52.地中の瞑想

アンダーグラウンド・サマディは第二上九で行われた。第二上九は、極厳修行をしていた第一上九から早足で歩いて二十分たらずの所にある。VICTORYという看板のある三角屋根の木造の建物と第六サティアンの大きな建物があり、コンテナがいくつか置かれている以外はところどころ雑草が生えているかなり広い空き地で、その一画にアンダーグラウンド・サマディのチェンバー(小部屋)は埋められていた。
一九九二年二月五日未明、あたりは暗く寒く、いつもすぐそこに見えている富士山もまだ闇のなかだった。私がチェンバーに入るときにサクラー正悟師が立ち会ってくれた。正悟師はいつもの明るい笑顔で「がんばってね!」と軽く言って、教祖が修法したドリンクのイニシエーションを渡してくれた。チェンバーの天井部分にある入り口から中に入るとすぐに蓋が閉められ、上からどさどさと土をかける音がして、アンダーグラウンド・サマディがはじまった。
チェンバーのなかは、これまで経験したことのない独特な静けさに包まれていた――。
辺鄙な場所の地中に埋められたステンレス製の空間に一人きりでいる状況は、棺おけに入って埋められているのと似ているかもしれない。とはいっても三メートル四方もあるチェンバーは棺おけよりずっと広くて快適だろう。はしご段を降りて内部の様子を見回してみると、酸素消費量を計測するらしい機械があり、その近くに毛布が二枚と電気ストーブとポータブルトイレとトイレット・ペーパーが何個か無造作に置いてあった。
「やっと一人きりの空間で修行できるんだ…」
私はやる気満々で瞑想修行をはじめることにした。

極厳修行中に教祖が「ここはサットヴァの空間だから、君たちの持っているものが出てくる」と言ったとおり、第二サティアンの道場は潜在意識がむき出しになる場所だった。しかし、地中に埋められたチェンバーのなかは、道場よりもはるかにサットヴァ――普段は深く隠されている私の本質が恐ろしいまでにあらわになる空間だった。おそらくそれは死後に経験する「バルド」(*)に近いものなのだろう。そこでは「オムライスが食べたい」と思う瞬間より早く、オムライスの皿がすごいスピードで飛んできた。「ハンバーグが食べたい」と思う間もなくハンバーグの皿が飛んできた――そんなイメージそのものがガツンと直撃するあからさまでダイレクトな空間。そこで瞬時に動くイメージを止めることもよけることも、もちろんコントロールすることなどできるはずもなく、サマディに入るどころか二日間は食の煩悩に翻弄され、次の二日間は怠惰な意識が出てきてまったくやる気が出なかった。
「もういいや…ねてしまえ…」
道場で修行していたときは、どんどん意識が鮮明になっていったのに、肝心要のアンダーグラウンド・サマディのチェンバーのなかでは、なにもかも面倒くさくて、かったるくて、どうでもよくなって、まったく修行ができなかった。ときどき正気に戻ってなんとか立て直そうとするのだが、ガス欠の車が動かないように、どうにもこうにも瞑想にならない。ずっと憧れていた独房修行は完敗だった。あの極厳修行での意識の鮮明さ、光への没入、変化身の体験はいったいなんだったのだろう? でも、これも自分なんだろうな…。
私は情けなさを感じると同時に「バルドは甘くないな…」とつくづく思った。
そんな状態でも規定の酸素消費量はクリアしたらしく、四日間過ごした地下のチェンバーから出ると、私はクンダリニー・ヨーガの成就者となり「正師」と呼ばれることになった。
長期の修行によって体重は十キロ以上減っていたが、身体は非常にエネルギッシュで心は平安で幸福だった。出てきた私を迎えてくれたサクラー正悟師が言った。
「今回の成就者ではあなたが一番変わったわね」
成就したという霊的な実感はあったが、人格が変わったかどうか私にはわからなかった。

