番外編06.不知火

球磨川が流れ込む八代海は不知火海ともよばれている。
「土地の人は八代海と不知火海、どちらを使うんですか?」
肥後高田駅から乗ったタクシーで運転手に尋ねたとき、間髪を入れず「しらぬい」という答えが返ってきた。

不知火海


不知火海の「不知火」とは、毎年旧暦の八月前後の満潮時に現れる自然の怪火の一種だ。『日本書紀』『肥前国風土紀』『肥後国風土紀』には、景行天皇(第十二代天皇)が熊本を訪れた際に、この不知火を目印にして船を進めたと記されている。江戸時代の記録が一番数多く、その後は次第に減っていく。昔の人が妖怪だと思っていた不知火とはどんなものだろうか。

「海岸から数キロメートルの沖に、始めは一つか二つ、『親火(おやび)』と呼ばれる火が出現する。それが左右に分かれて数を増やしていき、最終的には数百から数千もの火が横並びに並ぶ。その距離は四~五キロメートルにも及ぶという。」『幻想動物事典』

大正期に入って、不知火は蜃気楼の一種だと解明され、今では海の汚染や街の明かりのためにほとんど見ることができなくなった。それでも土地の人にとってこの海は「不知火」なのだろう。私は不知火という現象から、麻原彰晃がシャクティーパットによって、多くの人の霊的な炎・クンダリニーを覚醒させたことを連想した。
八五年暮れのセミナーで麻原彰晃はこう言っている。
「私がこの世に生まれたのは、あなた方の霊性を高めるためです。その霊性とはなんぞやと。つまりあなた方は異次元のものを経験しなければ信じないでしょ? 信じますか? だから異次元を経験させなければならない。そのためにシャクティーパットをやったんです」
麻原彰晃はのべ八千人を越える人びとにシャクティーパットをおこなった。親火があらわれて数千の火に分かれ増えていく不知火のように、それを受けた多くの信徒が霊的な炎・クンダリニーの覚醒体験をしたことで、オウムは急速に発展していった。(1)

午後二時を過ぎて陽はやや西に傾いてきたが、日差しは強いままだった。晴れわたる空と海のあいだには、天草の島々がくっきりと見えている。
「こんなに近くに天草諸島が見えるんだ…来なければわからなかった…四百年くらい前かな? 多くのキリシタンが殺された戦争があったのは…」
私は、キリシタン一揆と天草四郎について調べてみたいと思いながら、今日予定していた最後の目的地に向かうことにした。八代に来たからには水俣まで足をのばしたかった。熊本県の最南端にある水俣市は、ここから電車で一時間ほど南下したところだ。水俣病の資料館を見るなら、今から行ってぎりぎり間に合うかどうかだが、この機会を逃したくないと、私は携帯電話でタクシーを呼んで肥後高田駅へと向かった。

(1)麻原彰晃のシャクティーパットは一九八四年頃から一九八八年までおこなわれ、八九年からは大乗のヨーガを成就した高弟に引き継がれた。麻原彰晃のシャクティーパットは終わったが、その後もさまざまなイニシエーションをおこなってエンパワーメントは続けられた。


2015年11月27日

コメント

No title

本当に信者とは、一途にアッラーとその使徒を信じる者たちで、疑いを持つことなく、アッラーの道のために、財産と生命とを捧げて奮闘努力する者である。これらの者こそ真の信者である。
  • | 2015-12-01 | 三橋 URL [ 編集 ]
      

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する