64.黙示録の神とキリスト

九三年当時をふり返ってみると、オウムがどういう宗教だったのか、教祖がなにを考えていたのか、私はあまりにもわかっていなかったと思う。オウムは仏教やヨーガと同じ真理を説き、私たちを解脱に導き救済する宗教だと単純に考えていた。だが、教祖は「キリスト」についても語っていた。教祖がキリストと自分の運命についてふれるのは、『サンデー毎日』による反オウムキャンペーンがなされた一九八九年にさかのぼる。教祖は説法でこう語っている。

「一九八九年九月終わり、グリーンクラフトで休んでいるとき、サハスラーラから『ドン!』と、妙なエネルギーが入ってきた。そして、『イエス・キリストになれ』という言葉があった。これは何かというと、『さらし者になれ』という意味だね。それからサンデー毎日がスタートした。私はイエス・キリストはさらし者だと考えています。そして、そのとおり、さらし者になってきた。私の役目は、さらし者だからそれでもいい。」

「イエス・キリストになれ」という啓示を受けた教祖は、二年後の一九九一年十一月に『キリスト宣言』という書籍の出版をとおして、自らがキリストであること(または、キリストになること)を宣言する。
この本の表紙について、教祖は強くこだわっていた。
「十字架にかけられたキリストを描き、キリストの顔をできるだけ私に似せてリアルに描くように」
デザイン担当のマハー・カッサパ師にこう厳しく指示したという。
私は、編集部とデザイン部とを頻繁に行き来していたので、なん度もやり直しながら教祖の顔に似せて仕上げようとする師の様子が目にとまった。
「リアルに表現したら、どうやってもかっこいい表紙にはならないのにな…」
グルの意思を実現しようと黙々と作業するマハー・カッサパ師を、ちょっと気の毒に思って見ていた。
一九九三年三月には、「キリスト礼拝祭」というサマナ向けの祭典がおこなわれ、教祖は大きな木製の十字架を用意させて、壇上で磔刑のキリストを演じて弟子たちにそれを見せた。
「なぜ、尊師はこういうことをするのだろう?」
とても不可解な思いで、私は壇上の奇妙な「キリスト」を見ていた。
教祖がいつものとおり本気だということはわかったが、そこにどんな意図があるのかはわからなかった。

このようにオウムのなかでは、東洋のヨーガ・仏教と西洋の「キリスト」が入り混じるようになっていた。ただ、宗教は「真理」に至る道だと教えられていた私たちにとって、それは決して矛盾ではなかった。ブッダも真理を説き、イエス・キリストも真理を説き、ヨーガや仙道が目指したのも真理であり、道は違うように見えても、真理という頂をめざしている「宗教はひとつの道」ということだ。
それにしても、仏教――なかでもテーラヴァーダ(上座部仏教)を最高の道と説いていた教祖が、「キリスト」を語ることの意味を深く考えてみる必要があったと今は思う。(1)
教祖は聖書の『ヨハネの黙示録』を解読したとき、そこに出てくる「神」(人の子のような者)が、これまで教祖を導いてきたシヴァ大神にそっくりだと驚いていた。
「私がアストラルでお会いするシヴァ大神と同じだね。シヴァ大神は本当にこういう姿をしているんだよ。足まで垂れている衣を着ていらしてね、全身が光り輝いているんだ。髪の毛もヨハネの言っているとおり真っ白だよ。そして何よりも、シヴァ大神の口からは意外にも牙がつき出しているんだ。」(2)
オウムの主宰神であるシヴァ大神の姿を、教祖が具体的に明らかにしたのはこのときだけだ。
『ヨハネの黙示録』にはこう書かれている。
             *     *     *
「そこで私は、私に呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。
それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。
そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。
その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。
その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。」(第一章十二~十六章)『聖書』(日本聖書協会刊行)
             *     *     *
オウムの主宰神であるシヴァ大神については、それ以外に「ヒンドゥ教のシヴァ神とは違う」「最高の意識の持ち主」「救済者を救済なさるお方」などと言われていた。
教祖はこんなことを言ったことがある。
「あなたがたはシヴァ大神に会えるわけではない。あなたがたには私しかいないんだよ。だから目の前にいるこの私に帰依しなさい」
このようにオウムの信仰の系譜は、弟子はグルである教祖に帰依し導かれ、教祖は弟子を導くグルであると同時に、自らもまたシヴァ大神に帰依し導かれるひとりの僕(しもべ)でもあった。教祖は黙示録にも描かれている「神」の働きかけによって、すなわち神的体験・神秘体験に導かれて「キリスト」になる道を進んでいく。それを「啓示」と呼ぶのか「妄想」と呼ぶのかはともかくとして。(3)
かすかにではあるが、私にはわかるような気がする。私が最初に見た双子のヴィジョン、「やっときたね」というあの声を聞いたからこそ、私は同時に現実に出合っていたオウムに入っていった。このような共時性のなかで、人は拒絶することができない運命を感じる。
神的体験・神秘体験がどれだけ決定的な影響を人に与えるのか、それを知る人はいったいどれほどいるのだろうか。


