6.弟子たち

月刊『マハーヤーナ』には、毎号弟子のヨーガの成就記事が掲載されていた。
それは、ごく普通の生活をしていた人が、オウムと出会い、「狂うか、それとも解脱するか」という極厳修行を経て、一つのヨーガを達成していく記録だった。
麻原彰晃の著書にはひかれなかったが、弟子たちの成就記事はどれもおもしろかった。

「ケイマ大師成就す! そのとき、私は光だった」
「マイトレーヤ大師成就す! 今蘇った、救済者マイトレーヤ」

成就した弟子は現世での名前を捨て、麻原彰晃に与えられたホーリーネームで呼ばれるようになる。元は普通のOLだった「石井久子」は成就して「マハー・ケイマ大師」になった。成就者たちの修行前と成就後の写真を見ていると、たしかに彼らになにかが起こっているようだった。記事に書かれている修行法やヨーガの世界観、修行や成就の意味さえわからないが、とにかくなにか普通でないことが彼らの内側で起きていて、前とはすっかり変わってしまったことが写真からうかがえた。
私は、『マハーヤーナ』の成就記事を片っ端から読みあさった。
そこに登場するのは普通の若者たちだった。なにかのきっかけでオウムと出会い、麻原彰晃というグル(霊的指導者)の指導を受け、修行し、自己の苦しみを乗りこえ、一つのヨーガを成就し、解脱していく。毎号掲載されている成就記事は、主人公と体験の細部は違っても、「オウムと出会い、修行し、苦しみ、そして解脱する」という根幹のパターンはいつも変わらなかった。
それにしても、解脱なんていうことが現実にあるのだろうか? いにしえの聖者の話ではなく、この現代の東京のど真ん中で、普通の人が解脱するなんていうことが。
私はぐいぐい記事に引き込まれていった。

成就記事のなかで特に私を魅了したのは、修行者が解脱直前に入る「リトリート」と呼ばれる独房修行だった。ヨーガの行法、呼吸法、あるいは功徳を積む修行を経験した修行者は、解脱するために最後はたった一人、外部の光を一切遮断した真っ暗な個室で瞑想する。リトリートは、暗闇のなかで自分自身と対峙し、闘い、そして新たな自分へと生まれ変わる場所だった。
どの成就者もリトリートを経験して解脱していった。
暗い小さなその部屋は、人を孵化させる神秘的な「器」のようだった。閉ざされた暗闇のなかで、なにかが決定的に変わってしまう。闇をくぐりぬけて、新しい自分が再び生まれるということが、私の心をとらえて離さなかった。
リトリートを経験してみたい。真っ暗な部屋のなかで瞑想し、自分と出会い、苦しみながらも新しい自分へ生まれ変われるなら、そこに解脱と呼ばれる解放があるならば、経験してみたい。
信じてもいないのに、なぜかそう思っている自分がいた。


2015年02月25日

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