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番外編04.クローンと依り代

麻原彰晃は「金剛」という名の村に生まれた。
オウム事件と金剛乗(ヴァジラヤーナ)の関連を知っているなら、金剛村という名前に「ん?」とひっかかるはずだ。宗教学者の島田裕巳氏も、麻原彰晃がヴァジラヤーナを説きはじめたのはいつ頃かを考えるなかで、金剛村について次のようにふれている。
「そこには麻原の生まれが影響しているのかもしれない。麻原が生まれたのは熊本県八代郡金剛村だった。つまり金剛村に生を受けた麻原がのちに金剛乗を説いているわけである。それは偶然の一致にすぎないのかもしれない。だが金剛という名前のついた土地はそれほど多くはない。現在金剛と名のつく市町村は存在しない。少なくとも麻原は金剛ということばに幼いころから親しみをもっていた。」(1)
金剛村は、明治二二年から昭和二九年まで熊本県八代郡に存在した村名で、昭和二九年に現在の高植本町となった。麻原彰晃が生まれた昭和三〇年三月二日は、戸籍上の記載が金剛村から高植本町に変わるまさに境界だったのだろう。出生地が「八代市高植本町」ではなく「八代郡金剛村」と記載されたのは、島田氏がいうように偶然の一致にすぎないにしても、本当にぎりぎりのタイミングで起こった偶然だ。

「八代」という地名は、肥後国史によれば社(やしろ)からきているという。天照大神(アマテラス)の山陵が上古の時代この地にあったことから「やしろ」と言われるようになったと伝えられている。社というのは神を祭る建物や土地、神が降臨する場所などを意味する。
八代が社(やしろ)だと知って、私はある説法を思い出した。麻原彰晃が説いたヴァジラヤーナの教えの特徴的なものとして、しばしば引用されているものだ。
「…金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的な立場において、そのグルに帰依すると。自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまりグルのクローン化をすると。あるいは守護者のクローン化をすると。これがヴァジラヤーナだね」(2)
八七年三月の説法でも、まだ若い上祐氏の「グルへの帰依というもののほんとうの意味を教えてください」という質問に、同じように「器」という表現で帰依を説明している。
「グルへの帰依というのは明け渡すってことなんだよ。どういうことかというとね、私たちは器なんだ。わかるかな。…器のなかにいろんなものを持っているわけだ。…グルへの帰依というのは、それを空っぽにしようとすることなんだよ。グルが透明なものを入れた段階でその人は成就するわけだね」
麻原彰晃が説く帰依とは、修行者が空っぽの器になって、そこにグルあるいは神のエネルギーが注がれることだという。「グルのクローンになる」という言葉は、オウムの非人間的な教えの例としてしばしば取り上げられたが、クローンという現代的な言葉を昔風に言い換えれば、人が神の「やしろ」「依り代」になるという表現がぴったりかもしれない。また「熊本」の由来はもともと「隈本」だったが、猛将加藤清正が「畏れる」という文字が含まれているのを嫌って「熊本」としたといわれている。「隈」は暗いところ影になっているところで、神が棲んでいると畏れられていた。

「八代郡金剛村」に生まれた麻原彰晃が宗教活動を終えるのは、「西八代郡上九一色村」。「西」は太陽が沈むところ、終わりの場所を象徴している。「上九一色」という地名も変わっている。終わりの数「九」と、始まりの数「一」が含まれていて、オウム真理教の「オウム」という聖音(マントラ)が、「阿(あ)」「吽(うん)」という始まりと終わりの意味であるのに似ている。


(1)『オウム真理教事件Ⅰ』( トランスビュー)p273
(2)一九八八年十月説法


2015年11月12日

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コメント

クローン化

>グルというものを絶対的な立場において、そのグルに帰依すると。自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせる

あらためてお尋ねしますが、この場合、ご本尊であるシヴァ大神とグルとの関係はどうなりますか? シヴァ大神は、グルのグルでよろしいですか? また、弟子衆(信徒)とシヴァ大神との関係はどうでしょうか? グル-シヴァ大神間の関係とは、また違った関係ということになるのでしょうか?
  • | 2015-11-19 | 匿名 URL [ 編集 ]

Re: クローン化

>シヴァ大神は、グルのグルでよろしいですか?
はい。

>また、弟子衆(信徒)とシヴァ大神との関係はどうでしょうか? グル-シヴァ大神間の関係とは、また違った関係ということになるのでしょうか?

グル-シヴァ大神間の関係は直接的で、弟子(サマナ・信徒)とシヴァ大神との関係は常にグルを介在した間接的なものでした。オウムの信仰は、グルをシヴァ大神の化身だと見なして帰依することによってシヴァ大神の世界(解脱)に近づこうとするものです。
参考までに、以下過去記事です。
「教祖はこんなことを言ったことがある。
『あなたがたはシヴァ大神に会えるわけではない。あなたがたには私しかいないんだよ。だから目の前にいるこの私に帰依しなさい』
このようにオウムの信仰の系譜は、弟子はグルである教祖に帰依し導かれ、教祖は弟子を導くグルであると同時に、自らもまたシヴァ大神に帰依し導かれるひとりの僕(しもべ)でもあった。」(「64.黙示録の神とキリスト」)

  • | 2015-11-20 | 元TD URL [ 編集 ]

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  • | 2017-03-14 |   [ 編集 ]
      

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