(1)『南伝大蔵経』の翻訳・研究の結果、ブッダの教えの四乗(ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナ)を包含するのがテーラヴァーダだととらえていた。
(2)月刊『マハーヤーナ』一九八八年十二月。
(3)ある精神科医の話として聞いたところでは、統合失調症患者には「私はキリストだ」「私は神だ」と言う人はたくさんいるが、彼らが抱いている妄想は、せいぜい隣の人にそっと「実は…」とささやく程度で、多くの人を巻き込むほどのエネルギーはないという。




2015年06月17日

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コメント

神の啓示

2か月くらい前に 入り組んだ路地の先に お寺のような 学校のような 西洋と東洋の入り混じった 平屋の建物があり 入り口に 二人の子供がたってる夢をみた。神性をおびたかんじだった。部屋の四隅には お経か何かを書いた木の札が貼ってあった。屋根は白い布製。木でできたステージがある。 
巫女は 数年先でも その日に信者がなにを考えているか把握してる。 というより操っている。それをすごいひとは数百人単位でやる。
その人によれば 東京は滅びるらしい。
  • | 2015-06-18 | 三橋 URL [ 編集 ]

Re: 神の啓示

> その人によれば 東京は滅びるらしい。
滅びるとしたら、それはあなたの内なる「東京」です。
  • | 2015-06-18 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

●イエス・キリストは当時真理とされていたユダヤ教の戒律主義を冒涜したために死刑にされました。
戒律は当時一番尊いとされていたものだったからです。
その後使徒が次々と死刑にされるなどキリスト教徒は厳しい迫害を受け続けましたが、約400年後にローマの国教となりました。

●麻原彰晃は当時真理とされていた生命倫理を冒涜したために死刑にされました。
生命は当時一番尊いとされていたものだったからです。
その後成就者が次々と死刑にされるなどオウム真理教は厳しい迫害を受け続けましたが、約○○年後に日本の国教となりました。

このようなストーリーが本当に成り立つのかはわかりません。
  • | 2015-06-18 | No name URL [ 編集 ]

Re: No title

コメントありがとうございます。

> このようなストーリーが本当に成り立つのかはわかりません。
このようなストーリーが成り立つとは、私には思えません。
  • | 2015-06-18 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

ニトリでは 2年くらい支部活動にいくと、赤羽本部にもどるそうです。
それを本部のひとは2年おきくらいにくりかえしてるそうです。本部のが楽みたいです。
  • | 2015-06-20 | 三橋 URL [ 編集 ]

No title

元TD師には今話題の仏教書『仏教思想のゼロポイント』をぜひ読んでみて欲しいです。


(ミャンマーの国際的にも有名な瞑想センターでの出来事。)彼が私に対して開口一番に「ここで瞑想しても人格は良くなりませんよ」と言ったのである。(p64)

ゴータマ・ブッダの仏教は、私たち現代日本人が通常の意識において考えるような「人間として正しく生きる道」を説くものではなく…そもそもその前提となる「人間」とか「正しい」とかいった物語を破壊してしまう作用を持つ(p65-66)

『ダンマパダ』には、「心が煩悩に汚されず、思いが乱れず、善も悪も捨て去って、目覚めている人にとっては、恐れるものは存在しない」という有名な詩がある(p67)
  • | 2015-06-22 | Aleph信徒みにろ URL [ 編集 ]

No title

>Aleph信徒みにろさん

横からコメント失礼いたします。
なぜこの本をお薦めなのか、理由も記載していただいた方が良ろしいかなと思いました。

ちなみにこの本の著者によると、仏教は非我でなく無我の教えのようですね。
アレフの教えとは逆のような気がしますがどうでしょうか。。

ちなみに修行の才能と人格の高低は別物ですね。
善悪という価値観を超えるのも、仏教的には正しいですね。
ただ一般論として、そのような言説を自己弁護の類に利用しないように注意する必要もあるかと思いました。
  • | 2015-06-23 | ふー URL [ 編集 ]

No title

>ふーさん
オウム真理教の教義をテーラワーダの視点からとらえ直すのに良いと思いました。
日本の仏教思想はテーラワーダから見れば仏教とは呼べない代物です。

オウム真理教を解する場合その糸口として日本の仏教思想を用いていたのでは正しい解釈ができるはずもありません。
しかし世に言う専門家や仏教関係者はそれを行ってきました。

それが良いか悪いかはわかりませんが(厳密に言えばテーラワーダの日本の大乗に対する優位を示す根拠がないので)、本来あるべき客観的態度としてはやはり参考程度にしても読んで欲しいと思いました。


ちなみに著者は「無我」ではなく厳密には「無記」を支持していますし、しかしながら「非我」説にもその解釈は可能であることを明記しています。
それに無記にしろ非我にしろ、否定神学的にアプローチするのかあるいは仮想的に真我の存在を「有る」とするのかその違いしかないと僕は思っているのであまりその議論には重要性を感じません。
やっぱり尊師の言っていた通り体験するしかないのではないでしょうか。
  • | 2015-06-24 | Aleph信徒みにろ URL [ 編集 ]

Re: No title

みにろさん、ふーさん、コメントありがとうございます。

> 元TD師には今話題の仏教書『仏教思想のゼロポイント』をぜひ読んでみて欲しいです。
みにろさん、本屋さんで見つけたら見てみますね。

ただ、私は仏教思想でオウム事件を理解したいとは思っていないのですね。
あのとき、この日本で「オウムという現象」が起こったこと、そのことを理解したいと思っています。
教祖は「キリストになれ」という声を聞き、その後「ヴァジラヤーナ」に突っ込み「さらし者」になります。
私が知りたいのは、「キリストになれ」と教祖に言ったのはだれか? ということなのです。
  • | 2015-06-24 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

