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興味深かった本

オウムについて書かれたいろいろな本を読んできました。そのなかで安田 好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』 (講談社+α文庫)は逮捕後の教祖の様子が書かれていて興味深かったものです。

「麻原さんからは、ヨーガの根本教典を読むことを勧められた。それなくしてオウムは理解できないと言う。しかし、私はそれに従わなかった。彼の宗教や教団を弁護するのではなく、彼個人を弁護するのだから、宗教的なことに触れる必要はないと考えていた。しかし、あとから考えると、それは誤りであった。麻原さんは宗教の中に生きてきた人間である。そしてその延長線上で刑事責任を追及されている。事件を犯したか否かに関係なく、彼の宗教を理解することなくして彼を弁護することなどできないはずであった。」

「…九五年一〇月、当時の社会党・村山政権は、過去どの政権も適用してこなかった破防法の適用を申請した。
麻原さんは、躊躇なく言い放った。
『破防法は下世話な話である。宗教は、そのような話と次元を異にする。オウム真理教はそのようなものでは消滅しない。宗教は三人おれば成り立つ。弾圧されれば、バラバラになって、それぞれの者が、それぞれの宗教を実践すればいいではないか』
私は、その発言を聞いたとき、彼の宗教者としての姿を見た気がした。」

「オウムの裁判では、弟子たちが次々に教祖を糾弾してしていった。しかし、麻原さんは弟子の悪口をいっさい言わなかった。彼は、
『輪廻転生の繰り返しの中で時には弟子が私を殺し、時には一生の伴侶となることもある。弟子たちが私を裏切る裏切らない、そのようなことは些末なことである』
というのである。」


弁護人が元アーナンダ師への反対尋問をしようとしたとき、「やめてくれ、反対尋問をしないでくれ」と抵抗する教祖。二回目の反対尋問を強行したことを境に、教祖の様子が変わってしまうところなど、とても考えさせられました。


宗教服の色と時代区分

教祖のクルタ(宗教服)の色は、「オレンジ・黄色」→「白銀」→「青紫」→「赤紫」と、変わっていきました。オウムでは「色」は世界をあらわすと考えていて、出版物には使ってはいけない色が決められていたほど色には気を遣っていたので、教祖が身に着けていたクルタの色は、その時期の活動を象徴していたという見方もできるかもしれません。(※着ているクルタの色について教祖が話していたことがある、とご指摘いただきました。コメント欄を参照ください。)
宗教服の色は、教祖が実践していた修行形態にほぼ対応して以下のように変化していきました。

オレンジ・黄色(ヨーガ時代)→白銀(マハーヤーナ時代)→青紫・赤紫(タントラ・ヴァジラヤーナ時代)→赤紫(ヴァジラヤーナ時代)

クルタの色が白銀色から紫系に変わるとき、最初は青紫に染め上がってきたそうです。出家者が試行錯誤しながら染めていたようですから、白銀から青紫へと変化したのが偶然だったのか意図的だったのかは不明ですが、しばらくすると赤紫に定着していきました。
十二年間にわたるオウムの活動を、教祖が着用していたクルタの色で時代区分してみました。


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【オレンジ・黄色クルタ時代/ヒナヤーナ(小乗)】胎動期(1984~1986)
「オウム神仙の会」設立から麻原彰晃の最終解脱まで
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<団体名称>オウムの会/オウム神仙の会
<活動拠点>渋谷・世田谷
<活動>ヨーガ/ヒナヤーナを中心に
<主な出来事>
『ムー』『トワイライトゾーン』に空中浮揚写真掲載
「アビラケツノミコトになれ」という啓示を受ける。(神軍を率いる光の命(ミコト)と解釈する)
『超能力秘密の開発法』出版
シャクティーパット開始
パイロットババなどインドのヨーギーと交流
麻原彰晃「最終解脱」のステージを経験する
『生死を超える』出版


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【白銀クルタ時代/マハーヤーナ(大乗)】草創期(1987~1989)
オウム真理教設立から衆議院選挙活動/サンデー毎日/坂本弁護士一家殺害まで
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<団体名称>オウム真理教
<活動拠点>富士山総本部
<活動>チベット密教・仏教/マハーヤーナを中心に
<主な出来事>
ダライ・ラマ法王と会談
『超能力「秘密のカリキュラム」』出版
一番弟子ケイマ大師クンダリニーヨーガ成就
『イニシエーション』出版
機関誌『マハーヤーナ』創刊
『マハーヤーナ・スートラ』出版
カル・リンポチェ帥(チベット密教)との交流
富士山総本部道場用地で水中エアタイト・サマディ
富士山総本部道場完成
真島さん死体遺棄事件
『滅亡の日』出版
田口さん殺害事件
「キリストになれ」という啓示
『サンデー毎日』反オウムキャンペーン
坂本弁護士一家殺害
「真理党」結成・衆議院選挙活動


