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16.修行者と煩悩

ヨーガ・仏教的な世界観を学んで、修行者として生活することは、煩悩(欲望)うずまく現実社会にあってはなかなか難しいことだった。煩悩を厭い、離れようとすればするほど、食べ物や会話や人づき合いなど、現実生活はとても生きにくくなっていった。
一日二食、目指すは一日一食。菜食。酒を飲まない。テレビは観ない。雑誌は読まない。布団では寝ない(硬い床で寝る)。睡眠時間はできるだけ減らす(理想は三時間程度の睡眠)。
そして、仏教の十戒を守る――
生き物を殺さない。
盗まない。
愛のないセックスをしない(出家者は性エネルギーを漏らさない)。
面白いだけで意味のないことを言わない。
嘘をつかない。
悪口を言わない。
仲たがいをさせることを言わない。
必要以上に欲しがらない。
嫌悪しない。
真理を否定しない。

信徒はこのような生活規律を守りながら、質素倹約を心がけ、よく布施をした。
布施をしてお金や物への執着から離れるほど、心は軽くなり喜びは大きくなるという。普通の感覚では「お金をとられている」と見えても、信徒にとっては「喜捨」だった。
金銭の布施ができない人はバクティ(奉仕)をした。
「なにかバクティはありませんか?」
「チラシ折りのバクティがありますよ」
「徳を積みたいのでバクティがしたいです」
「ヒヒイロカネ袋を縫ってもらえますか」
道場では、いつもこんな会話が交わされていた。
金銭の布施もバクティも、自分の利益から離れることは同じだった。信徒は、なしたことが返ってくるという「カルマの法則」を信じていたので、金銭を布施すれば、必要なときに金銭的な豊かさが返ってくるし、バクティをすれば、自分が困ったときに助けがあらわれる。自己の利益を求めれば得られず、自己の利益を手離せば得られるという、現実社会とは百八十度違う価値観で生きていた。
信徒はそれを「真理の実践」だといって全力で行なった――極厳ビラ配り、極厳蓮華座、極限の布施、極限教学、極限のクンバカ(息を止める)、極厳修行など、なにをするにも「極厳」や「極限」が好きだった。
そうやって限界まで自分を追い込み、エゴがつぶされてはじめてあらわれる「真理」を悟ろうとしていた。


2015年03月08日

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