元信者です。なぜ、事件が起きたのか。いろいろ本を読むことをお薦めます、
オウム事件17年目の告白 上祐史浩
革命か戦争か 野田成人
A3 森達也
洗脳原論 苫米地英人 (U正悟師のマインドコントロールを解いたプロセスを詳しく書いてある)
  • | 2015-06-24 | HH URL [ 編集 ]

No title

> 元TD師
なるほど。わかりました。
本はたぶん大きめの書店では平積みにされていると思います。Amazonの仏教書ランキングでも1位なので。たぶん歴史的にも残る名著だと思います。
  • | 2015-06-24 | Aleph信徒みにろ URL [ 編集 ]

横から失礼します

元TDさま
>私が知りたいのは、「キリストになれ」と教祖に言ったのはだれか? ということ
ここでのコメントのやり取りを伺っていて、その問い、唐突に聞こえました。そういうことが分かるものだと思われておられるのでしょうか?

確かに、『仏教思想のゼロポイント』は、いわゆるプロの間でも評判になっていますね。ある僧侶の講演会で、筑摩の編集の方が、「他社の本ではありますが」と聴講者方々に勧めていました。オウム事件の真相を探るという観点からは、ちょっと外れてしまうでしょうが、オウムの元修行者の方々には、気に留めておいていただきたい一冊ではあります。

  • | 2015-06-24 | 匿名 URL [ 編集 ]

Re: No title

> > 元TD師
> なるほど。わかりました。
> 本はたぶん大きめの書店では平積みにされていると思います。Amazonの仏教書ランキングでも1位なので。たぶん歴史的にも残る名著だと思います。

みにろさん。
私たちがオウムに出会ったとき、教祖はとてもわかりやすく本当の仏教(ブッダが説いた真理)はこうなんだと語り、修行によってそれを経験できると説きました。仏教ってお葬式をするものだと思っていたので、それは新鮮でしたね。

ご紹介くださった本もそうなのかもしれませんが、オウム事件から20年たって、日本の仏教も変わってきたように思います。
以前、ある僧侶の活動を紹介する番組を観ました。事件当時禅宗の僧侶だった山下良道氏は、オウム事件を契機に曹洞宗を離れ、テーラヴァーダ仏教(上座部)の瞑想を極めるためにミャンマーに渡ったといいます。
「オウムがきっかけだった」
そう語る彼の言葉の意味が、番組のインタビュアーにはわからないようでした。普通の日本人は、オウムは狂ったカルト集団であり、まともな宗教の範疇で語ることはできないと思っているから、教育テレビ「心の時代」で紹介する徳の高い僧侶の修行の動機が「オウム事件」だった、ということは理解できなかったのでしょうね。
番組ではあえてそこにはつっこまず、ミャンマーの僧院に入ってからの修行の様子を聞いていました。
オウム事件をきっかけに自身の修行を深めようとしたと公言する僧侶がいることに、私は新鮮な驚きを感じました。そして、もっと詳しく知りたいと著書を読んでみました。

「私にとって仏教1.0(仏教1.0とは日本の伝統仏教のこと・引用者注)が終わったのは、一九九五年三月二十日。つまりオウム真理教が地下鉄にサリンを撒いた日です。
あの事件が起きて、私はもうとても1.0のお寺にはいられなくなりました。以来、私は一度も1.0のお寺には住んでいません。
オウム真理教を生み出したのは日本仏教だったと、私は思っています。オウム真理教の信者となった人たちは、本来なら日本仏教が受け容れなければいけなかった人たちです。しかし、その人たちを受け容れなかった。受け容れられるような場所すらない。そのことの責任は重大です。しかも、その落とし前もつけないまま、ずるずるといった。これだけのことが起こったのに、それが日本の宗教、仏教のあり方に対する根本的問い直しにつながっていかないなんて、これはもうとてもじゃないけれど1.0のなかにはいられないと思いました。
オウム真理教は、奇矯な集団のように取り上げられがちですが、日本仏教の鬼子のようなものです。けっして他人事ではないのです。」(山下良道『青空としてのわたし』)

山下氏は一九五六年生まれで、科学と経済の高度な発展のなかで育ったオウム世代です。当時の社会の流れに反発して、真理を求めた山下氏は、オウムの実行犯が「エゴを捨てる修行」としてグルの命令に従ったことを、とても他人事とは思えなかったといいます。伝統仏教の修行でも、無理難題を受け容れ、エゴを放棄しようとするのは決して珍しいことではないようです。
山下氏の現在の活動が、オウム事件の「落とし前」をつけられるものなのか、私にはわかりません。ただ、事件をきっかけに日本の宗教、仏教のあり方を根本的に問い直し、真摯に修行を求めた僧侶がいたことに、二十年目にしてはじめて、ほんの少しなにかが癒される気持ちがしました。
  • | 2015-06-25 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: 横から失礼します

> ここでのコメントのやり取りを伺っていて、その問い、唐突に聞こえました。そういうことが分かるものだと思われておられるのでしょうか?

