38.スワミになる

「懺悔の詞章と蓮華座の極厳修行」は富士の二階道場で行なわれた。百人ほどのサマナが祭壇の前からサマナ番号の順番に整然とすわり、一人畳一枚分のスペースが与えられた。
「懺悔の詞章」は、オウムの詞章のなかでは一番長いもので、原稿用紙にして三枚ほどある。修行者は、蓮華座(結跏趺坐)を組んですわり、譜面台を立てて、B四判の一枚の紙に二段組みで印刷された詞章を、声に出してできるだけ早く正確に読む。昼の供養(食事)と「究境の瞑想」(意識を広げる瞑想)の時間以外はずっと詞章を唱え続け、その修行が七日間続く。
正面に置かれた大きなスピーカーから、詞章を唱える教祖の音声が大音響で流れてきて、いよいよ極厳修行がはじまった。

修行が二日目に入ると、読んでいる詞章の白い紙の上にちらちらと光が見えはじめ、やがて、ブルー、ピンク、グリーンのきれいな光の帯があらわれるようになった。
「まぼろしを見ているのかな?」
目を開けたままで光が見えるのが意外で、何度も目をこすってみた。
「これが光を見るということなのかな?」
鮮やかな蛍光グリーンの光がよく見えていたが、「光を見たからって、それがどうしたの?」という感じだった。
三日目を過ぎると座法を組んだ足が痛くてたまらなくなった。組みかえ組みかえ誤魔化していたが、そのうちに三十秒も組めなくなってしまった。足のどこが痛いというのではなく、足全体がじんじんしびれるように強烈に痛かった。
修行監督がやってきて、とんとんと竹刀の先で床をたたいて言う。
「しっかり蓮華座を組んで」
座法がまったく組めなくなって、また外していると、とんとんと床をたたかれ「蓮華座!」と言われる。
「うるさいな。痛くて組めないんだってば!」
ものすごい怒りが出てきて、むかついて、監督の師を睨みつけた。
修行中に出てくる足の痛みや嫌悪・怒りの感情は、「地獄のカルマ」の解放だと言われていた。足がひどく痛むのは、臍から下に向かって流れている気(アパーナ気)が強まり、意識が足に集中しているからだ。蓮華座をしっかり組み続ければ、下方に向かう気の流れが撤退し、痛みと嫌悪と怒りの感情も消えて、地獄のカルマは一旦切れる。

三日、四日と単調な修行を続けていると、七日目には、私の身体は一本の上昇する太い気の柱に包まれて、強い力で全身が固定された。そして、頭上になにかがあり、それが降りてくるような感じがした。
「光だ」と思った。
エネルギーの塊のような球体が頭上にあって、そこから光が今まさに降りてくる予感がした。私の身体はますます固定され背筋は弓なりになっていた。
「もう少しだ」と思った。
すぐそこに光があって降りてくるはずなのに、なぜか降りてこない――。
そこで私の極厳修行は終わった。「おかしいな、だれかに止められた?」と思った。
いったいだれに止められたのだろう。「グルだ…」と、なんとなく思った。

七日間の極厳修行は終わり、修行中の体験を書くように言われた。私は詞章を読みながら見ていた光、意識の変化、強い気の柱に固定されたことを書いて提出した。終わってみると、一週間眠らないで極厳修行をやり遂げた充実感、身体が軽くなってエネルギーが強まった感じはしたが、「成就した」という実感はなかった。
「あの光が降りてきていたら、成就なのかもしれないな…」
そう残念に思っていたら、私はラージャヨーガを「成就した」と判定されて、成就者の印である黄色い帯とホーリーネームをもらって「スワミ」となった。
うれしいようなちょっと物足りないような思いだった。期待した成就体験でなかったのは、第一段階のラージャ・ヨーガだからだろう。最後に光に包まれたならクンダリニー・ヨーガの成就となり、そのとき私が望んでいる「解放」がやってくるのかもしれない。
そう思った私は、次のクンダリニー・ヨーガの成就を目指そうと、再びサマナ生活に向かうことにした。

*通称「懺悔の詞章」は、正式には「ヴァジラヤーナの懺悔の詞章」である。
*第一段階のラージャ・ヨーガの成就は、宇宙を構成する三つのエネルギー(ラジャス・タマス・サットヴァ)の光、赤・白・青を霊視することとされていた。

