18.説法

教祖を見たとき、特別な思いはわいてこなかった。説法を聴いてもそれは変わらなかった。
教祖は淡々と法則(ダルマ)について語り、その後の質疑応答も意外なほど理性的で論理的だった。それが印象的だったと言えば言えるかもしれない。崇拝するグルを囲んで熱気に包まれているのを想像していたが、信徒はよどみなく流れる説法を理解しようと注意深く耳を傾けていた。

その頃聴いた説法で、「そうだったのか」と思ったことがある。
それは、「なぜ嘘をついてはいけないか」についてだ。
「生き物を殺さない」「盗まない」「嘘をつかない」など、仏教の十戒を守る理由は、他に苦しみを与えれば、カルマの法則によって、その苦しみは自分に返ってくる。
小さな生き物でも殺せば、そこで与えた苦しみは自分に返ってきて、傷つき苦しむ。
人の物を盗めばそのカルマが返り、奪われ貧しくなる。
嘘をつけばだまされる。
他の生命に不利益を与えれば、カルマの法則によって不利益が返るからなしてはならない。他に利益を与えれば、利益が返ってくるから善行をなせということだった。
オウムでは、このような戒律の意味をもう一歩踏み込んで解説していた。
なぜ嘘をついてはいけないか――嘘をつくとき、自分をきれいに見せようとする心の働きがある。これは周囲に心の「壁」を作ることでもある。この壁は自分をきれいに見せるが、同時に、壁によって物事が正確に見えなくなる。悟りという「ありのままにものを見る」境地を目指す修行者にとって、曖昧にものを見ることは、修行の不利益になるという。
嘘をつくと自分自身が曖昧になり、ありのままに見る力を失う。このような「心」という視点からの説明は、家でも学校でも聞いたことがなかった。知識はたくさん教えられたけれど、どう生きるべきかということを、教わったことはなかったような気がする。

なぜ嘘をついてはいけないか、なぜ酒を飲んではいけないか、なぜ生き物を殺してはいけないか。倫理や道徳ではなく、法則に照らして考えさせられて、「なるほど、そういうことか」「こういうことが知りたかったんだよ」「これはみんなに教えてあげたい」と思うことは多かった。
信徒だった者で、オウムの犯罪を憎む人は多いが、法則を教えてもらったことを感謝している人も多いかもしれない。
後に脱会したとき、私は訪ねてきた公安調査庁の人に言った。
「教祖と弟子たちの犯罪が裁かれるのは、当然のことだと思っています。それとは別に、教祖が法則を説いてくれたことは感謝しています。私にとって法則を知ったのはとても貴重なことでした」


2015年03月11日

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