すみません。たしかに唐突でしたね。
私は「オウムとはなんだったのか」という問いをずっと追いかけてきました。このブログはその記録で、大部分は書き終えているのですが、まだ全体を読んでいない方には唐突に聞こえてしまったでしょう。私の勇み足です。申し訳ありません。
そういうことが分かるものかどうかは、やはり全体を読んでもらってからになりますね。
まだ先は長いので、気長にお付合いくださればうれしいです。

  • | 2015-06-25 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> 元信者です。なぜ、事件が起きたのか。いろいろ本を読むことをお薦めます、
> オウム事件17年目の告白 上祐史浩
> 革命か戦争か 野田成人
> A3 森達也
> 洗脳原論 苫米地英人 (U正悟師のマインドコントロールを解いたプロセスを詳しく書いてある)

情報をありがとうございます。
ご紹介いただいた本は読んでいます。
  • | 2015-06-25 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

写真は撮る人の 心の状況を あらわしてると思う。
  • | 2015-06-25 | 三橋 URL [ 編集 ]

「キリストになれ」と教祖に言ったのはだれか?

教祖とは?「キリストになれ」と教祖に言ったのはだれか?
私もいろいろ考え、過去の「トワイライトゾーン」や「ムー」などの当時のオウムの記事や教祖の修行当時の体験談を読みあさったりして検索しましたよ。
 瞑想やエネルギー身体を活用した修行は下位アストラル(幽界、魔界)に通じ安くその次元の世界の存在に干渉され魔境に陥る危険性も多々あると思います。
 「トワイライトゾーン」での教祖の修行当時の体験談の一つに宇宙人らしき女性が現れ
「私はあなたの守護神です。」と言われた等の記実もあります。 

 教祖とは?「キリストになれ」と教祖に言ったのはだれか?
のヒントになりそうなブログ等も紹介しておきますね。

 

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  • | 2015-06-25 |   [ 編集 ]

No title

聖書をはじめて読んだときに 網膜にさまざまな残像があらわれては消えていく 目をつぶっても それまでの人生にあったこととか 心のうちにあったものが残像としてあらわれてくる そんな状態が2-30分続きました。あの本は うかつに読まないほうがいいですよ。まるでパソコンのハードディスクをごっそり書き換えられてるみたいな感覚でした。放心状態。
  • | 2015-06-26 | 三橋 URL [ 編集 ]

元R師のブログを見ていて、このブログの話が出て以来、ずっと拝見させていただいています。

本文とは話がずれる話ですが、ふと思いましたので、コメントに書かせていただきます。

教団の真理という機関紙に、オウム真理教と大本教の類似性が書かれていたことがありました。

あくまでも、私の個人的見解では、麻原グルの前生は、出口王仁三郎で、当時の教団の人たちも、多く転生してるのではと思います。

私が教団時代、なんとなく出口王仁三郎に興味がある程度でしたが、脱会後に出口王仁三郎全集を読んで、麻原グルの説法と瓜二つといいますか、転生しても同じようなことをするんだなと、目が点になりました。

出口王仁三郎は、宗教家でありながら、政治に進出したり、蒙古に進出したり、一説によると天皇になり代わり王になろうとした話もあります。

一見、出口王仁三郎の行動は、周りから見ると確かに破天荒なのですが、心の純粋さと、よりよい世界にしたいという強い思い、阿修羅的な個性等々あったようです。

その時の思いやカルマが、そのまま今生の麻原グル、教団に影響を与えていて、今生の教団の諸々の出来事について知るきっかけになるように思います。

なんでこのようなことをしたんだろうという内容も、その因があるからです。

私は仏教やヨーガの修行は価値あると思います。

今回の話は、智慧を磨くという意味で、自分たちのカルマの証智をする機会として、または類似性のある他教団を見て、我がふり治すと意味では価値があるのではと思います。

教団時代もありましたが、過去生がどうこうと興味本位の話では、あまり意味はないでしょうが。

生きているのは今この瞬間ですから。

大本教の人にこのようなことを言いますと、とても失礼かもしれませんが、歴史も人の転生も同じようなことを繰り返すんだなあと思うところがありました。

教団を絶対化するのでなく、相対化することで、良いこと、悪いことが見えてくるように思います。

私は教団で、十年以上、修行して来ましたので、元TD師様のブログは感慨深いものがありますね。

コメントの内容が場違でしたら、申し訳ありません。

元TD師様とブログに来られている方の幸福と健康御祈りしております。
  • | 2015-06-26 | 元信者 URL [ 編集 ]

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。お返事が遅くなりました。夏至からいろいろなことがあって、しばらくお休みしていました。
記事を読んでくださっているとのこと、ありがとうございます。
大本教の二大聖地、綾部と亀岡を訪ねたことありますよ、もちろんオウム事件後ですけどね。お筆先を見たときは電気が走りました。王仁三郎の耀盌には圧倒されてもう一度見たいな、と思います。出口日出麿の著書はかなり読んだかもしれません(笑)
教祖も王仁三郎も「弥勒」あるいは「スサノオ」という同じエネルギー・パターンからあらわれたと考えれば、彼らの人生や教義や教団がどことなく似ていても当然かもしれません。それを「輪廻転生」として語ることもできるでしょうね。
オウムは強烈な世界だったから、それを理解するためにさまざまなことを考えさせられましたね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
  • | 2015-07-07 | 元TD URL [ 編集 ]

