スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日

信じているとか、いないとか

東日本大震災があった年の暮れ、逃走していた平田信さんが突然出頭してきました。報道では、彼が取り調べ中に座法(修行のときの座り方)を組んでいるようだから、まだオウムを信じているに違いないと書かれていましたが、
「座法を組んでいるからって、それはちょっとどうかな…?」と思いました。
高橋克也さんが逮捕されたときは、座法を組んでいるだけでなく持っていた荷物のなかに教祖の写真や著書があったので、「いまだに麻原とオウムを信じている」と言われていました。
「まあ、そうなんだろうなぁ…」と思いました。
そして、平田さんも、その後逮捕された菊地直子さんも、弁護士を通じて「もう麻原さんもオウムも信じていません」という声明を発表しました。彼らの思いがどう変遷していったのか、真実はどうなのかわかりませんが、裁判の前にきちんと信仰を否定するという方針だったのでしょう。高橋さんは信仰を否定していませんが、信じていようがいまいが無期懲役は避けられない状況でしたね。

朝日新聞の記者・降幡氏が書いた『オウム法廷』(朝日文庫)のなかに、彼が裁判を傍聴しているなかでびっくりしたことが書かれていました。中川さん(中川智正死刑囚)が法廷でこう言ったからです。
「私は麻原氏の最終解脱を信じていなかった」
私はそこを読んで「あ、それ、よくわかる…」と思いました。
おそらく降幡氏は、教祖が「最終解脱した」と言えば、弟子はそれを盲目的に信じるものだと思い込んでいたのでしょう。
私はオウムに入信してから出家しているあいだも、教祖とオウムを全面的に信じるということはありませんでした。いつも「ほんとうかなあ…」という思いがどこかにあって、自分が納得するまでは「保留」にしていることがたくさんあったのです。
中川さんもそうだったのかもしれません。

人がなにをどう信じているか、外からはわからないものです。蓮華座を組んでいるから、著書を持っていたから、教団にいるから、オウムを信じているとは言い切れません。同じように、教祖の写真を破ったから、批判しているから、脱会しているから、「早く処刑しろ」と言っているから、教祖を信じていないとも言い切れません。あるいは、「私は絶対、信じている!」と言ったとしても、その人がそう思い込んでいるだけで、本当は違っていたということもあります。反対に、私のように「信じてはいなかった…」と言っていても、私がそう思い込んでいるだけで…ということもあり得ます。本心なんて、自分にもなかなかわからないものですよね。

オウムでは天地がひっくり返るように、信が疑に、聖が邪に、善が悪に、尊敬が軽蔑に、栄誉が恥辱に、光が闇に…と、ありとあらゆることが暗転してしまいました。つくづくと、この世には確固たる価値はないんだな、本当に無常だな…そんな思いが残りました。


2016年09月23日

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

コメント

宇宙の究極真理

宇宙全体を動かしている大いなる力が

現代日本で麻原彰晃という人物、オウム真理教という団体を通じて

非常にダイナミックな陰陽の転換を起こし

「宇宙は陰陽で動かされている」という真理を伝えているように感じています。


AUMのAは口を丸く大きく開けた時に発する開口音で、外側に向かうエネルギーの流れである陰を表します。

AUMのUは口を丸く小さく開けた時に発する半開口音で、陰と陽が拮抗しているエネルギーを表します。

AUMのMは口を完全に閉じた時に発する閉口音で、内側に向かうエネルギーの流れである陽を表します。


AUMという波動は陰→陰陽→陽が循環しているという宇宙の究極真理を表しています。

オウム真理教の英語名は

AUM SUPREME TRUTH

AUM 究極真理 でした。
  • | 2016-10-06 | 至福 URL [ 編集 ]

信じるということ

>私はオウムに入信してから出家しているあいだも、教祖とオウムを全面的に信じるということはありませんでした。いつも「ほんとうかなあ…」という思いがどこかにあって、自分が納得するまでは「保留」にしていることがたくさんあったのです。

在家でしたが、自分もそうです。保留事項だらけで活動していました。最終解脱なんて本当にあるのか無いのか分からなかったし、解脱もそう、シヴァ大神という存在もそう。教団の指示に従っていたのだって、サクラー正悟師やTD師含めた出家者を信頼していたからこそ。教祖の神格化はどこの教団にも起こりうることだと思っていたので、直近の出家者に信を置いていたのが実情でした。

自分の本心は自分には分からないという趣旨のお話ですが、自分としましては、一応、オウムとは縁は切れたと思っています。部分的には仏教であったにせよ、今は仏教とは違う宗教であったと思っています。
  • | 2016-10-14 | 匿名 URL [ 編集 ]
      

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。