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オウム関係者が書いた手記②

「オウムとは何だったのか」について、私は元オウム関係者がどのように考えているのだろうと関心をもって、以下のような記録を読んできました。

1.公に出版されている著書
2.公判での証言
3.関係者が書いたインターネット上の文章

1.の公に出版されている本は、当たり前ですが公序良俗に反しないという社会的な制約があります。反社会的なオウムを完全に否定していなければ版元は関係者の手記を出版しないでしょう。

2.の公判での証言は、裁判では検察側は犯罪を立証することが目的ですし、弁護側は被告人にできるだけ有利な事情を明らかにしようとし、弁護方針によって被告人の証言も左右されます。ですから公判は必ずしも「オウムでいったいなにがあったのか」という「真実」を明らかにするものではありません。オウム裁判の場合は、背景に宗教的価値観があり、長期にわたる公判のなかで被告人の宗教的価値観に変化があることにも注意が必要です。
このように発言の真意が見極めにくいという前提で、『オウム法廷』(全13)(降幡賢一/朝日文庫)を読むと、実行犯たちがどういう発言をしてどういう思いだったのか、裁判という制約の中で不十分ながらも垣間見ることができます。なかでも、中川智正死刑囚の証言は、オウムを考えるうえで重要なものだと思いました。(ただし『オウム法廷』からうかがえるのは一審が終わる2004年までのこと)。

3.については、2002年頃から普及したブログによって、元関係者の手記が公開されるようになりました。「白龍のオウム・アーレフで過ごした日々」「智慧の轍」「『幻想の崩壊』 オウムとはなんだったのか?」「風の彼方へ そして、いま、ここに在ること」「法友へ」などを読みました。現在も更新が続いているもの、閲覧できなくなっているもの、途中で中止しているものなど、立場も結論もさまざまです。
アーレフから分派した「ひかりの輪」は、幹部のオウム時代を総括した文章をホームページに掲載しています。オウムと決別した団体を標ぼうしている性質上、団体の(上祐氏の)方針に基づいた総括にとどまっていて、どれを読んでも同じに感じられます。
インターネット上ではこの他に、広瀬健一死刑囚の手記の一部を読むことができます。大学のカルト対策のために寄稿した「学生の皆様へ」と題した論考は、広瀬氏自身の神秘体験を詳しく記述して、宗教的体験についての文献と照らし合わせています。
「現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定しています。その正当性の根拠だった宗教的経験について、脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象として理解しており、教義のいう意味はないと考えているからです」
広瀬氏はこのようにオウムでの体験を結論づけています。おそらくこの寄稿のもとになっている「オウム真理教元信徒広瀬健一の手記」の一部が「真宗大谷派 円光寺」のホームページに掲載されています。

私が読んできた関係者の手記の大まかな特徴を書きましたが、立場や結論はさまざまなのに、読んでいて共通するところがあるように思いました。現在オウムや教祖を否定しているかどうかにかかわらず、全般にオウムでの体験を記述するときの文章がいきいきしているということです。これは最初に林郁夫氏の『オウムと私』を読んだときに気づいたことでした。あれほどオウムと教祖を否定しているにもかかわらず、林郁夫氏のオウムでの体験を語る文章は躍動感があり、「インチキだった」「だまされていた」「麻原は人格障害だった」と断罪するときの文章は、紋切り型でつまらない感じがするのです。そこがなんともアンバランスな印象があり、オウムという体験と結論の間になにか断絶があるように感じました。

一方、広瀬健一氏の手記にはそのような断絶は感じられませんでした。オウムで自身に起きた体験を振り返り、宗教的体験の文献に照らし合わせ理解していく誠実な姿勢は好感が持てましたし、オウムという特殊な宗教世界(教義を含む)についての説明も丁寧でわかりやすいものです。
広瀬氏は「現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定しています。その正当性の根拠だった宗教的経験について、脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象として理解しており、教義のいう意味はないと考えているからです」という結論に至っています。
これを読んで私は、広瀬氏に直接きいてみたいと思うことがありました。広瀬氏がオウムに入るきっかけは、教祖の本を読んだことでした。本に書かれている内容ではなく、読んだことで起きた「体験」でした。以下その部分を引用します。