88年12月

神仙の会から真理教に改称したのが、この前年の87年で、88年8月には富士山総本部道場ができ、全国の支部から大勢の信徒が集まり、教祖もご機嫌のようで、これからも信徒の意見を入れて教団運営していきたい、というような話しをされていました。カールリンポチェ師やガウアンさんも来られてました。で、88年12月 支部道場で教組の最後の特別イニシエーションを受けさせて頂いたのですが、その時に実は、驚愕すべき話しを聞いてしまいました。今さら明かすのもどうかと思いますが、このブログの始まる直前の出来事として何かの参考になれば。〜今後、20世紀末に向けて、大きな戦いが起きる、その首謀者として、勝ち残るのが、真理の実践をなす、修行者で、新人類である、云々と。『滅亡の日』でヨハネの黙示録を解読直後のことであり、渡仏してノストラダムスの史料入手するのは、このニカ月後の話しです。それらの資料の解読は、いわば確信する為の確認作業のようなもので、かなり以前からTZやムーなどにも寄稿されておられましたが、未来ビジョンをご覧になられているようでした。そして、人類と地球規模の救済と、弟子達の修行環境を確保、これらのことしか教祖とシヴァ大神はお考えになられていなかったのではなかろうか、と小生は最近特に思うのです。このブログの最新記事でも話題となっておるようですが、この視点なしに、一連の事件を理解するのは無理がありますまいか?
  • | 2015-12-13 | 元 直弟子 URL [ 編集 ]

No title

>神的体験・神秘体験がどれだけ決定的な影響を人に与えるのか、
>それを知る人はいったいどれほどいるのだろうか。

本当にそう思います。
  • | 2016-01-05 | モトサマ URL [ 編集 ]

No title

はじめまして、いつもブログ拝読させていただいています。
一つ気になったのですが、テーラヴァーダを最高の道だと説いている出典は麻原氏の著作の中にも見られますか。また、もし著作中にあるのであれば麻原氏のどの著作でしょうか。
突然の質問で申し訳ありません。
部外者の私から見ているとオウム真理教の教義や修行はクンダリニーヨーガやナーローの六法などのチベット仏教(その中でも密教)的な要素がかなり濃いように見えていたので、テーラヴァーダを最高の道と位置づけている麻原氏のその発言がどのような文脈の元に語られているのか気になり質問させていただきました。
もしよろしければ教えていただければと思います。
  • | 2016-06-01 | 読者 URL [ 編集 ]

Re: No title

> はじめまして、いつもブログ拝読させていただいています。

読んでくださって、ありがとうございます。

> 一つ気になったのですが、テーラヴァーダを最高の道だと説いている出典は麻原氏の著作の中にも見られますか。また、もし著作中にあるのであれば麻原氏のどの著作でしょうか。

教祖の著作にあるかどうかは、著書を持っていないので確認することができないのですが、おそらくないのではないかと思います。そもそも教祖の著書として出版されているものは、教祖の説法全体のごくごく一部ですし、内容も一般の人と在家信徒向けですから、教義の全体を見るためには著書では質・量ともに不十分だと思います。

> 部外者の私から見ているとオウム真理教の教義や修行はクンダリニーヨーガやナーローの六法などのチベット仏教(その中でも密教)的な要素がかなり濃いように見えていたので、テーラヴァーダを最高の道と位置づけている麻原氏のその発言がどのような文脈の元に語られているのか気になり質問させていただきました。
> もしよろしければ教えていただければと思います。

これについては直弟子向けに説法しています。
ここで私は「テーラヴァーダ」という言葉を使いましたが、スマナサーラ長老などの著書が普及している現在、誤解を招くと思いますので「南伝」と言い換えたいと思います。
インド・中国・日本へと伝わった仏教を「北伝」として、インドから南方に伝わった仏教を「南伝」とします。(教祖は、チベット密教については「南伝」的な要素がかなり含まれていると考えていました。)

教祖が「北伝」の最終段階と「南伝」の最終段階について解説したとき、後者を「無上最上のヤーナ」であり守護神はシヴァ大神であると言っていますから、教祖が目指していたものは「南伝」の最終段階であることは間違いありません。
ただ、ほとんどの弟子はヒナヤーナの修行をしていましたから、オウム真理教の修行が「クンダリニーヨーガ」や「六ヨーガ」が中心であるように外から見えるのは当然だと思います。
一般にテーラヴァーダや「南伝」といった場合、ヒナヤーナ的な印象がありますが、教祖が言っている「南伝」の最終段階とはヒナヤーナとは逆のスケールの大きな広大無辺な空を意味しています。おおまかにいえば、ブッダの教えを最も忠実に残しているのが「南伝」であり、その到達点はブッダ。「北伝」の到達点はよりスケールの小さいブッダであるということだと思います。
このような説明をしている説法は長いものですので、引用はひかえさせていただきます。
  • | 2016-06-01 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

元TD様

質問に対してご丁寧にお答えしていただいてありがとうございます。

一つ気になったのですが、
>教祖が言っている「南伝」の最終段階とはヒナヤーナとは逆のスケールの大きな広大無辺な空を意味しています。おおまかにいえば、ブッダの教えを最も忠実に残しているのが「南伝」であり、その到達点はブッダ。「北伝」の到達点はよりスケールの小さいブッダであるということだと思います。

