29.富士のサマナ生活

出家者は、スタッフ、シッシャ、沙門(シャモン)と呼び方が変わり、最終的にサマナと呼ばれるようになった。
サマナ生活の基本はひたすら「徳」を積むことだ。徳は車のガソリンにも例えられ、徳がなければ現象も動かないし修行も進まないとされていた。
出家して最初に事務のサマナから生活全般について説明を受けたときのことだ。
総本部の玄関を入って左の奥に四、五人は楽に入れる男女別の風呂場があった。そこに案内して入浴のルールなどを説明してくれた元気のいい女性サマナは、家庭の四倍ほどある浴槽を指差し、大きな声を浴室に響かせて言った。
「温かい湯船に入って、ああ、いい湯だなあ~と思った瞬間に、徳が減りますからね。できるだけ徳を減らさないように、湯船には入らないでシャワーにした方が絶対に成就は早いですよ」
「ああ、いいお湯だなあ…」と思った瞬間に、徳が漏れて減ってしまうという説明は衝撃的だった。
「そ、そうなんだあ…」
先輩サマナの自信に満ちた顔をまじまじと見た。
そう言われたからか湯船には一、二回しか入らなかった。サマナは基本的に湯船には入らなかったので、やがて湯がはられることもなくなった。

衣類は被服班が作った白いサマナ服の上下が支給されていた。普段着は、制服のズボンに教祖のイラストがプリントされた「オウムTシャツ」。おしゃれをするということはなく、せいぜいTシャツを着替えてイラストの色が赤、青、ピンク、紫と変わるだけだった。「業財(ごうざい)」と呼ばれるお金が毎月三万円(後に八千円)支給されていて、その中からTシャツやその他生活必需品を買い、徳を減らしたくなければ「倉庫持ち出し」申請をしてお布施品の中から中古をもらった。衣食住は教団でまかなわれ、お金を遣う必要がなかったので、毎月の業財をまるごと三万円布施するサマナも珍しくなかった。業財の支給には、お布施の実践ができるようにという意味もあった。

食事は、温かいオウム食(根菜類の水煮)とご飯と豆乳、そして、納豆、のり、白ゴマ、塩、しょうゆが一階の食堂に準備されていた。サマナは好きなときに食堂で食べるか、ワーク場所へ持ち込んでワークをしながら食べた。使った食器はかごに入れておけば生活班が洗ってくれる。監視するような人はいないので、だれがどれくらい何回食べようが本人次第だった。
理想は、まったく味をつけないか薄味で少ない量を食べること。でも、食欲をコントロールするのはなかなか難しかった。ところで、富士に常備されていたしょうゆは、私がそれまで食べたなかで一番美味しいものだった。温かいご飯にかけるだけでも、つい食べ過ぎてしまうほど上品で香りが高く、オウムにしては高級だなと思っていたら、仕入れ担当のサマナがこだわりの醸造元から樽で買って取り寄せていたらしい。そんな噂が広まる頃には普通のしょうゆに変わっていたが、毎日同じ根菜の水煮でも、野菜を切る人や季節によって微妙に風味が変わり、不思議と飽きることがなかった。

深夜零時からの「夜礼」にサマナは全員参加することになっていた。
メニューは、「帰依マントラ」「修行者の心得」「苦の詞章」「大乗の発願」「回向」を全員で唱えて、お知らせがあれば伝えられ、三十分ほどで終わった。サマナの数が増え、各部署ごとのワークの都合もあって、やがて夜礼は行われなくなった――というのは言い訳だったと思う。自由気ままなサマナが多く、時間になってもなかなか人が集まらず「夜礼」はできなくなった。オウムはグルを頂点とするピラミッド型組織といわれるが、実際のサマナ組織はずいぶんといいかげんだった。


*このときから一年ほど前、1988年9月末頃、真島照之さんが事故死したのは富士の女子風呂でのことだった。



2015年03月24日

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