34.総選挙

一九八九年十月に出家した私が、最初に経験したイベントは「総選挙」だった。
出家した弟子にとって選挙は思いがけないことだから、教祖は富士のサマナを全員集めて意思を確認した。その一部始終がビデオ撮影され、私のように討議の後に出家したサマナにも経緯がわかるよう、道場で大きなスクリーンに映して観る機会が設けられた。
選挙に出る大きな理由は、一つでも議席を獲得して政治的な影響力を持てば、なかなか認可が下りないオウムの病院や学校の建設が実現し、マハーヤーナ(大乗)の救済が進むということだった。同じ年に「被害者の会」の親が政治家に働きかけて、オウム真理教の宗教法人認証が遅れたことも影響しただろう。
「オウム真理教は君たちと私によって成り立っている団体だから、君たちの意向を無視するわけにはいかない。半数以上が宗教は宗教として純粋に救済すべきだと考えるなら、それでもいいと考えている。多数決によって選挙に出るか出ないかを決めたいと考えています」
教祖は、賛成・反対両方の意見を堂々と述べるように言った。
サマナは、賛成・反対の意思を起立して表明し、それぞれの立場から意見を述べることになった。教祖の意向が出馬にあったので、賛成百二十名、反対五十四名と賛成派の数が多く、賛成派は「グルがそう言うのだから何が何でも賛成だ」と言わんばかりの勢いで意見を述べた。
一方、反対派は、今飛躍的に伸びている宗教活動に集中する方が、結果的に早く救済が進むという主張だった。両方の意見を聞いて、賛否の人数を確かめることを繰り返すうちに、賛成派が大多数を占めるようになった。反対意見を翻さなかったマイトレーヤ大師が、「大多数が出馬に賛成している以上、賛成意見の立場に立って、成功するように全力を尽くすべきだ」と言うと、最終的には全員が賛成にまわり、出馬することが決まった。教祖は選挙について機関誌にこう綴っている。
「透明な、飛躍に富んだ未来を、もし君たちが考えるとするならば、ここで私たちは宗教という観念から離れなければならない。大切なことは実践である」

このような討議をへて、オウムは「真理党」を結成し選挙戦に突入した。
東京23区を中心とした選挙戦で、信徒とサマナは、ビラ配り、ポスター張り、電話かけ、街頭パフォーマンス、宅訪(各家を訪ねて投票をお願いする)などを極限で行った。
選挙用のさまざまな出版物を作るために富士の編集にいた私も、最終局面の総動員戦では東京に召集されて、電話かけや街頭でガネーシャ帽(ゾウの頭の帽子)をかぶってビラ配りなどをした。最初から長期間にわたって選挙バクティをしていた信徒・サマナは、見るからにぼろぼろで疲労困憊していた。
「どんな極厳修行より、選挙のときのバクティの方がきつかったよね」
修行の猛者がそう振り返っていた。
しかし、そこまでしても結果は全員落選という惨敗だった。
選挙の結果について教祖は、「投票箱のすり替えがあった」と言って、裏工作があったことを匂わせ、実際に投票した人の数を調査するよう命じたが、「投票した」「投票しなかった」ということを明言してくれる人は少なく、調査はうやむやになった。
私は「そんなばかなことがあるわけがない」と思った。でも、「そんなばかな」「まさかそんなことが」と一瞬考えても、声をあげて異をとなえることもせず、教祖に不審の目を向けることもなかった。「投票箱のすり替えなんて、ばかげている」と思うなら、そんなことを言う教祖は「ちょっとおかしいのではないか?」と、なぜあのとき考えなかったのだろう。
おそらく、「解脱・悟り」「救済」という大きな目的の前では、「あれ?」っと思う小さな疑問や、なんとなく抱く違和感をスルーしてしまうのだろう。
そして、次々と大掛かりな活動が指示され、神秘的な体験をともなうオウムでは、ささいな“ほころび”のようなものに目を向けて、立ち止まって考えることはできなかった。それが積もり積もっていけば、現実から大きく乖離することになるだろう。


*選挙活動をした1989年、2月田口修二さん殺害。11月坂本弁護士一家殺害。


2015年04月01日

コメント

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不正選挙はこの日本で当たり前のように行なわれてることですよ
  • | 2016-12-14 | No name URL [ 編集 ]
      

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