というような教祖の見解、特に「南伝」の最終段階であるとする「スケールの大きな広大無辺な空」に関する理解などはパーリのどの経典に拠っているのでしょうか。
スケールの大きな広大無辺な空と言われると、大乗経典の華厳経に説かれている「重々無尽の法界縁起」などが思い浮かぶのですが、それよりも宗教的に高いレベルにある「スケールの大きな広大無辺な空」というものがパーリ仏典において説かれているということなのでしょうか。

ぶしつけな質問に見えたらすみません。純粋に気になったので質問させていただきました。
  • | 2016-06-07 | 読者 URL [ 編集 ]

No title

もう一つ質問させてください。

麻原氏の仰っている「テーラヴァーダ」とは仏教の宗派としてはどの宗派なのでしょうか。いわゆる部派仏教の内の「南伝」の一つである現在、東南アジア信仰されている上座部なのか。或いは、部派仏教全体を指しているのか。もしご存知であれば教えてください。
度々の質問、申し訳ありません。
  • | 2016-06-07 | 読者 URL [ 編集 ]

如来は無量である

読者さん

>教祖が言っている「南伝」の最終段階とはヒナヤーナとは逆のスケールの大きな広大無辺な空を意味しています。おおまかにいえば、ブッダの教えを最も忠実に残しているのが「南伝」であり、その到達点はブッダ。「北伝」の到達点はよりスケールの小さいブッダであるということだと思います。

というような教祖の見解、特に「南伝」の最終段階であるとする「スケールの大きな広大無辺な空」に関する理解などはパーリのどの経典に拠っているのでしょうか。
スケールの大きな広大無辺な空と言われると、大乗経典の華厳経に説かれている「重々無尽の法界縁起」などが思い浮かぶのですが、それよりも宗教的に高いレベルにある「スケールの大きな広大無辺な空」というものがパーリ仏典において説かれているということなのでしょうか。


南伝大蔵経の中に仏陀がアーナンダの質問に対して答えている言葉があるので紹介します。


増支部経典>三集>第三 アーナンダ品 (『南伝大蔵経17 増支部経典1』大蔵出版 P370~373)


「ときに尊者アーナンダは世尊を訪ねた。

訪ねて世尊に敬礼して一方に座った。

一方に座って尊者アーナンダは世尊にこう言った。


世尊、私はこのように世尊の面前で聞き、面前で受け取りました。

「アーナンダ、シキン如来にアビブーという名の弟子がいて、
ブラフマーの世界(梵世)に立って千世界に声を認識させた」と。
 
では世尊、阿羅漢・正覚者である如来はいくつに声を認識させることができるのですか。


アーナンダ、彼は弟子である。如来は無量(量れない)である。


再び尊者アーナンダは世尊にこう言った。

世尊、私はこのようにの面前で聞き、面前で受け取りました。

「アーナンダ、シキン如来にアビブーという名の弟子がいて、
ブラフマーの世界(梵世)に立って千世界に声を認識させた」と。
 
では世尊、阿羅漢・正覚者である如来はいくつに声を認識させることができるのですか。

 
アーナンダ、彼は弟子である。如来は無量である。


三たび尊者アーナンダは世尊にこう言った。


世尊、私はこのように世尊の面前で聞き、面前で受け取りました。

「アーナンダ、シキン如来にアビブーという名の弟子がいて、
ブラフマーの世界(梵世)に立って千世界に声を認識させた」と。

では世尊、阿羅漢・正覚者である如来はいくつに声を認識させることができるのですか。


アーナンダ、あなたはその小世界を聞いたか。


世尊、今がその時です。善きところに達した方、今がその時です。
どうか世尊は説いてください。世尊から聞いて比丘たちは受持するでしょう。


それではアーナンダ、聞いて善く考えなさい。説こう。


「はい、世尊」と尊者アーナンダは世尊に応えた。世尊はこう言った。


アーナンダ、月と太陽が運行し、諸々の方角を照らすだけの世界(一世界)がある。

その千倍の世界がある。

その千世界には、千の月、千の太陽、千のシネールという山の王(須彌山王)、千のジャンブディーパ(閻浮提)、
千のアパラゴーヤーナ(西牛貨)、千のウッタラクル(北倶盧)、千のプッバヴィデーハ(東勝身)、千の四海洋、
千の四大王たち、千の四大王(天)、千の三十三(天)、千のヤーマ(夜摩天)、千のトゥシタ(都卒天)、
千のニンマーナラティ(化楽天)、千のパラニンミタ・ヴァサヴァッティ(他化自在天)、千のブラフマーの世界(梵世)がある。


アーナンダ、これが小さい千の世界(小千世界)と言われる。

アーナンダ、小さい千の世界を千倍にした世界がある。

アーナンダ、これが第二の中なる千世界(中二千世界)と言われる。

アーナンダ、第二の中なる千世界を千倍にした世界がある。
 
アーナンダ、これが第三の大なる千の千世界(三千大千世界・千の三乗の世界・十億世界)と言われる。


アーナンダ、如来は望むならば第三の大なる千の千世界に声を認識させる。あるいは望むだけ。


世尊、では如来はどのように第三の大なる千の千世界に声を認識させるのですか。あるいは望むだけ。


アーナンダ、ここに如来は第三の大なる千の千世界(十億世界)を光で満たす。
そのかぎりの生ける者たちがその光明を知覚したならば、そのとき如来は音を発して声を聞かせる。
アーナンダ、このように如来は第三の大なる千の千世界に声を認識させる。あるいは望むだけ。

