オウム関係者が書いた手記①

オウム関係者の手記を読むとき、留意するべき二つのポイントがあると思います。
一つは、どの時代のオウムについて語っているのかということ。もう一つは、語る人がオウムのどういうパートにいたのか――特に非合法活動(ヴァジラヤーナ)をしていたのかそうでないのかということです。(オウムの時代区分と特長については「宗教服の色と時代区分」参照)

元オウム関係者が書いた主な手記をあげます。

1.【非合法活動(いわゆるヴァジラヤーナ)をした弟子による手記】
『オウムと私』林郁夫(文藝春秋 1998/09)
『私にとってオウムとは何だったのか』早川紀代秀/川村邦光共著(ポプラ社 2005/03)
『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 「学生の皆様へ」』(2008年公開)
『革命か戦争か』野田成人(サイゾー 2010/3)
『オウム17年目の告白』上祐史浩(扶桑社 2012/12)
『オウム死刑囚「井上嘉浩」の獄中手記』門田隆将による引用(「文藝春秋」2014/02)
『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記』広瀬健一(真宗大谷派円光寺HPに一部掲載/執筆年月日不明)

2.【非合法活動(いわゆるヴァジラヤーナ)を知らなかった関係者の手記】
『麻原おっさん地獄』田村智/小松賢寿共著(朝日新聞社 1996/01)
『オウムからの帰還』高橋英利(草思社 1996/03)
『オウムはなぜ暴走したか。』早坂武礼(ぶんか社 1998/10)
『カルトにハマる11の動機』加納秀一(アストラ 2000/06)
『二十歳からの20年間』宗形真紀子(三五館 2010/02)
『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』松本聡香(徳間書店 2010/04)
『止まった時計』松本麗華(講談社 2015/03)

事件後間もない1996年に出版された手記は、比較的オウム歴の浅い人によるものでした。『麻原おっさん地獄』の田村智氏(1993年出家)も『オウムからの帰還』の高橋英利氏(1994年出家)も、オウムでのキャリアは一、二年と短く、主に九四年から九五年のオウムについて語っています。高橋英利氏はいくつかの雑誌で識者との対談もあり、幅広い問題意識をもってオウムについて発言をしていました。ただ、長年オウムで修行を続けていた内部の人からは「もう少しオウムの修行を経験した人に、オウムについて語ってもらいたいよね…」という意見もありました。

1998年になると林郁夫氏(無期懲役囚)の『オウムと私』が出版されました。関係者が書いたものとしては最初のまとまった記録です。同じころ早坂武礼氏の『オウムはなぜ暴走したか。』も出ていますから、関係者がオウムという体験をひととおりまとめて出版するのに、三年かかったということなのかもしれません。
オウム関係者の手記が出版されるためには、当然オウムと麻原彰晃を完全に否定するということが前提になるでしょう(例外は三女・松本麗華氏の『止まった時計』)。その姿勢が顕著だった林郁夫氏の手記はある程度社会に受け入れられ、オウムを理解する資料になったのではないでしょうか。早坂武礼氏の『オウムはなぜ暴走したか。』は、「否定」という点では曖昧さを残していますが、大部分の信徒同様早坂氏もオウムの非合法活動(ヴァジラヤーナ)を知らなかった立場でしたから、この時点では事件という結末を消化できなかったのかもしれません。

2000年には加納秀一氏の『カルトにハマる11の動機』が出版されました。一見オウム本とは思えないタイトルで出版されていますが、中身は加納氏のオウム体験記です。加納氏は1987年にオウムと出会い、1989年に出家、印刷工場、支部活動というワークについていましたから、オウムの非合法活動(ヴァジラヤーナ)とはかかわりがありませんでした。事件後すぐに微罪逮捕されて脱会しています。「オウム神仙の会」と「オウム真理教」時代を広くカバーしており、オウムでの修行や生活がいきいきと描かれています。

