30.直弟子と説法

教祖の直弟子に向けた説法は、いつも突然知らされた。
「尊師ご説法です!」
「至急二階道場に集まってください。尊師説法です!」
「全員集合してください!」
「これから説法をする」という連絡を受けた事務のサマナが大声で叫ぶと、通りがかりに聞きつけたサマナはすぐに各部署に大声で伝え、離れた部署には内線電話をかけた。知らせを受けたサマナは、ワークを中断してノートと筆記用具を持ってダダダッと駆け出す。これから説法が行われるという知らせに、富士道場はぴんと張り詰めた緊張と喜びに包まれた。
どこからわいて出てきたのかと思うほど、あっちからもこっちからもサマナがやって来て階段を踏み鳴らして二階へと駆け上がった。富士には二百人近いサマナがいたと思う。
古参の成就者が率先して前に立ち、祭壇の前からステージ順、出家順に並ぶよう指示をする。出家時にもらったサマナ番号を互いに確認しながら順番にすわると、それぞれ加行のマントラを唱えながら教祖を待つ。
教祖と高弟たちは富士道場に隣接するサティアンと呼ばれる別棟に住んでいた。ほどなく教祖は六歳の三女アーチャリーの肩に手を置いて、ケイマ大師やマンジュシュリー大師など高弟たちに囲まれて、何やら打ち合わせをしながらゆっくり歩いてやって来る。
説法を生で聴けるのは、富士にいるサマナの特権だった。支部にいるサマナや当日ワークで出かけているサマナは、後日ダビング班から各部署に配られるカセットテープで説法を聴くことになる。
説法が終わると、だれでも手を上げて説法内容についての疑問はもちろん、個人的な質問もできた。
かなり切羽詰った様子で質問する者や、考え抜いた末に質問する者、「そんなこと聞かなくてもいいのに」と思うようなことを聞く者もいた。
「ワークに集中できなくて、どうしたらいいでしょうか…」
「食の煩悩が出てきて、どんぶりに五杯食べてしまうのですが」
直弟子に向けた説法は不定期に行われ、連夜続くこともあれば、教祖が留守のときや、修行に入っているときはもちろん行われない。教祖が普通に富士にいるのに説法しない日が続くと、部署の師から気を引き締めて法を求める気持ちを持つように言われた。
「グルというのは求めなければダメなんだ。弟子が法を求めなければ、グルは法を説けないんだよ。みんな、もっとグルを意識ないと」
説法の内容は、仏教の世界観に基づいたものの見方、考え方、生き方、修行の進め方が中心で、いわゆるおもしろい話は一切ない。そこにいるのは出家修行者だから当たり前なのだが、みんな心から法を求めていた。あんなふうに誰かが語る言葉を心待ちにして、全身で聞き、理解し、そのように生きようとする人たちを、私は見たことがなかった。

出家したばかりのとき、はじめて教祖に質問した。「私はここにいるんですよ」とアピールしたくて、どうということのない質問をしたのだが、教祖もそれは十分わかっていたのだろう。質問への答えではなく、とても楽しそうに笑いながらこんなことを言った。
「どうせまた、くだらない本を、たくさん読んできたんだろう」
これが出家して最初に教祖が私に言ったことだった。
たしかに本は好きでよく読んだが、「たくさんかどうかは…」と、そのときちょっと反発を覚えた。それに、「また」ってどういう意味? 「また」って…。
「尊師の神通で見通された」とは思わなかったが、この言葉は妙に私の心に残った。


2015年03月25日

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