39.専属カメラマン

ラージャ・ヨーガを成就すると、写真を少し学んだことのある私に「今後は尊師の写真を撮るように」という指示があった。それまで教祖の写真は、デザイン班の古参の成就者マハーカッサパ師が撮ってきた。エネルギーに敏感なオウムでは霊的ステージを重んじ、たとえば教祖の椅子に触れていいのは「師」以上、というようなステージの違いによる禁忌があった。カメラマンは被写体に意識を集中するので、被写体の教祖との間で自然にエネルギー交換が起きてしまう。そのためステージの高い成就者が撮影するのがオウムの常識だった。
「スワミなのに、本当に私が撮ってもいいのかなあ…?」
ワークの指示を聞いて、私はちょっとびっくりした。
「がんばって功徳積んでね」
指示を伝えてくれた師は自分のことのように喜んでくれた。
「でも、尊師が私をカメラマンに指名したんだよね…」
そう思い直し、私は気を引き締めて新しいワークに取り組むことにした。

こうして「尊師説法会」の撮影、教祖と信徒さんが一緒に写真におさまる「永代帰依祈願」というイニシエーションの撮影のために、私は北は札幌支部から南は那覇支部まで、撮影機材を積み込んだ車を運転してどこへでも行った。
支部では、機関誌に必要な信徒さんの体験談を集め、支部活動の様子を取材した。なかでも欠かせない仕事は、「ダルドリーシッディ」という蓮華座を組んだままで自然に跳び上がる信徒さんを撮影することだった。
ダルドリーシッディは、「空中浮揚」の前段階といわれ、修行で身につく六つの超能力(六神通)のなかで、唯一目に見える超能力だ。修行で身につく超能力をアピールするために、機関誌の口絵に信徒さんのダルドリーシッディの写真を毎月欠かさず掲載していたので、ダルドリーの写真はある程度撮りためて、各支部の信徒さんを満遍なく取り上げるようにしていた。
「今度、高知支部へ行きますが、そのとき信徒さんのダルドリーの写真を撮りたいのですが」
「わかりました。三、四人集めておいたらいいですか?」
前もって電話で依頼しておくと、支部ではダルドリーシッディが起こっている信徒さんたちに声をかけて集めてくれた。
ダルドリーシッディは、激しい入出息をともなう呼吸法で息を止めている(クンバカ)とき、突然ぴょんと跳び上がる。ドンドン、ドンドンと数回激しく跳びはねる人もいた。そのころ、私はまだダルドリーシッディを経験したことがなかったので、たくさんの信徒さんが跳びはねる姿を撮影しながら思っていた。
「こんなにたくさん、しかも新人でもダルドリーが起きるなんて、やっぱりオウムは普通じゃないな…」
オウム全体では、おそらく何百人もがダルドリーシッディを経験している。
こうして全国の支部をまわり、さまざまな撮影をすることは、富士で説法のテープ起こしをするより忙しく、「自分はオウムとは合わない」などと考えている暇はなくなった。
写真を撮るワークは私に合っていた。教祖についていろいろなところへ行きながら、私はいつも撮影者という傍観者でいられて、「帰依している」「帰依していない」ということを考えなくてもよかった。

写真を撮り始めて二年目だったろうか、インドに行った。
海外の聖地を訪れると、教祖はその場に合わせた説法をした。日本では聴いたことのない内容の説法も多く、弟子は一言一句聴き逃すまいと必死にメモをとっていた。それが弟子本来の姿だろう。私は、もっと良いアングルはないか、太陽光線の具合い、影はどうなっているかなどと考えながらファインダーをのぞいていた。いつでもどこでも私は良い写真を撮ることしか考えていなかった。
ブッダゆかりの地ギッジャクータ山を訪れたときのことだった。
「これは秘儀的な説法だな」
そう思いながらシャッターチャンスをうかがっていると、いつもと違う思いがよぎった。
「私って、いつもファインダー越しに尊師を見ているなあ。弟子ならできるだけグルのそばに行きたい。一歩でも近づきたいと思うよね。いつも一定の距離をおいてこうして観察しているなんて、私は相当臆病で、本当の弟子とはいえないな…」
そのときはじめて、われ先にと教祖に向かっていく弟子たちを少しうらやましく思った。
「でも、純粋に、真っすぐにグルに向かって行くなんて、私には恥ずかしくてできないわ…」
一瞬の気の迷いを振り払い、私はすぐにまたシャッターを切った。

教祖の写真を、私は何万カット撮ったのだろうか――


*白いクルタを着た教祖の写真はマハーカッサパ師が撮影した。一九九〇年以降、青紫のクルタと赤紫のクルタを着た教祖の写真の多くは私が撮影した。



2015年04月09日

コメント

      

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する