「わかってほしい…」

地下鉄サリン事件が起きて一年以上経っても、オウムに対するごうごうたる非難が鳴りやまなかった頃、私は「きちんと説明する機会があれば、オウムのことをわかってもらえるはずだ…」と思っていました。教祖の指示でごく一部の弟子が、あまりにもひどい事件を引き起こしたために、オウム全体が邪悪な犯罪集団のように思われているけれど、私たちが日々やってきたことを説明すれば、本当のオウムは違うんだということがわかるはず…あまりにもナイーブにそう信じていました。

事件直後からメディア対応の現場にいた私は、受けた取材が現実にどう使われ報道されるかを見てきました。やがて、メディアにはもともと“意図”というものがあって、それに沿って取材をしているということがわかってきました。あるがままを報道しようとしているわけではなかったのです。どんなメディアの取材であろうと、こちらがどんな受け答えをしようと、例外なく、できあがってくるものはメディア側が意図しているストーリーに落とし込まれました。
オウムのサマナ・信徒の多くは、とても世間知らずでしたから、取材を目的に近づいてきた人が少し熱心に「なるほど、そうなんですね」などと、こちらの話にうなずいて耳を傾けてくれれば、「この人なら信用できる」「あの人はオウムをわかってくれる」という淡い期待をいだいてしまい、本当に何度も何度もバカみたいに(!)だまされました。私は、メディアの人を信じては裏切られ、また信じては裏切られるオウムの人たちの姿を見ているうちに思いました。

「私たちに、わかってほしい…という甘えがあるんだろうな。私は、世間がオウムをわかっていないと思っているけど、でも、もしかしたら、オウムをわかっていないのは、実は、私の方なのかもしれない。オウムにいる私がわからないものを、どうして世間の人にわかる?」

それから数年後、刑期を終えた上祐氏が教団に帰ってきて内部が落ち着きを取り戻すと、私はオウムとはどういう宗教だったのか自分なりに突き詰めて考えるようになりました。教祖の説法・講話を時系列に沿って読み直すことはもちろん、宗教史や深層心理学や神話学などかなり多くの専門書を読みました。私の書棚に並んでいる分厚い本を見ると、教祖が出家してきた私に笑いながら言った最初の言葉がふと思い出されます。

「また、くだらない本をたくさん読んできたんだろう」(「30.直弟子と説法」参照)

まったく無駄なことをしているような気がすることもありましたが、私は教祖とオウムをなんとか理解したいと思いました。そして、その結果、今はもうそのような書籍を読むこともなくなり、オウムのことを「わかってほしい…」という気持ちも、きれいさっぱりなくなってしまいました。やっぱり、わかっていなかったのは、私自身だったのです。
ところで、「オウムとクンダリニー」のエントリー101までと102の間には飛躍があります。そこを埋めるとなると長くなりそうで、「いつか続きを書くことがあれば…」と思っていたのですが、「わかってほしい」という気持ちがなくなると、書こうという気もなかなか起きなくなります。そういうわけで飛躍した部分を埋めることなく二年ほど放置していたのですが、最近になってちょっと心境の変化がありました。


2017年08月08日

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コメント

わかってほしい

オラは読みたいだ!!

待ってます。 いつか書ける日をお待ちしております。
  • | 2017-08-16 | IT URL [ 編集 ]

No title

101はすごく感動しました。
私も待ってます。
  • | 2017-08-16 | みーたん URL [ 編集 ]

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  • | 2017-08-22 |   [ 編集 ]
      

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