「ところが、本を読み始めた一週間後くらいから、不可解なことが起こりました。修行もしていないのに、本に書かれていた、修行の過程で起こる体験が、私の身体に現れたのです。そして、約一ヶ月後の、昭和六十三年三月八日深夜のことでした。
眠りの静寂を破り、突然、私の内部で爆発音が鳴り響きました。それは、幼いころに山奥で聞いたことのある、発破のような音でした。音は体の内部で生じた感覚があったものの、はるか遠くで鳴ったような、奇妙な立体感がありました。
「クンダリニーの覚醒―」
意識を戻した私は、直ちに事態を理解しました。爆発音と共にクンダリニーが覚醒した―読んでいたオウムの本の記述が脳裏に閃いたからです。クンダリニーとは、ヨガで「生命エネルギー」などとも呼ばれるもので、解脱するためにはこれを覚醒させる、つまり活動する状態にさせることが不可欠とされていました。
続いて、粘性のある温かい液体のようなものが尾てい骨から溶け出してきました。本によると、クンダリニーは尾てい骨から生じる熱いエネルギーのことでした。そして、それはゆっくりと背骨に沿って体を上昇してきました。腰の位置までくると、体の前面の腹部にパッと広がりました。経験したことのない、この世のものとは思えない感覚でした」

広瀬氏が理解したように、宗教的経験が「脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象である」とするなら、なぜそれが同じ時期に多くの人に起こったのか、そして、なぜオウムと出会う前、本を読んだだけで起こるのかということは説明できません。教祖は体験談を重視していましたから、主要な出版物には必ず信徒の体験談が掲載されていて、それを開けば広瀬氏に限らずかなり多くの信徒が同じような体験をしていることがわかります。たとえば中川智正氏もオウムに入信する前に体験が起こっています。中川氏の体験は『オウム法廷』のなかで、あるいは『宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと』(藤田庄市/岩波書店)のなかで、「中川氏は巫病だったのではないか」と紹介されています。そこから中川氏の体験の一部を要約します。

中川智正氏は医学大学五年生のとき、オウムの「龍宮の宴」というコンサートのビラを偶然二度目にしたことから、コンサート最終日に出かけていきました。音楽は気に入ったものの、ダンスや壇上に登場した麻原教祖に特別な印象はもたなかったといいます。ところが数日後神秘的な体験をします。

「部屋の中に座っていると、尾てい骨から白い光が漂い始め、それが頭頂まであがり、目の前が真っ白というか、フラッシュを連続でたかれているような感じになりました。そのとき、一つの声を聞きました。
『お前はこの瞬間のために生まれてきたんだ』
という声でした。時間は夕方ごろでした。眠っていたのではありません。明瞭な意識の中で、その体験をしました。それ以前に、そのような体験をしたことは全くありませんでした。ただ、空から光が降ってくるのを、子どものころから年に一回か二回はみたことがありましたが」

この体験の後、中川氏は自己が外界から遊離している感覚や、自己の時間と他人の時間の進み方が異なっているという感覚を持つようになり、さまざまな非日常的な内的体験や身体の変化が押し寄せるように起こってきたため、オウムの大阪道場に電話をして相談しなければなりませんでした。結局、霊的、肉体的な変化があまりに大きかったので、入信するしかないと思って大阪道場へ行って手続きしたといいます。

私自身「オウムとクンダリニー」で書いたように、オウムに入信する前に、本を斜め読みをしたあと最初の神秘的な体験をしました。中川氏が「お前はこの瞬間のために生まれてきたんだ」という声を聞いたように、私も「やっときたね」という声とヴィジョンを経験したのです。(「7.最初の体験」参照)
このように多くの人が同じ時期に似たような神秘体験をしたということは、「脳内神経伝達物質の活性過剰」では十分説明がつきません。ある個人が過酷な修行をすることで「脳内神経伝達物質の活性過剰」になったのではなく、同じころ多くの人がオウムと接触するだけで「脳内神経伝達物質の活性過剰」状態になってしまったのですから。

広瀬氏は「宗教的経験に関する文献を渉猟」して、そのような「文献から得られる知識は、私がこれまで接したいかなる“麻原論”よりも、麻原の言動を検討するにあたり有用でした」と書いています。私も、「オウムとは何だったのか」ということを、オウムに接触するだけで神秘体験が起こること――それはいったい何なのかを理解しようと本を読んできました。
そして、修行もしていない状態で神秘的な体験が同時に多くの人に起こった、という事実を説明できるのは、限られた私の読書範囲では「共時性」という考え方だけでした。


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