早川紀代秀死刑囚の文章②

『オウムはなぜ消滅しないのか』(中島尚志)を読んで
2.私に関する事件についての補足修正、他

「この教団が初めて犯罪らしき事件に手を染めたのは、ある偶然と言ってもよい事故からだった。それは、真島照之という在家信者が富士山総本部で集団で百日修行をしている時、精神状態がおかしくなり、道場内を走り回り、大声で叫んだりしたことに端を発する。故村井秀夫、早川紀代秀らが、頭を冷やすために水をかけているうちに、水死させてしまったのだ。八八年九月下旬の頃だった。」(『オウムはなぜ消滅しないのか』p24)

真島事件のとき、私は真島さんに水をかけてはいません。状況は次の通りです。
〇食堂で食事をしていると、新実(ミラレパ大師)から、食事が済み次第風呂場へ行くように言われて行く。(何のために行くのかの説明なし)
〇行ってみるとH(医師)らが真島さんに頭から水をかけており、いったい何をしているのか尋ね、しばらく立って見ていた。
〇真島さんの様子がおかしいように見えたので、Hにやめるように言うと、Hが「大師からの指示なので大師からでないとやめられません」と言う。
〇それで、どの大師の指示かと尋ねると、「ラーフラ大師です」と言うので、ラーフラ大師をすぐに呼びにやり、彼からHの行為をやめさせるように言う。
〇ラーフラ大師の「やめ」という指示でHはやめたものの、そのとたん、「あれれ? おかしい…」と真島さんの様子がおかしいことにHが気づき、大さわぎになったという次第です。

「坂本弁護士が長女に向かって、『人を救いたいなら、まずお母さんから救ってあげたらよい。修行をしたいなら、親を泣かせないで、家から通ったらどうですか』と述べた。これに対して早川は、『親とは縁を切っているので、親ではない。娘さんが病気になっても、死んでも帰しません』と答えたという。」(p28)

確かに聞かれたことに対して、教団の当時の規定について説明しましたが、上記のように言ったという記憶はありません。
私が尋ねられて言ったのは、「成就するか、三年間は親元へは帰れない決まりになっています。本人が希望しない限り」というもので、病気については、はっきりとは覚えていませんが、尋ねられれば「病気になっても治療は受けられるので、帰れないでしょうねえ」というように答えたと思います。
坂本さんの関係では、私が事件直後、関係していたのではと疑われたためと思われますが、身に覚えのないことを、私がしたとか言ったとかいうことになっていました。それらは麻原裁判のときに証言しています。上記内容についても、悪役イメージから出てきたものではないでしょうか。私は教団の代表として新実とともに出席しており、教団で決められていたこと以外のことを発言するはずはありません。引用されている内容は、当時の規定に合ってはいません。

「午後九時頃まで待っても坂本弁護士が現れないので早川は自宅にいる可能性もあると考え、麻原に電話で指示を仰いだ。」(p32)

ということですが、私が電話で指示を仰いだのは、岡崎が勝手に坂本さん宅のドアを開け、カギがかかっていないことを発見し、靴があるから坂本さんは家の内いると無線で連絡してきたからです。
岡崎のこの行為(グルの指示でない行為)でドアのキーがかかっていないことが発見されなければ、そのまま終電まで待って終わりか、当日が祭日と気づいた時点で引き上げていました。現に岡崎の行為の少し前、午後八時頃に、私と端本は坂本さん宅へ電話を入れ、もし坂本さんが在宅していれば、今日はそれで中止ということでした。しかし、残念ながら、電話は切られておりつながらなかったため、その後も見張りを続けていたのです。
岡崎は責任を私に押しつけ、自分を小さく小さく見せようとしていましたが、その効果が出た引用ですね。

「軍事武装訓練は、明らかにされているだけでも、九四年四月におこなわれた数十人の教団信徒集団の十一日間に及ぶロシアでも射撃ツアーがある。このとき信徒らはバズーカ砲、機関銃、拳銃などの実射訓練をおこなっている。実際に出かけた信徒から私が直接聞いた話では、ちゃちなほど初歩的であり、滑稽な内容だったようではあるが。」(p41)

ロシアの射撃ツアーは、軍事訓練として企画されたものではなく、ロシア側が外貨獲得のために提案してきた観光ツアーでした(これは取り調べ段階から何度となく説明してきました)。だから内容が初歩的なのは当然です。
おつきあいをしていた政府高官が軍のトップになり、いつも窓口になっていた方から、私へこのツアーの提案がありました。それをグル麻原に伝えたところ、「お金がいるのでしょう。おつきあいとして、お金を落としてあげなさい」ということで、提案を受けることになったのです。ただし、最初は、ツアーの参加者は在家信徒さんや一般から募集するというものでした。ところが希望者が集まらず、しかたなく、サマナ(出家者)を出そうということになったのです。
そこで第一回目では、同じ参加させるのなら、銃器に詳しい者や好きな者を行かそうということになり、そのようなメンバーが行きました。しかし、第二回目では費用が安くつくように、ロシア支部にいたサマナが上祐を含めて参加しました。三回目にいたっては、何を基準に選ばれたのかわからないメンバーでした。予定ではもっと続けるはずでしたが、三回で打ち切られました。十一日間というのは、一回目と三回目が各三日間、二回目が五日間で計十一日間ということです。それぞれ参加者は毎回違っていました。

<(p22)教団ステージについての間違いを指摘した部分省略>

「九〇年二月におこなわれた総選挙で麻原とともに立候補した理由は、九九年にハルマゲドン(オウム教団によれば世界最終戦争)がやってきて世界は大混乱になるという麻原流の説明に現実感覚から見れば納得できないが、麻原の霊的力によって実現する可能性もあると考えたようである。
大きな事件は坂本弁護士一家殺害事件に積極的に関与したことである。」
(p74)

私は立候補はしていません。一人、麻原専属の秘書がいるということで、奥さんか私のどちらかと言われ、「私がします」と言いました。おそらく当時、坂本事件の嫌疑をかけられていたので、私を立候補させたくなかったものと当時も今も思っています。
坂本事件には「積極的に関与」はしていません。

<「3.後期インド密教の殺人を容認する個所は誤りということについて」に続く>


2017年05月19日

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