これが私の経験した極厳修行であり、クンダリニー・ヨーガの成就だ。
この経験を振り返ってみると、今あのような修行をやれといわれてもできないと思う。教祖がグルとして近くにいたこと、修行の指導をしてくれたからできたことだと思う。横になって眠ることなく、三十日間ほとんど食べなければ死ぬ可能性だってあるだろう。多くの修行者が命をかけて修行して、自己を超えてなにかをつかもうとしていた。あの極厳修行にどういう価値があったのか、それは経験した者にしかわからないだろう。
いや、経験した者にもわからないのかもしれない。
「極厳修行にどんな意味と価値があるのか」と尋ねられたら、私はこう答える。
「はっきりとはわからない。だって、極厳修行で経験したことは私というものを完全に超えていたから。ただ言えることは、だれもがいつか経験する死のバルドは、想像以上に大変なものだと思う」と。


(*)バルドは中有ともいわれる。魂は死後四十九日間のバルド(中間状態)を経験して、次の世界へ転生すると考えられている。



<メールをいただきました。貴重なご意見、了承を得て掲載します。>

元TD師様

こんにちは。初めましてではありませんけど、訳あって匿名でメールしてます。
元TD師のブログ、いつも読んでます。私もいま書かれている極限修行の場にいました。読みながら感じたことを伝えたくなったのでメールしました。

「アーナンダタイプで、煩悩遮断ができている成就者」という言葉がありましたけど、これが心に止まりました。意味を考えると深遠で。
アーナンダタイプというのは、霊性は高いけど煩悩遮断ができていないということですよね。それって大量成就のときの人たちの特徴なのかもしれません。
あのときの修行はそれとはアプローチの仕方が別というか、霊性だけでなく精神性の向上もねらったものだとあらためて気づきました。
これって初期の独房修行の頃への回帰だったようにも見えます。
霊性の向上と、精神性の向上は、修行における車の両輪のようなものだと思います。大量成就のときの修行は、一方だけに特化しているのでかなりいびつというか。
でも思い返してみると、その直後には必ず、精神性の向上につながる修行というか環境がいつもちゃんと用意されていた気がします。
世間からのバッシングのようなものです。
考えてみたら、最初の独房修行の頃とか、この極限修行の頃って、オウムの歴史の中では珍しく平穏な時代でしたよね。
そういうのって、そのときどきの修行のやり方にも関係しているのかなと。

そんなふうに思えてつい伝えたくなりました。

これからもブログの更新、がんばってください。


元修行仲間



2015年05月08日

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コメント

はじめまして

元TD師さん、はじめまして。大変細やかな記事で日々興味深く読ませていただいてます。
コメント欄もなかなかの盛り上がりですが、私もこれから思うことがあればその都度コメントしていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

ところでアンダーグラウンド・サマディは危険の伴う修行だと思っていたのですが、実際に酸欠で修行中止したような方もいたのでしょうか?
たしか何かで、普通の人は3日で酸欠になるというような解説がなされていたような気がするのですが
寝ても基準達成したようですから、本当なのかと思ってしまうのですが。
  • | 2015-05-17 | mina URL [ 編集 ]

Re: はじめまして

minaさん、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
アンダーグラウンド・サマディで修行を中止した人は知りませんが、もしいたとしてもそれは公にしないでしょうね。
チェンバーに入る人は、直前に一か月から二か月以上の極厳修行をしていますから代謝がすごく落ちています。当然、普通の人が消費する酸素量とは違ってきます。私の場合はわかりませんが、寝ていてもサマディに入っていることはありますよ(笑)
  • | 2015-05-17 | 元TD URL [ 編集 ]

和井恵

たしかYK(和井恵さん、元ナーギタ師)のブログに地中のチェンバーの中で死にかけた話しがでてました。アンダーグランドサマディで酸欠になり、死にかけたものの、ギブアップしなかったので、一応成就認定されたとか。2013年4月29日頃の記事です。
  • | 2015-11-09 | サトミ URL [ 編集 ]
      

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