60.言ってみればそれだけのこと…

教祖と縁のあった高名な宗教家には、パイロット・ババ、ダライ・ラマ法王、カル・リンポチェ帥、テーラヴァーダ仏教のアーナンダ・マイトリー長老などがいた。彼ら以外にも、チベットやブータン、スリランカを訪れた際に、教祖は現地で評判の高い修行者と会って、瞑想体験について、経典の解釈について意見を交わしていた。宗教家に限らず、ブータン、スリランカ、ロシア、国賓として迎えられたラオスなどでは、国王や政治家とも会談した。外国の要人と会って握手をしている写真は教団にはくがつくので、私はそういう写真をたくさん撮影した。そのなかで一番印象的だったのはブータンのジグミ・シンゲ・ワンチュク国王(*)だ。民族衣装の上に明るい黄色の布をまとった精悍な顔立ちの国王が謁見室にあらわれると、一瞬でその場を支配する強烈なオーラを感じた。
「これこそ、本物の王様だ…」
ダライ・ラマ法王や、カムトゥール・リンポチェ、さまざまな宗教家との会見の場に居合わせても特別なものは感じなかったが、ブータン国王は、そのまま馬にまたがって弓を持って狩に出かけたとしても不思議ではない武人の風格があり、統治者である王の威厳があった。
写真を撮るのも忘れて王様に見惚れていると、当時九歳のアーチャリー正大師がすっと寄ってきて、ささやいた。
「お姉さん、目が、ハートになってるよ…」

また、スリランカを訪問したときの忘れられないエピソードがある。そのとき通訳を務めたのはシンハラ人の男性で、年齢は三十代後半、浅黒い肌で大きな黒い瞳で名前は知らない。彼はシンハラ語を日本語に通訳するために雇われていた。
訪問先から首都コロンボへ戻るバスでのことだった。立ち寄り先の多い急ぎの旅だったのでバスの席は特に決まっておらず、乗り込んだ順にバラバラに席についていた。私は前から三列目の通路側にすわって、教祖は通路を隔てた四列目の席にすわっていた。すでに陽は落ちて車内も暗く、疲れがたまっていた私たちは、動き出したバスに揺られるといつものようにすぐに眠ってしまった。
ふと、教祖の話し声が聞こえてきた。どうやら教祖は後ろの席にすわっている通訳と会話しているようだ。私はうとうとしながら聞くとはなしに話を聞いていた。
「私は小さい頃から僧にあこがれていました。瞑想して、解脱する人にです。今、私は結婚して子どもも一人います」
「お子さんは、いくつですか?」
「まだ五歳です。女の子です。私は、家庭を守り、子どもを育てなければなりません。でも、修行したいという小さい頃からの夢は、今も忘れていません。解脱する望みも捨てていません。年をとったら、森に入って修行者になりたいと思っています。老人になってからでも、できますか?」
「できますよ。結婚していても、修行することはできますよ。私もそうでしたから」
「尊師さま、教えてください。解脱というのは、それは、いったいどんなことですか? どんなふうになることなのですか?」
「それは…経験が根づかない…というのかなあ。たとえばね、なにかを食べるとします。そうすると、それが美味しければ、その美味しさを求めてまた食べたいという心の欲求が生じますね。解脱すると、肉体と心とは分離されていて、味覚はあって美味しいと。しかし、次に、またそれを食べたいという気が起きない。一度食べる、そのときは新鮮です。そしてまた食べてもはじめてのように新鮮。一回一回が新鮮です。だから絶えず、一回目の感覚です。解脱の状態というのは、言ってみればただそれだけのこと…ではあるのです、けれども、ね…」
教祖の言動を記録するのがワークだった私は、思わず教祖に言った。
「尊師、それテープにとっておかないと…」
「なんだ、聞いていたのか。さすがだな」
見渡すと暗いバスのなかで起きていたのは、教祖と通訳と私だけのようだった。

「言ってみればそれだけのこと…」を、通訳の男性がどこまで理解したのかはわからない。私は教祖の説明を聞いて、解脱した人というのは十二縁起の二番目の「行」、オウムでは「経験の構成」と訳しているものが、止滅しているんだなと思った。一回限りのたった一人の通訳の質問にも、教祖は弟子に答えるように話していた。国王でも法王でも大臣でも通訳でも信徒でも、だれを相手にしても教祖の態度はまったく変わらず、話す内容はダルマ(法)についてだけだった。
少なくとも、私が見ていたあいだ、例外は一度もなかった。


*十二縁起の法→「無明」「行」「識」「名色」「六処」「触」「受」「愛」「取著」「有」「生」「苦」
<オウムの訳語>
十二の条件生起の段階→「非神秘力」「経験の構成」「識別」「心の要素‐形状‐容姿」「六つの感覚要素と対象」「接触」「感覚」「渇愛」「とらわれ」「生存」「出生」「苦しみ」

*お会いしたのはブータンの前国王。二〇〇六年長男の現国王に譲位。


2015年06月06日

コメント

No title

深いですね。
解脱の状態をそういう風にとらえるのははじめて聞きました。
参考になります。
  • | 2015-06-10 | Aleph信徒みにろ URL [ 編集 ]

No title

面白いなあ。
まるでTD師に聞かせるために話をしているみたいだね。

話の内容自体は神仙の会の頃に説法で説かれていたけど、問題はその先。
「けれども、ね」の後に何を言ったのかってことだね。
  • | 2015-06-10 | 元R師 URL [ 編集 ]

Re: No title

> 話の内容自体は神仙の会の頃に説法で説かれていたけど、問題はその先。
神仙の会の頃の説法をすべて読み直してみると、あの頃もうほとんどすべてが語られていますよね。
その後は仏典に照らし合わせて、解釈を進めていっただけで、全体像は最初に明らかだったと思います。
  • | 2015-06-10 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

ひとは死んだらどうなるのでしょうか? 熱海の海岸で数千年すごすのでしょうか?
  • | 2015-06-12 | 三橋 URL [ 編集 ]

Re: No title

よくわからず、先ほど観ました。エルサレムの風景ありがとうございました。
  • | 2015-06-13 | 元TD URL [ 編集 ]
      

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