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【青・赤紫クルタ時代/タントラ・ヴァジラヤーナ(真言秘密金剛乗)】発展期(1990~1992)
衆議院選挙落選、国土法による強制捜査からロシア進出まで
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<団体名称>オウム真理教(宗教法人)
<活動拠点>富士・第一上九
<活動>仏教/タントラヤーナ、テーラヴァーダ、ヴァジラヤーナ(30人程度の弟子のみ)を並行して
<主な出来事>
衆議院選挙落選
ボツリヌス菌散布計画
石垣島セミナー
熊本県波野村シャンバラ精舎建設
『南伝大蔵経』翻訳開始
国土計画法違反による強制捜査(逮捕者四名)
オウム真理教附属医院開設
ダンスオペレッタ「死と転生」公演
上九一色村に施設建設開始
特別教学システム開始
ダンスオペレッタ「創世期」公演
『朝まで生テレビ』出演
『キリスト宣言』出版
『ビートたけしのTVタックル』出演
海外巡礼・救済ツアー(インド、チベット、ブータン、ラオス、スリランカ、ザイール)
ロシア進出
ロシアから「御国の福音」放送開始
アーナンダ・マイトリー僧(スリランカ上座部仏教)との交流
「キーレーン」楽団結成
東京総本部道場開設(南青山)
※大部分の信徒はテーラヴァーダ的修行をしていたが、一部でヴァジラヤーナ活動をしていた。


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【赤紫クルタ時代/ヴァジラヤーナ(金剛乗)】破壊期(1993~1995)
亀戸異臭事件(生物兵器)から地下鉄サリン事件(化学兵器)・教祖逮捕まで
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<団体名称>オウム真理教(宗教法人)
<活動拠点>第二上九・第六サティアン
<活動>仏教/テーラヴァーダとヴァジラヤーナ(科学技術省の弟子を中心に)を並行して
<主な出来事>
サリン製造研究開始
亀戸道場炭疽菌噴霧失敗
サリンプラント計画
ウラン鉱採掘計画(オーストラリア)
「毒ガス攻撃を受けている」という説法
池田大作暗殺未遂
PSI(パーフェクト・サーヴェーション・イニシエーション)開始
落田さん殺害事件
ロシアでグルヨーガマイトレーヤ・イニシエーション(12000人参加)
自動小銃密造開始
LSDの合成に成功
キリストのイニシエーション開始(薬物イニシエーション)
薬物イニシエーションによって多数の成就者を認定
滝本太郎弁護士襲撃事件
省庁制導入
松本サリン事件
冨田さん殺害事件
VXガス製造開始
江川紹子さんホスゲンガス襲撃事件
ルドラチャクリンのイニシエーション開始(薬物イニシエーション)
ニューナルコ(記憶消去)
VXガス濱口さん殺害事件
VXガス永岡さん襲撃事件
仮谷さん拉致事件
地下鉄サリン事件
全国の教団施設への強制捜査
村井秀夫氏刺殺事件
教祖・麻原彰晃逮捕
※大部分の信徒はテーラヴァーダ的修行をしていたが、一部でヴァジラヤーナ活動をしていた。



オウム関係者が書いた手記①

オウム関係者の手記を読むとき、留意するべき二つのポイントがあると思います。
一つは、どの時代のオウムについて語っているのかということ。もう一つは、語る人がオウムのどういうパートにいたのか――特に非合法活動(ヴァジラヤーナ)をしていたのかそうでないのかということです。(オウムの時代区分と特長については「宗教服の色と時代区分」参照)

元オウム関係者が書いた主な手記をあげます。

1.【非合法活動(いわゆるヴァジラヤーナ)をした弟子による手記】
『オウムと私』林郁夫(文藝春秋 1998/09)
『私にとってオウムとは何だったのか』早川紀代秀/川村邦光共著(ポプラ社 2005/03)
『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 「学生の皆様へ」』(2008年公開)
『革命か戦争か』野田成人(サイゾー 2010/3)
『オウム17年目の告白』上祐史浩(扶桑社 2012/12)
『オウム死刑囚「井上嘉浩」の獄中手記』門田隆将による引用(「文藝春秋」2014/02)
『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記』広瀬健一(真宗大谷派円光寺HPに一部掲載/執筆年月日不明)