2005年、早川紀代秀氏(死刑囚)の『私にとってオウムとは何だったのか』が、宗教学者川村邦光氏との共著という形で出版されました。早川氏は、事件を真摯に反省しながらも、教祖については林郁夫氏ほどはっきりとした否定を表明していません。宗教学者の川村氏が解説を書くことで、それがある意味安全弁となって出版が実現したのかもしれません。オウム真理教と事件についての重要な資料だと思います。ただ、早川氏はサリン事件にはまったくかかわっていないので、その点は他の関係者の手記に期待するしかありません。

2010年には、宗形真紀子氏の『二十歳からの20年間』、野田成人氏の『革命か戦争か』、松本聡香氏(四女)の『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』が相次いで出版されました。1995年の地下鉄サリン事件後、オウム(アーレフに改称)は、2007年上祐氏の「ひかりの輪」設立によって完全に分裂しましたが、その後、教祖の四女松本聡香氏の働きかけをきっかけにして上祐氏のグループとは別に、中間派といわれていたメンバーが脱会していきました。そのような騒動の後、出版されたのがこの三冊で、宗形氏は「ひかりの輪」のメンバー、野田氏は「主流派」でも「上祐派」でもない中間派でした。事件から十五年経っていて、事件後のオウム(アーレフ)について書かれている部分(教団内部の対立)も多く、「オウム真理教」について考えるための資料としては少し弱いように思います。(松本聡香氏は事件当時はまだ五歳と幼かったので、オウム関係者の手記とするのはどうでしょうか?)。

2012年、上祐史浩氏の『オウム17年目の告白』。
2015年、松本麗華氏(三女)の『止まった時計』。

雑誌に掲載された井上嘉浩氏(死刑囚)の手記(抜粋)について、ここに取り上げましたが資料としては正確性に欠けると思いました。一方、広瀬健一氏(死刑囚)の手記は、オウムについて「神秘体験」という側面から深い考察がされていて、同じ観点から考えてきた私には大いに参考になりました。広瀬氏の手記については次回詳しくふれたいと思います。


2016年07月30日

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コメント

No title

非常に興味深い内容です。
このような観点からのオウム関連書籍の分析は初めて見ました。
ただ、修行者は宗教評論家になってはいけないと思います。
誰が何と言っても関係ない。
「犀の角のようにただ独り歩め」
私はこのように考えます。
  • | 2016-07-30 | ライナス URL [ 編集 ]

Re: No title

> ただ、修行者は宗教評論家になってはいけないと思います。
> 誰が何と言っても関係ない。
> 「犀の角のようにただ独り歩め」
> 私はこのように考えます。

ライナスさん、コメントありがとうございます。
おっしゃることはとてもよくわかります。

私は「オウムとは何だったのか?」という問いにとりつかれていました。
これまでにたくさんの関係書も読んできました。
「こんなことやってないで修行したほうがいいんじゃないの?」
という思いもありつつでしたが…苦笑
オウムについて書かれたものには、事実関係さえひどく間違っていることがありますよね。
オウムの全体像をとらえて、事件について考えているものも少ないという印象です。

今は、オウムについてあれこれ考えるということはもうありません。
関係した者として情報の整理はしたいなと思う程度です。
一か月に一回程度ブログを更新するために、過去に整理したことをアップしています。

  • | 2016-07-30 | 元TD URL [ 編集 ]

No title

一応私は、銃器製造やサリン製造も知ってましたし、第七サティアンフリーパスでしたんで。

核兵器製造計画(実際はオーストラリア旅行)、炭疽菌・ボツリヌス菌(という名目の雑菌w)培養、レールガン製造(取り締まりの法律なし)、などに関与。
  • | 2016-07-31 | のだ URL [ 編集 ]

Re: No title

> 一応私は、銃器製造やサリン製造も知ってましたし、第七サティアンフリーパスでしたんで。
>
> 核兵器製造計画(実際はオーストラリア旅行)、炭疽菌・ボツリヌス菌(という名目の雑菌w)培養、レールガン製造(取り締まりの法律なし)、などに関与。

のださん、コメントありがとうございます。
以前『革命か戦争か』を読ませていただきました。
読んだとき、「どうせできないだろう…」「言われた以上はやってみるけど」みたいなゆるい姿勢だった印象があるんですけど笑

ご本人からご指摘がありましたので訂正いたします。



  • | 2016-07-31 | 元TD URL [ 編集 ]
      

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