番外編05.陽光と麻の原

金剛小学校の西側は田んぼや農業用ビニールハウスが並ぶ農地だった。空気はかすかに潮の香りをふくんで湿気が感じられた。このあたりは干拓地のはずだから少し歩けば海が見えるにちがいない。金剛小学校をあとにして、照りつける日差しをさえぎるものもない畑のなかの一本道を歩いて行くと、十分ほどで大きな川の堤防に着いた。そこは球磨川(くまがわ)の河口付近で、上流には八代中心街へつながる金剛橋、下流には八代海が広がっていた。私は堤防の上に立って、雲ひとつない青空と陽光きらめく穏やかな海を眺めた。
球磨川は熊本県一の川である。富士川、最上川と並んで日本三大急流の一つにも数えられているが、下流ではゆったりと流れて八代海へと注いでいる。明治時代には、川から流出する土砂が沿岸に堆積して大きな洲がつくられ、干潮のときは四キロ以上沖合いまで干潟となったという。
球磨川は「求麻(くま)川」「九万(くま)川」「木綿葉(ゆうば)川」などさまざまな呼び名をもっている。求麻川、木綿葉川はどちらも「麻」に関連する名前で、川の上流の球磨地方では昔から麻の栽培がさかんだった。藤原定隆の和歌にこう詠われている。
「夏来れば 流るる麻の木綿葉川 誰水上に禊しつらむ」
球磨川は麻の葉が流れてくる川だった。


金剛橋
球磨川河口付近から上流の金剛橋

球磨川
河口付近から八代海

「麻原彰晃」という宗教名はどこからつけられたのだろうか。
『麻原彰晃の誕生』(高山文彦著)には、一九八二年頃、西山祥雲という人物から「彰晃」という名前をもらった経緯が書かれていて、「麻原彰晃」と名乗るのは一九八三年の渋谷ヨーガ教室時代、麻原彰晃二十八歳のときからだとされている。教団内部の資料に名前の由来についての記録は残っていないが、名前の意味を尋ねられて「麻原彰晃=アシュラ・シャカ」と答えたことがあるようだ。早川紀代秀死刑囚の著書にもそう書かれているから、麻原彰晃が弟子にそう語ったことは間違いないだろう。「アシュラ・シャカ」とは、阿修羅界のシャカすなわち戦うブッダという意味なのだろうか。

球磨川を見ながら、私は「麻原彰晃」という名のイメージを広げてみた。
「麻原彰晃…麻の原にふりそそぐ太陽の光か…。かつてこの川の上流には麻の生い茂る野原が広がっていた。古代から、麻は日本中どこでも栽培されている身近で有用で、そして神聖な植物だったのに、戦後はすっかり姿を消してしまった。“麻原”って、敗戦とアメリカの占領軍によって失われた日本の原風景の一つかもしれないなぁ…」(1)

(1)麻=大麻。インドではシヴァ神に捧げられる供物の一つで、日本神道では天照大神(アマテラス)に関連し、その強い生命力から神の依り代となる神聖な植物とされる。敗戦後、占領軍のもとで「大麻取締法」が制定され、麻の栽培は免許制になり、化学繊維の広がりもあって栽培面積は激減した。


2015年11月24日

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  • | 2017-03-14 |   [ 編集 ]

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