【追記】
「ヴァジラヤーナの懺悔の詞章」は、潜在意識に深く入る強烈な詞章として恐れられてもいた。「あれを唱えると、カルマが解放しすぎて大変なことになるから…」と言って、唱えるのをやめた人もいたほどだ。極厳修行中も、詞章の文字がまったく読めなくなる人や、言葉がぜんぜん出てこなくなる人がいた。大きなスピーカーの前に立って、スピーカーに耳をくっつけていぶかしげな表情をしている人もいた。
「なにしているの?」
不審に思った修行監督が近づいてたずねると、
「いったいどうして、ここから落語が聞こえてくるんでしょうか…?」
大真面目な顔で何度も「なぜ、落語が…」とつぶやいている。流れてくる詞章がどうしても落語に聴こえるので、スピーカーまで確かめに来たらしい。潜在意識に突っ込んだときに人はどうなるか、ということがよくわかった。
「懺悔の詞章」が素晴らしい修行だったことは間違いないと思う。


2015年04月08日

コメント

懺悔の詞章の修行で

95年以降だったと思いますが1週間の懺悔の詞章の修行が行われ参加した時の事です。

その時は究境の瞑想はなく供養以外はひたすら懺悔の詞章を唱えるというものだったと思います。

何日か経った時 スピーカーから聞こえてくる音声が懺悔の詞章とは違ったものが聞こえ出し(私には違う詞章に聞こえた) 監督に「スピーカーから違った音声が流れています。懺悔の詞章にしてください」と話したら「流れているのは懺悔の詞章ですよ、変わっていないです」と言われてしまいましたが 私には相変わらず違った音声にしか聞こえませんでした。

その頃 どの修行監督も 体のある一定の場所がきれいなグリーンの帯をしているように見えました。

そのうち 「どうだ!!神々になると凄いだろう!!神々になると肉体は向こう(拘束されていて おかしくなる前の頃)でも こうやって説法をしに来る事が出来るんだぞ」とグルの言葉が聞こえ 説法をして頂く事が出来ました。

現象界ではグルと離れてしまったけど アストラル、コーザルでは繋がっているんだと実感できた体験でした。

それから暫く経った後の定期修行で立位礼拝をしていたら「お前なら祭壇の前に私がいるのが見えるだろう」とグルの言葉が降りてきた事がありました。

修行明けに最寄の道場へ行った時 道場に入った瞬間祭壇のグヤサマジャが光って
「お前には私がいるのが見えただろう」と言葉が降りてきて、「グルは光なんだ!!」「グルの意識はもう現象界には無くてコーザルにあるんだ」と気付きました。

懺悔の詞章の修行体験を思い出して書きましたが修行は本当に素晴らしいですね。



  • | 2015-10-03 | 花水木 URL [ 編集 ]

修行

最近、元TD師や花水木さんの体験談の影響で、この~のザンゲの修行をはじめました。潜在意識につっこんでも、精神病院のお世話にならない自信のある方は、よいかもしれませんが、かなり危険な行法ですね。ふつうに仕事して、家庭生活を送りながらでは、あまり長時間持続しての時間はとりにくいので、そういう意味ではあまり問題ないかも。ちなみに、この詞章の全文は、オウマーで有名な西村(新人類)雅史さんのサイト、「~真理の探究」のサイト文書館Part3で見ることが可能です。
  • | 2015-11-30 | サトミ URL [ 編集 ]

懺悔の詞章は

懺悔の詞章はサマナ以外は唱えてはいけない修行だと聞きました。出家修行者でなければこの修行はお止めになったほうが良いと思います。帰依マントラや他のマントラでも
規定回数を唱えた前後に体験はしましたよ。
  • | 2015-12-04 | 花水木 URL [ 編集 ]

元サは?

それは、もちろん存じあげておりますが、では元サマナは、良いのか悪いのか、難しい問題ですよね。要は、グルとシヴァ大神をしっかり意識できれば心配ないと思います。在家の一般信徒の多くは、それが難しいので、禁じられていたのだと思います。
  • | 2015-12-04 | サトミ URL [ 編集 ]

No title

元サマナでも還俗する時に尊師から許可を頂いた場合は唱えて良いそうですが そうでない場合は唱えてはいけないと聞きました。

知り合いの元サマナが還俗時に尊師から許可を頂いたと教えてくれたものです。
  • | 2015-12-04 | 花水木 URL [ 編集 ]

お礼

大変、貴重なアドバイスをいただき、ありがとうございました。すると、正式な伝授を受けていないと論外ということになりますね。新、旧の加行システムではどうだったか確認してみます。
  • | 2015-12-04 | サトミ URL [ 編集 ]

新・加行システム

小生がいた、94年頃に出た、新・加行システムによると、タントラヴァジラヤーナの発願10万回と、大乗仏陀イニシエーション10万回の間に、このザンゲの詞章10万回が入っていたようです。昔は、出家時に修行法伝授がなかったものですから、ザンゲも曼荼羅供養も知らなかったので、すっとばして百字真言10万回を先に終わらせてました。
ちなみに、96.2の「修行者の手引き」というのは、実に懇切丁寧にまとまっていていいですね。最近、これをみて感動しました。→~非公式サイト>書籍4の中で見つけました。
  • | 2015-12-05 | サトミ URL [ 編集 ]
      

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