36.あちら側とこちら側

富士山総本部道場の道路を隔てた向かい側には、富士宮農協の簡素な売店があった。
ある日、その店の駐車場でオウムに子どもを奪われたと主張する「被害者の会」の親が十数人ほど集まって、拡声器を使って子どもの名前を呼んでいた。どうやら弁護士らしい人物が主導している様子だった。
やがて総本部道場に向かって、こぶしを上げて「子どもを返せ!」「子どもたちを返せ!」というシュプレヒコールがはじまった。
父親や母親たちは、拡声器をまわしてかわるがわるわが子の名前を呼んでいたが、そのうちに用意してきた野外用グリルに火をつけて、鉄板でバーベキューをはじめた。そして、こちらに向かって呼びかけてきた。
「おいしいわよー。食べにいらっしゃーい」
「肉も食べなきゃ、身体をこわすよー」
「焼きそばもあるよ、出てきて食べなさーい」
私は二階道場の窓からときおり駐車場を眺めていた。
煩悩(欲望)と闘おうとしている子どもに対して、親たちは「修行なんかやめて、こっちに来ておいしいものを食べなさい」と呼びかけている。その場にいたサマナや、騒ぎを聞きつけてわざわざ見に来たサマナで窓際はいっとき人だかりができた。なかには「うちの親、来てるよ…」とつぶやいて苦笑いを浮かべているサマナもいたが、ほとんどは一瞥してすぐにまたワークに戻っていった。
まだオウムの生活に馴染んでいなかった私でさえ「それはちょっと違うんじゃないか…」と思った。修行のために質素な食べ物を選んでいることがわからないのだろうか。バーベキューのおいしそうな匂いにつられて、餌に引き寄せられる動物のように子どもが建物から出てくる、家に帰ってくると、本気で思っているのだろうか。
あちら側にいる親とこちら側にいる子どもを隔てているのは、たった一本の道路だった。でも、そこにはとうてい埋めることのできない深い溝があるように思えた。
当時はバブル経済絶頂期、欲望がどんどん膨らんでいた日本社会のなかで、オウムは徹底的に煩悩を否定する教えを説いた宗教だった。今思えば農協の駐車場のあの光景は、「親と子ども」「社会とオウム」の決定的な対立と断絶を象徴していたのかもしれない。



2015年04月06日

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