 
このように言われて尊者アーナンダはこう言った。

ああ私に利得がある。ああ私に善き利得がある。私にはこのように大神通・大威力ある師がいる。


このように言われて尊者ウダーイは尊者アーナンダにこう言った。


友アーナンダ、君の師がこのように大神通がありこのように大威力があるとして、それが君の何になるのか。


このように言われて世尊は尊者ウダーイにこう言った。


ウダーイ、そのようであってはならない。ウダーイ、そのようであってはならないのだ。

ウダーイ、もしアーナンダが貪りを離れずに死ぬとしても、その心の浄信によって七たび神々の間で天王となり、
七たびこのジャンブディーパにおいて大王となるだろう。

ウダーイ、さらにまたアーナンダは現世において般涅槃(無上の平安に到達)するだろう。

  • | 2016-06-07 | 至福 URL [ 編集 ]

Re: No title

> 一つ気になったのですが、
> >教祖が言っている「南伝」の最終段階とはヒナヤーナとは逆のスケールの大きな広大無辺な空を意味しています。おおまかにいえば、ブッダの教えを最も忠実に残しているのが「南伝」であり、その到達点はブッダ。「北伝」の到達点はよりスケールの小さいブッダであるということだと思います。
>
> というような教祖の見解、特に「南伝」の最終段階であるとする「スケールの大きな広大無辺な空」に関する理解などはパーリのどの経典に拠っているのでしょうか。
> スケールの大きな広大無辺な空と言われると、大乗経典の華厳経に説かれている「重々無尽の法界縁起」などが思い浮かぶのですが、それよりも宗教的に高いレベルにある「スケールの大きな広大無辺な空」というものがパーリ仏典において説かれているということなのでしょうか。

読者様
ご質問、本当にうれしく思います。(オウムについてまっとうな質問をされることが稀ですから…)
オウムで出版された本や雑誌で読むことができる原始仏典研究は、私が調べたところでは以下になります。教祖の見解が具体的にどの経典によるものかはわかりません。至福さんが示してくださった内容はまさに如来(オウムの訳語では真理勝者)の広大無辺なスケールをあらわしていますね。

雑阿含経・五蘊相応
梵網経
神足相応
沙門果経
転輪獅子吼経
三十二相経
サクルダーイ大経
サクルダーイ小経
賢愚経
天使経
覚支相応
チャートゥマ経
愛生経
ラッタパーラ経
念処相応
根相応
アパダーナ
施分別経
増支部経典八集第四『布施品』
カディラ樹炭火輪廻転生談
ガティーカーラ経
パーヤーシ経
女性相応
ウサギ輪廻転生談
大完全煩悩破壊経
「全力」輪廻転生談

「書籍になっているもの」
道相応
預流相応
真理相応
転輪獅子吼経
念処相応
根相応
梵網経
ナンダマーター経
パーラーヤナ経
  • | 2016-06-08 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

> 麻原氏の仰っている「テーラヴァーダ」とは仏教の宗派としてはどの宗派なのでしょうか。いわゆる部派仏教の内の「南伝」の一つである現在、東南アジア信仰されている上座部なのか。或いは、部派仏教全体を指しているのか。もしご存知であれば教えてください。

私見ですが、『南伝大蔵経』を経典として、ブッダになるための修行を実践しているすべての宗派が、教祖の考えている「テーラヴァーダ」ではないかと思います。
  • | 2016-06-08 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: 如来は無量である

至福さん

適切な引用をありがとうございます。
  • | 2016-06-08 | 元TD URL [ 編集 ]

Re: No title

読者様

最新記事「ご質問を受けて」の方に、参考になりそうな引用をしました。
  • | 2016-06-11 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

>至福様
具体的に経典から引用してくださり、ありがとうございます。

 アーナンダの「シキン如来の弟子であるアビブーはブラフマーの世界に立ち、千世界に声を認識させるが如来はいくつの世界に認識させられるか」という質問に対し、
世尊が「アーナンダ、彼は弟子である。如来は無量である。 」と仰られているのはわかりました。

 そして、その後にアーナンダが同様の質問を三度されて世尊が答えられた内容、「世界は十億世界あり、如来は望むならば十億世界に声を認識させる。あるいは望むだけ。」及び「世界は十億世界あり、如来は十億世界を光で満たす。そのかぎり生ける者たちがその光明を知覚したのであれば、如来は音を発して聞かせる」と。

 シキン如来の弟子であるアビブーが「千世界に声を認識させる」のに対して、如来は「十億世界に対して望むならば声を認識させること」及び、「十億世界を光で満たす。そのかぎり生ける者たちがその光明を知覚したのであれば音を発して聞かせる」ことができると。

 この上記の如来の能力が「無量」ということであり、南伝の最終段階である「スケールの大きな広大無辺な空」ということなのでしょうか。また、このような能力を持つことが南伝の到達点であるブッダになるということなのでしょうか。
  • | 2016-06-12 | 読者 URL [ 編集 ]

