4.非国民

富士の裾野で修行と救済活動をしていた私たちは、事件後すぐに日本社会のまっただなかへ引きずり出され、忌み嫌われ、憎まれ、ことごとく排斥された。
「殺人集団!」「オウム出て行け!」「親元へ帰れ!」
施設兼住居のまわりは、乱暴な手書き文字の看板が林立していた。
出家修行者の住民票の受け入れは拒否され、教祖の子どもは義務教育なのに入学を拒否された。
現代の日本で、私たちは完全な「非国民」になった。
オウムに対しては超法規が許された。出家者は文房具のカッターナイフを持っているだけで逮捕され、それを理由に全国の施設と関係者の住居は、大げさでもなんでもなく何百回もの強制捜査がくりかえされた。
朝早く、ピンポーンというチャイムの音が鳴る。ドアを開けるとそこに警察官の一団がいた。
大声で読み上げられる捜査令状の被疑者の名前に聞き覚えはなく、「だれ? それ」といぶかしく思う。容疑はたいてい「銃刀法違反」や「電磁的公正証書原本不実記載」で、カッターナイフを持っていたとか、住民票の住所に住んでいないことだった。
詳しい説明もなく、なだれ込んできた警察官たちは、部屋中に散らばりくまなく捜索していく。私物の日記や下着までひっくり返されていった。

そして、敬愛していた教祖は、日本犯罪史上最悪の犯罪者になり下がった。
日本全体を敵にまわしたようなこの異常事態に、オウムはよく耐えたと思う。
「グルへの帰依があったから耐えられた」
信仰を失わなかった信徒はそう言うかもしれない。
「修行者にとって苦難こそ修行の糧。それに、これはなにか大きな間違いだろう…」
私は自分にそう言い聞かせていた。
事件から一年、二年と経ち、教団関係者の裁判が進むにつれて、オウムが地下鉄サリン事件を起こしたことは、動かしがたい事実となっていた。「成就者」という教団の準幹部だった私は、後輩や信徒や修行の場を守らなければという重い責任を感じていた。どこにも行き場がないという思いもあった。
「世俗を捨てた自分の生きる場所なんて…ここしかないじゃない…」
しかし、解脱を求める出家修行者と、殺人テロ集団の一員との間には、天と地ほどの隔たりがある。いつしかそれは、私の心に暗い影を落としていったのだろう。

オウムの施設では、いつでもどこでも教祖の説法かマントラが流れていた。
ある日のことだった。私の部屋で説法を流していたカセットデッキが、突然プツリと止まってしまった。これまで感じたことのない静寂が私を包んだ。
そのとき、はじめて私のなかでなにかが立ち止まった。
施設では相変わらず説法は流れていた。それを聴くことも教祖の映像を見ることも抵抗はないのに、どういうわけかそれ以来、説法を聴くために自分の手を動かすことはもうできなかった。
「事件って、なんなの?」
「人を殺してまで、いったいなにがしたかったの?」
重く暗い問いが姿をあらわし、背後からしっかりと私をつかまえた。


2015年02月23日

コメント

      

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する