33.体験の束

オウムでは、純粋に宗教的な修行やイニシエーション以外に、「イベント」のようなものが頻繁に開催された。思いつくままにあげてみると、
「アストラル音楽コンサート」「水中エアータイト・サマディ」「総選挙」「石垣島セミナー」「熊本県波野村シャンバラ精舎建設」「ダンスオペレッタ・死と転生」「キーレーン・コンサートツアー」インド・スリランカ・ロシアへの大がかりな「巡礼・救済ツアー」
そして、さまざまな事業を展開していた。
オウム真理教附属医院。秋葉原の「マハーポーシャ」をはじめとするパソコンショップ。ラーメン店「うまかろう・安かろう亭」などの飲食店。ディスカウントスーパー「M24」。24時間宅配の「オウムのお弁当屋さん」。
食品工場、印刷工場、中古の製麺機を購入してラーメンの製造、中古の射出成型機を購入してタッパーの製造、某新聞社の中古新聞輪転機を導入して――これを安く買ってきて素人が組み立てて動かしてしまうことが驚きだが――『極智新聞』など新聞の印刷。ロシア国内でのテレビ番組制作と放映。同じくロシアのラジオ放送権を買い取って日本向けのラジオ番組制作と放送。
布教にかかわる通常の出版活動やパーリ語仏典・チベット密教経典の翻訳、アニメーション制作。富士山総本部道場の建立をはじめ、おびただしい数のサティアン棟の建設。それとは別に、一部のサマナは秘密裏に兵器や毒ガスを研究し、サリンまで作ってしまったのだ。
これらはなんとわずか七年ほどの間に、教祖によって発案・指揮され、外注することなくサマナという素人集団によってなしとげられていった。

あるとき、私は後輩の女性サマナに「出家して最初どういう部署にいたの?」とたずねた。
「最初は秋葉原でマハーポーシャのビラ配りをしてたんだけど、すぐに第八サティアンの建築にまわされて。建築作業なんてしたことないのに、みんなで生コン流したり、教えてもらいながらいろいろやりましたよ。朝から夜暗くなるまでやって、終わって食事したら修行で、あのときはもうふらふらになって、ワークしながら眠ってました。ほんとに極限だった。」
まったく経験のなかったことを極限でやった、と顔を輝かせた。
大学を中退して出家した男性サマナに同じことを聞いた。
「波野村でプレハブをたくさん建てました。ユンボの運転なんて初めてで、泥まみれになりながら山を削って。昼はものすごく蒸し暑いのに夜は寒いし、地面はドロドロで、村が水道も電気も下水道も使わせてくれなかったから、シャワーなんてないし。泥汗まみれのままワークして。村民とか雇われ右翼が妨害しにくると無線で呼ばれて、みんなワークを放り出して救援に行きましたよ。でも救援って言っても、非暴力を守って手出しはしないのでやられ放題で。命がけでしたよ。」
そう誇らしげに話してくれた。
常識を超えた困難なワークは、若いサマナにとって特別な経験だった。「やったことがない」「できないだろう」という自分を縛っている観念を極限のワークで打ち破ることには、大きな達成感と喜びがあった。そしてそれが自己の利益を離れた奉仕だからこそ、解放感を与えてくれたのだと思う。
修行もワークも含めて考えてみると、オウムは巨大な「体験の束」だった。体験とは自らの身体・五感を通して経験することだ。私たちは、単純に洗脳されたわけではない。修行とワークによって自分の枠を超えさせられ、日々生まれ変わっていたようなものだ。
そんなことを経験させてくれる場所が、どこにあるだろう。


2015年03月29日

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