の大きな立体地図(畳二畳ほどの大きさ)を村井に作らせ、それに触れて地形を頭に入れ、米軍との戦闘の作戦を考えるというようなことも行っていました」(p183)
(6)早川紀代秀著『私にとってオウムとは何だったのか』(p178-179)
(7)一九九二年三月七日説法。
(8)一九九二年四月一日、日本向け「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」スタート。その後ロシア国内向けラジオ放送、テレビ放送、全世界向け英語ラジオ放送がスタートした。



2015年07月06日

コメント

No title

お~、さすがはTD師。
冷静な分析だね。
  • | 2015-07-09 | 元R師 URL [ 編集 ]

預言者

いろいろな薬草とか使うと、潜在意識に入りやすくなって予言とか預言が成就しやすくなるというのもあると おもいます。大預言者は文明の行く末について千年先のことも預言しているのです。
  • | 2015-07-10 | 三橋 URL [ 編集 ]

ミグ

わたしは通訳として早川さんのお手伝いをしていました。
実際にチェコにミグを見にいったりもしました。
ミグはすごく大きくて、車を乗せることも可能でした。ミグの中に入って、ベンチに座ったときの感じは今でも覚えています。ローターが回るとすごい風が起きて、側にある車が飛ぶのではないかと思いました。

ミグを日本に持ってくるのも大変で、仲介の商社の方と何度もやりとりをしましたが、最終的にはポーランドから船で運びました。

ミグが着いた後も、整備が必要で、ロシアの整備士を呼ぶ算段をしていましたが、実際に呼んで整備が行われたのかどうかはわかりません。

ミグを操縦するためにロシアで訓練を受けて免許を取った師もいたそうですが、実際に日本で飛ばすのはなかなか難しかったでしょうね。

あのミグ、今はどこにあるのでしょうか?
  • | 2015-07-11 | U URL [ 編集 ]

Re: ミグ

詳しい情報ありがとうございます。
朝霧の倉庫の敷地で、ブルーシートがかけられたヘリを一度見学に行きました。
あれに乗ったんですね(笑)
なかなか経験できないことですよね…さすがです!
  • | 2015-07-11 | 元TD URL [ 編集 ]

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  • | 2017-03-14 |   [ 編集 ]
      

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