41.ノアの箱船

富士にいるサマナに「出発するように」という指示が出た。部署ごとに割り当てられたバスと車に分乗して、噂ではどうやら私たちは大阪に向かうようだった。相変わらず最終目的地など詳細はわからないままだったが、サマナはいつものように疑問を抱くこともなく、車が動き出した途端みんな眠りに落ちてしまった。
大阪の港について指定のフェリーに乗り込むと、大広間のような二等客室に全国各地の信徒さんが大勢乗っていた。いったいどこでセミナーがおこなわれ、いつまで続くのか、私たちの最終目的地は外国かもしれず、もしかしたら世界の終わりがくるかもしれない――信徒もサマナも先行きのわからない状況に置かれていた。すぐにあちらこちらに輪ができて、なにが起きるのだろう、どこへ行くのだろう、どうなるのだろうと低い声で話し合っていた。
私は、信徒さんの様子を撮影しておこうと、数枚写真を撮ってはみたが、自分の意思とは無関係に目的地もわからず動かされる状況に、胸がざわつくような嫌な感じがしてすぐに撮影を止めた。そして、デッキに出たり船内の様子を見たり、話の輪に加わったりしていた。私が電話をした友人も、どうにか仕事をやりくりしたらしく参加していた。
「神言秘密金剛菩薩大予言セミナー」は、いかにも意味ありげな名前だったが、まったく中身のないものだった。フェリーで沖縄へ行き、そこから石垣島へ渡り、体育館に泊まったりテント泊をしたり、修行をしながらなにかが起きるのを待ち続け、悪天候の砂浜にやっと姿を見せた教祖の説法を聴き――そのとき空は黒い雲に覆われて強い風が吹き、たしかに終末のムードはあったが――そしてまた船と車を乗り継いで富士へ帰ってきただけだった。
石垣島の浜には、オウム真理教大移動の情報を聞きつけた記者や江川紹子さん、新聞社のヘリコプターも飛んで来て、翌日のスポーツ紙の一面には、「オウム真理教」「石垣島」「大移動」という見出しと、砂浜に大勢集まって説法を聴いている信徒の写真が大きく掲載された。

予言は当たらなかったが、帰りの船中で印象的なことがあった。行きの穏やかな船旅とは違って、帰りは天候が荒れてフェリーはひどく揺れた。気分が悪くなった私は横になっていた。大きく揺れる船のなかで吐気をがまんしていると、近くで話しているサマナの声が聞こえてきた。
「動物も連れてきたんだよ。この下、船底にね。馬がいるんだよ」
「えー、どこの馬なの?」
「オウムの馬だよ」
「えー、オウムに馬なんていたの! どうして? だれかがお布施した馬なの?」
「知らないけど、乗っているんだよ、馬が…」
「知ってる、知ってる、犬も猫もいるみたい」
「オウムにいる動物ぜんぶ連れてきたらしいよ」
船酔いの苦しさのなかで、「馬がいる」「動物ぜんぶ連れてきた」という言葉がぐるぐると回って、私の脳裏はさまざまな動物でいっぱいになった。
大きく船が揺れる。嵐の大海原を進んでいる大勢の人間と動物たちを乗せた船――それはまさに教祖が予言した「ノアの箱船」のようだった。(1)

「石垣島セミナー」は不思議なセミナーだった。
一五〇〇人もの信徒・サマナ、そして馬や犬や猫まで大移動したが、予言された天変地異はなにも起こらなかった。それなのにセミナーのあと五〇〇人もの信徒が出家した。これはいったいどういうことだろう? 石垣島セミナーは、スポーツ新聞が一面で大きく取り上げたため、その期間職場を休んだ信徒は嘘がばれて出家するしかなくなったという説もある。でも、予言が外れたのだから教祖に不信を抱いて離れていくのが普通の感覚ではないだろうか。
選挙での大敗と投票箱すり替え陰謀説。
オースチン彗星接近による大災害の予言が外れたこと。
私たちはこのような現実に直面して「あれ?…」と思うことはあっても、なぜかその疑問を突き詰めることはなかった。現実に基づいて考え、自分の意思で判断する力は非常に弱くなっていたといえるだろう。私は、石垣島セミナーのあと出家した友人に聞いてみた。
「考えてみるとよくわからないんだけど…なぜ、石垣セミナーのあと出家しようと思ったの?」
「あのセミナーはおもしろかったね。いい大人が大勢で、何をするのかも、どこへ行くのかもわからずにフェリーに乗っているんだから。そんなこと現実にはありえないでしょう。行き先のわからない船に乗っていると、現実にかかえている問題が遠い世界のことのように思えてきて。それまでにも価値観は変化してきてたけど、『出家したい』とまで思えなかったのね。でも、石垣セミナーに参加して、最後の糸が切れちゃったんだろうね。日常の何もかもが色あせちゃって、元の現実に戻ることのほうがよほど不自然で、むなしいと思った。ハルマゲドンの話もあったけど、やっぱりみんな、心では解脱と悟りを求めて出家したんだと思う。出家の動機はいろいろあったにしても、解脱と悟りを求めていない人は一人もいなかったと思う」

(1)石垣島セミナーには五頭の馬と犬や猫を一〇トントラックに乗せて連れて行った。馬は血清を作るために購入され富士で飼われていたものだった。セミナー中ずっと動物の世話をしていたサマナもいた。
オウムは、教義においては仏教を信奉して修行していたが、教団活動の根底にはハルマゲドンやキリストの登場など、聖書の神話が息づいていた。


2015年04月12日

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