No title

>元TD様

オウムで出版された本や雑誌で読むことができる原始仏典研究を一覧でまとめてくださってありがとうございます。大変参考になります!
最新記事の「ご質問を受けて」拝読させていただきました。質問に対してご丁寧にお答えくださり、ありがとうございます。
最新の記事と、ここでお答えいただいたコメント、しばし時間を掛けて咀嚼させていただきたいと思います。
  • | 2016-06-12 | 読者 URL [ 編集 ]

横レスです

横レスで大変失礼します。南伝というか、「原始仏教」という方が、今の日本人には解かりやすいでしょうね。昭和の初めに、たしか友松円諦師がラジオで阿含経などの原始仏教の解説をはじめたのがきっかけで、ブームとなり、この文脈上で理解すべきではないでしょうか。1980年代の前半には中村元先生の「真理のことば・感興のことば」(岩波文庫)が出版されました。85年頃に「スッタニパータ」も出たと思います。この第5章を翻訳しなおしたのが「パーラーヤナ(最高の要点」で、『タターガタ・アビダンマ 第3誦品』に掲載されました。以下のサイトでご覧いただけます(主要~関係リンク集>~疑惑・隠れ~関係>オウム真理教非公式サイト>書籍3より)このサイトの『原始仏典講義一』(上記の雑阿含経・五蘊相応~沙門果経までを教祖の解説付きで読むことができます)はたいへんお薦めです。昔、一部の在家・出家の信者の方々が熱心にこれを読む姿をよく見かけたものでした。因みに、この次の第4誦品は南伝・真理相応そのもので、これも解説付きです。片山一良先生らの翻訳は最近の話で、当時は読みやすい現代語訳は貴重でした。91~92年頃、在家のコースも「テーラヴァーダ」コースが新設され、小生もそっちに移り、毎月「仏典研究」という雑誌が送られてきてました。そういえば、昨年30年ぶりに講談社学術文庫から荒牧先生らの訳で「スッタニパータ」出版されましたが、ご覧になられましたでしょうか。元オウム関係では、原始仏典・和訳@和井恵流はお薦めです。
  • | 2016-07-07 | サトミ URL [ 編集 ]

追加・訂正

友松円諦師の解説 阿含経 ⇒ 法句経(漢訳のダンマパダ・真理のことば)と書いた方が正確でしたかね。その後、阿含経の解説もされていたかもしれませんが、最初のブームは法句経からの引用・解説だったはずです。CDやカセットテープで聴講した記憶があります。オウムに入るずっと前から、講談社学術文庫などで友松円諦著作は愛読しておりました。
  • | 2016-07-14 | サトミ URL [ 編集 ]

No title

ほとんど自己レス>
もう一冊、おすすめがありましたので、記載しておきます。
同上サイト>書籍2より 『マハーヤーナ・スートラ part2』1991年初版
①増支部経典八集第四「布施品」②相応部大篇第十一「預流相応」③相応部大篇第一「道相応」と道相応以外は、ほぼ在家向きの南伝大蔵経翻訳(ヴァンギーサ師=杉浦茂氏ら翻訳)が読めます。経典、教祖の講和、信者の体験談の三部構成になっています。興味ありましたら、是非ご覧になって下さい。
  • | 2016-09-29 | サトミ URL [ 編集 ]

No title

レベルの高いお話で大変参考になります。。
  • | 2017-03-03 | タマスなオウマー URL [ 編集 ]

Re: No title

> レベルの高いお話で大変参考になります。。

ここのコメント欄読み直したら、内容が濃くて私もビックリでした(笑)
  • | 2017-03-04 | 元TD URL [ 編集 ]

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  • | 2017-03-14 |   [ 編集 ]

七つの教会

(出口王仁三郎のアストラル体験も尊師と同じで背中を掴まれてアストラルへ飛んでいくそうです。尊師の場合はシヴァ大神に背中を掴まれて飛んでいくそうです。)

黙示録の2章-3章は有名な7つの教会へ宛てた手紙があり、
7つの大きな苦労とそれに対する素晴らしい報いについて書かれています。

宗教書、神話、昔話などは占星術の用語が隠されていることが多く、昔の科学・宇宙観を宗教神話の物語で語っているものが大変多いです。
詳しい説明は省略しますが、黙示録の七つの教会(エペソ、スミルナ、ペルガモ、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)も昔の占星術で使われた七つの天体に対応します。
例えばエペソは月の女神アルテミス崇拝が盛んな町でした。
その他の対応関係は

スミルナ:木星
ペルガモ:土星あるいは木星
ティアティラ:金星(「真鍮」「明星」の占星術での意味から)
サルデス:水星
フィラデルフィア:太陽
ラオディキア:火星

そしてこの順序がちょうど尊師の誕生日1955年3月2日の天体の順番に一致します。
それは占星術のソフトを使っても、1955/03/02の天体位置は簡単に確認できます。

昔の尊師の解釈では「シヴァ大伸から尊師へのメッセージ」である、とのことでした。
私個人は2000年前に7つの教会を使って尊師を予告したのだと勝手に信じています。

以下は聖書の引用です。

エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。

しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。(ヨハネの黙示録、2章1節-7節)
  • | 2017-04-18 | 和合萬年 URL [ 編集 ]
      

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