#05.時代とオウム

麻原彰晃は「クンダリニー」という霊的エネルギーの覚醒による救済を掲げていました。クンダリニーを覚醒させて、その強烈なエネルギーを使って解脱していくのがクンダリニー・ヨーガです。こうして煩悩を昇華した修行者が三万人程度生まれれば、世界を破滅させるような核戦争(ハルマゲドン)は回避できると主張して、シャクティーパットなどのエネルギー移入をおこなったのです。
オウムのシャクティーパットとクンダリニー覚醒について、永沢哲氏と中沢新一氏は次のように述べています。

「はじめ、渋谷の小さなヨーガ道場だった『オウム神仙の会』が、急速に会員を増やし、『オウム真理教』になっていく過程で、最初に大きな役割をになったのは、 グルのエネルギーを直接弟子に送ることによって、ふつう尾てい骨の根元に眠っているクンダリニー・エネルギーを覚醒させるシャクティ・パットのイニシエーションだった。インドでも、クンダリニーの覚醒は、長い期間にわたるマントラやハタヨ-ガ、呼吸法などのトレーニングによってはじめて可能になるものだとされ、その過程で、パワフルな導師から、直接的に霊的なエネルギーが注ぎこまれるイニシエーションが、迅速な覚醒のためには必要だとされる。麻原彰晃は、このシャクティ・パットのイニシエーションを公開し、さらに、それを『オウム真理教』の修行体系の大きな優位性として、宣伝したのである。」
「ただ、シャクティ・パットは、きわめて直接的なもので、導師にとっても、弟子にとっても、影響が大きいので、あまり頻繁にはおこなわれないのがふつうだ。」(永沢哲氏)(1)

「僕のチベットの先生の場合、密教を教えているのは僕を含めて三人ぐらいです。弟子が何千人という有名な先生もいるけど、それだって密教を教えている人間は、まあ数えるくらいでしょう。ところが尊師はいっぱい与えたんです。あれは無理がある。四千人にシャクティーパットなんかしているんだもの。まあ、あまり聞いたことのない話ですね。」(中沢新一氏)(2)

教団の資料には、麻原彰晃はのべ八千人にシャクティーパットをおこなったと書かれていますが、永沢、中沢両氏が言っているように、これほど多くの人に直接的なエンパワーメントをするグルは過去に例がありません。では、なぜそんなことができたのでしょうか?
インドやチベットのグルや修行について調べてみましたが、オウムと大きく違う点は社会環境しか考えられませんでした。私は、麻原彰晃の膨大なエネルギーの放出を可能としたのは、“時代”というものに潜在している、あたかも火山のマグマだまりのようなものかもしれないと思いました。パワフルであることは麻原彰晃個人の特徴であると同時に、そのようなグルを生みだした時代のエネルギーだったのではないでしょうか。
オウムは1955年生まれのグルと1960年代に生まれた弟子たち――人類の歴史上類を見ない急激な工業化と経済発展のなかで成長した者が中心にいました。社会が物質的豊かさを求めて突き進み、人びとの欲望が膨れ上がれば、必然的に反対のベクトルである精神性・霊性を求める膨大なエネルギーが抑圧され、影のように蓄積されることになります。
このような時代の大きな影から影響を受けていたとすると、私たちがオウムで感じたエネルギーの特質もよく理解できるのです。そこにはたしかに、現実社会とは対照的な透明さ、明るさ、解放感、そして故郷にかえったような不思議ななつかしさがありました。マスコミはオウムを狂気で邪悪だと報道しましたが、私たちはそこに失われたなにかがあると感じて、オウムに飛び込んでいったのです。

(1)イマーゴ1995年8月臨時増刊号 総特集『オウム真理教の深層』「わが隣人麻原彰晃」
(2)同上『オウム真理教の深層』「男性同盟のいきつくところ」


#06.核時代のグル

先日、ひさしぶりに友人につき合って『風の谷のナウシカ』を観ました。ナウシカには「オーム」(王蟲)という巨大な甲虫と、「毒ガス」を発生させる森「腐海」が出てきます。オームは人間にとって恐ろしい怪物ですが、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争によって汚れてしまった地球を浄化する腐海の王のような存在です。
核戦争後の地球が舞台ともいわれる『風の谷のナウシカ』が公開されたのは1984年、このような物語が生まれる背景には、第二次世界大戦後のアメリカとソ連の冷戦体制ではじまった核軍拡競争の結果、核兵器による最終戦争が現実的になっていたことがあります。欧州でも核戦争をテーマにした『風が吹くとき』という漫画がベストセラーになり、1986年に映画化されています。核の平和利用であったはずの原子力発電も、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故による深刻な放射能汚染を引き起こし、核による地球規模の危機が世界に暗い影を落としました。「オウム」が発足したのは1984年、ナウシカが公開されたまさに『1Q84』年でした。(1)

麻原彰晃を「核時代のグル」という人もいます(2)。麻原彰晃はクンダリニーの覚醒のことを「原爆覚醒」(3)と表現していますが、インドで行われた核実験もクンダリニーの別名である「シャクティ」を使って、「シャクティ計画」(4)と命名されていますから、どちらもクンダリニーという霊的エネルギーを原子爆弾、すなわち核エネルギーと似たようなところがあると見なしているのでしょう。
麻原彰晃が「最終解脱」を宣言して救済者の自覚を強めていくのは、1986年チェルノブイリ爆発のすぐ後のことでした。クンダリニーの覚醒による解脱と、核戦争(ハルマゲドン)からの人類救済を説くグルに、多くの人が共鳴したのです。