2.【非合法活動(いわゆるヴァジラヤーナ)を知らなかった関係者の手記】
『麻原おっさん地獄』田村智/小松賢寿共著(朝日新聞社 1996/01)
『オウムからの帰還』高橋英利(草思社 1996/03)
『オウムはなぜ暴走したか。』早坂武礼(ぶんか社 1998/10)
『カルトにハマる11の動機』加納秀一(アストラ 2000/06)
『二十歳からの20年間』宗形真紀子(三五館 2010/02)
『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』松本聡香(徳間書店 2010/04)
『止まった時計』松本麗華(講談社 2015/03)

事件後間もない1996年に出版された手記は、比較的オウム歴の浅い人によるものでした。『麻原おっさん地獄』の田村智氏(1993年出家)も『オウムからの帰還』の高橋英利氏(1994年出家)も、オウムでのキャリアは一、二年と短く、主に九四年から九五年のオウムについて語っています。高橋英利氏はいくつかの雑誌で識者との対談もあり、幅広い問題意識をもってオウムについて発言をしていました。ただ、長年オウムで修行を続けていた内部の人からは「もう少しオウムの修行を経験した人に、オウムについて語ってもらいたいよね…」という意見もありました。

1998年になると林郁夫氏(無期懲役囚)の『オウムと私』が出版されました。関係者が書いたものとしては最初のまとまった記録です。同じころ早坂武礼氏の『オウムはなぜ暴走したか。』も出ていますから、関係者がオウムという体験をひととおりまとめて出版するのに、三年かかったということなのかもしれません。
オウム関係者の手記が出版されるためには、当然オウムと麻原彰晃を完全に否定するということが前提になるでしょう(例外は三女・松本麗華氏の『止まった時計』)。その姿勢が顕著だった林郁夫氏の手記はある程度社会に受け入れられ、オウムを理解する資料になったのではないでしょうか。早坂武礼氏の『オウムはなぜ暴走したか。』は、「否定」という点では曖昧さを残していますが、大部分の信徒同様早坂氏もオウムの非合法活動(ヴァジラヤーナ)を知らなかった立場でしたから、この時点では事件という結末を消化できなかったのかもしれません。

2000年には加納秀一氏の『カルトにハマる11の動機』が出版されました。一見オウム本とは思えないタイトルで出版されていますが、中身は加納氏のオウム体験記です。加納氏は1987年にオウムと出会い、1989年に出家、印刷工場、支部活動というワークについていましたから、オウムの非合法活動(ヴァジラヤーナ)とはかかわりがありませんでした。事件後すぐに微罪逮捕されて脱会しています。「オウム神仙の会」と「オウム真理教」時代を広くカバーしており、オウムでの修行や生活がいきいきと描かれています。

2005年、早川紀代秀氏(死刑囚)の『私にとってオウムとは何だったのか』が、宗教学者川村邦光氏との共著という形で出版されました。早川氏は、事件を真摯に反省しながらも、教祖については林郁夫氏ほどはっきりとした否定を表明していません。宗教学者の川村氏が解説を書くことで、それがある意味安全弁となって出版が実現したのかもしれません。オウム真理教と事件についての重要な資料だと思います。ただ、早川氏はサリン事件にはまったくかかわっていないので、その点は他の関係者の手記に期待するしかありません。

2010年には、宗形真紀子氏の『二十歳からの20年間』、野田成人氏の『革命か戦争か』、松本聡香氏(四女)の『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』が相次いで出版されました。1995年の地下鉄サリン事件後、オウム(アーレフに改称)は、2007年上祐氏の「ひかりの輪」設立によって完全に分裂しましたが、その後、教祖の四女松本聡香氏の働きかけをきっかけにして上祐氏のグループとは別に、中間派といわれていたメンバーが脱会していきました。そのような騒動の後、出版されたのがこの三冊で、宗形氏は「ひかりの輪」のメンバー、野田氏は「主流派」でも「上祐派」でもない中間派でした。事件から十五年経っていて、事件後のオウム(アーレフ)について書かれている部分(教団内部の対立)も多く、「オウム真理教」について考えるための資料としては少し弱いように思います。(松本聡香氏は事件当時はまだ五歳と幼かったので、オウム関係者の手記とするのはどうでしょうか?)。

2012年、上祐史浩氏の『オウム17年目の告白』。
2015年、松本麗華氏(三女)の『止まった時計』。

雑誌に掲載された井上嘉浩氏(死刑囚)の手記(抜粋)について、ここに取り上げましたが資料としては正確性に欠けると思いました。一方、広瀬健一氏(死刑囚)の手記は、オウムについて「神秘体験」という側面から深い考察がされていて、同じ観点から考えてきた私には大いに参考になりました。広瀬氏の手記については次回詳しくふれたいと思います。


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