50.精神の危機

【二十八日目】究竟の瞑想中、ものすごく長いストーリーを経験した。
内容はたわいのないもので、ある日親戚の人たちと六時間ほどかけて会食の準備をしているというもの。しかし、これまでの瞑想中のヴィジョンと違っていたのは、瞑想をしている現実とまったく同じリアリティでヴィジョンが同時に進行したことだ。向こうの世界で、今は究境の瞑想の時間であると知りつつ六時間を経験した。つまり一時間の究竟の瞑想を経験しながらあちらの六時間を同時に経験したのである。
修行中に体験する世界はあまりにもリアルで、それを「アストラル体験」と呼んでいる。それはリアルではあるが、こちらの世界へ帰ってくればこちらのリアリティが勝っているから、「まるで現実のようにリアルなアストラル体験をしました」と言うことができる。しかし、今回は瞑想の一時間とアストラルの六時間がまったく同じリアリティで、二つの世界を同時に経験したのだ。この経験によって世界の土台が崩れそうな感じにとらわれる。
こちらをAとし、あちらをBとする。AはAと知り、またBも知っている。BはBと知り、またAも知っている。この場合、どちらが「現実」でどちらが「現実でない」といえるのだろうか? 
一つの意識が二つの世界を経験しているのか、それとも二つの意識が二つの世界を経験しているのか…。
いったい、なにをもって現実とアストラル、あるいは夢を区別すればいいのだろうか?
私はこの現実のリアリティが崩れ去るような、気が狂いそうな精神状態のなかに落ち込んだ。目の前の修行課題も、なにもかも自分から遠くなる。

【二十九日目】不安定な精神状態が続く。
断食をはじめて二十六日目。昨日から水を飲むこともやめる。
究竟の瞑想に入る。まず呼吸が止まり、上下左右の感覚がなくなる。次に瞑想空間が変化し、そして光が来る。
究竟中のアストラル体験が複数になってきた。
現実ってなに? 現実がわからない…。
不安のなかで、極厳修行中に尊師が言ったことをメモしたものを読み直してみる。

「ここはサットヴァ(*)の空間だから、君たちの持っているものが出てくる」
「ナーディ(*)の詰まり、嫌悪はこれだけ自己を苦しめるんだと認識しなさい」
「制約は自己が与えるもの。これだけの時間を自己のために使えることを喜ぶ――喜覚支をして修行すること」
「眠りをシャットアウトすれば変化身の体験をする」
「マントラを唱えるスピードが遅いのは煩悩的なせい。けがれがあるから。マントラのスピードが成就のスピードとなる」
「ヴィジョンは関係ない。一切とらわれるな。変化身、意識の連続、呼吸停止、肉体に対する執着を切る。雑念のない状態。詞章を早く正確に唱える」
「眠りも食欲も浮いてくるものはすべて現世。現世否定」
「意識がとばされる人は情報に弱いんだという認識をしなさい」
「真我以外のものを外的情報という。外的情報を捨断する」

ちょうど尊師が修行者の様子を見に来たので、自分の不安について質問する。
「湖があり、そこに藻が浮いているとしようじゃないか。この藻に光があたり光は水の中で分散する。これが意識の分散だ。どちらの意識も捨断しなくてはならない」というコメント。

【三十日目】究竟の瞑想中、長い物語を経験する。
そこは古代のヨーロッパのようだ。生き生きとその物語を生きている主人公と自分は完全に同化している。性別も性格も違うのに、ときには人間ですらない動物のときもあるが、「それは自分だ」と感じるのだ。
だから「私には古代ヨーロッパに生きた過去世があるのだ」と思う。
そういう体験はこれまでにもたくさんあるが、映画を見るような面白さはあっても、それも幻影だ。
修行に入ってから今日まで断食をしていたが、三十日を過ぎたら食をとるように尊師から言われる。断食のための修行ではないから三十日が限界とのこと。事実、数日前から食の煩悩が生起しはじめていた。
今日から食事をとる。人間は、眠らなくても食べなくても生きられることを身を持って体験した。

【三十一日目】究竟の瞑想中、弱い帯状の光がゆらゆらと上から降りてくる。次に、完全に透明な光が私の後方から二度射してくる。瞑想空間がスッと広がり変化する。きれいなレモンイエロー、きれいなブルー、そして、きれいな純白の四角い空間というか四角い色を見た。まるでタイルみたいな、今まで瞑想で見たことがない鮮やかな色だった。
強烈なエネルギーによる強い締めつけがあり、厚いエネルギーの固まりが私の両眼に圧力をかける。エネルギーを少し上にあげて眉間のアージュニャー・チャクラにその固まりを集めてみる。

【三十二日目】読んでいる詞章の紙がスポット光を当てられたように何度もとても明るくなる。
究竟の瞑想中、誰かが私の前に来たようだったが暗くて見えないと思うと、私のアージュニャー・チャクラ(眉間)から懐中電灯みたいに光が出て相手を照らし出した。私が光を照射したのだ。これにはびっくりした。

(*)サットヴァは物事を照らしだし明らかにする善性のエネルギー。ヨーガでいう宇宙を構成する三つのエネルギー(ラジャス・タマス・サットヴァ)の一つ。
(*)ナーディは人体の気の流れる管の名称。煩悩によって詰まったナーディを浄化することが修行のねらい。


2015年05月01日

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

コメント

      

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する