核の時代とオウムの出来事を対照する簡単な年表を示しておきます。

オウムと核についての年表

(1)『1Q84』は村上春樹の長編小説。地下鉄サリン事件の影響を受けた作品といわれている。ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』のタイトルからつけたもの。『風の谷のナウシカ』とオウムの類似性はよく指摘される。
(2)イマーゴ1995年8月臨時増刊号 総特集『オウム真理教の深層』「わが隣人麻原彰晃」永沢哲。
(3)麻原彰晃著『原爆覚醒』(オウム出版)は、シャクティーパットによるクンダリニー覚醒体験を中心に書かれている。
(4)1972年に行われたインド最初の核実験は「微笑むブッダ(Smiling Buddha)」というコードネームだった。1998年に行われた五回にわたる核実験は「シャクティ作戦」と呼ばれている。
(5)1945年初めての核実験が行われて以降、冷戦期にアメリカ合衆国・ソ連を中心に約2000回もの核実験が行われた。
(6)1989年世界は大きく転換した。オウムもこの年から転換していく。選挙の敗退がオウムの武装化の原因ともいわれるが、時代そのものが転換している動きと同期しているように思われる。



#07.1995年と2011年

チェルノブイリから四半世紀、2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震による大津波が福島第一原子力発電所を襲い、チェルノブイリを超えるといわれる深刻な原子力発電所事故が起きました。東日本大震災について、オウムのある元幹部は「尊師が予言していたハルマゲドンはこれだったのかもしれないな…」と言っています。教祖が見た近未来ヴィジョンには「浸水」「水没」や「核による放射能被爆」の情景が語られていましたから、教祖を信じたい人は、あの未曾有の津波災害と深刻な放射能汚染をハルマゲドンの予言と結びつけたい気持ちがあるのでしょう。
最近読んだ本のなかに興味深いことが書かれていました。1995年の「阪神・淡路大震災/オウム事件」と2011年の「東日本大震災/福島第一原子力発電所事故」の関連を考察しているものです。誤解を招かないよう少し長い引用をします。

「さらに、次のようなことも想像してしまう。オウムの教祖・麻原彰晃は、周知のように、世界最終戦争(ハルマゲドン)を予言していた。世紀転換期に、そのような破局が訪れるのだ、と。彼らのテロは、そもそも、その最終戦争の一環でさえあっただろう。しかも、人々は、そのような破局はまったくやってきてはいない、とこの予言を嘲笑した。これに対して、一部の報道によれば、麻原は、95年11月のイツハク・ラビン・イスラエル首相の暗殺を指して、ハルマゲドンの一部だと反論し、人々のさらなる失笑を買った。中東和平にとってラビン暗殺は大きな出来事ではあるが、遠く日本にいる者にとっては、世界そのものの破局に結びつくような大事件には思えなかったからである。」
「しかし、もし麻原が、現在でも健康であったならば、2011年の大震災と原発事故を指して、これこそ自分が予言していた、終末へと至る破局だと語ったのではないか。いくぶんか予言より遅れたが、やはり破局はやってきた、と言ったのではないか。そのときには、日本人は、ただ笑ってこれを退けることはできなかったのではないか。それが「予言の的中」と見なすべきだとは思わないだろうが、しかし、震災と原発事故が終末への予兆を孕んだ破局的な出来事であることを、多くの日本人は認めざるをえないだろう。」
「こうしてみると、2011年の「東日本大震災/原発事故」は、1995年の「阪神・淡路大震災/オウム事件」の反復である。ヘーゲルやマルクスは、本質的な出来事は、二度(以上)反復される、と述べている。彼らの言明は、歴史の中には、たまたま似たような出来事がよく起きる、ということを意味しているわけではない。本質的な出来事が反復されることには、言ってみれば、哲学的な必然性がある。反復されることで初めて、出来事は、その歴史的な意味を成就するのである。」
「阪神・淡路大震災/オウム事件は、何かの終わりだった。しかし、「それ」は終わらなかった。1995年の出来事は、終わりの過程の始まりでしかなかった。おそらく、東日本大震災と原発事故は、その終わり始めたものをほんとうに終わらせる出来事である。1995年のあのとき終わろうとしていたのに終わらなかったものを真に終わらせようとしているのが、2011年3月11日に端を発した震災と原発事故ではないだろうか」(『夢よりも深い覚醒へ――3.11後の哲学』大澤真幸著・岩波新書)

私は、東日本大震災について「予言が当たった」とは思いませんが、少し気になることがあります。それはこの年の大みそかに逃走犯の一人だった平田信さんが丸の内警察署に突然出頭したことです。東日本大震災のようすをテレビで観ていた彼は、「俺、なにやっているんだろう…」と思って、長い逃亡生活をやめて出てきたといいます。彼の出頭に続いて菊地直子さん、高橋克也さんが逮捕されて裁判にかけられたことで、オウム事件は十七年目にしてやっとひとつの終わりをむかえることができました。
私には平田さんが言ったとされる言葉がとても印象に残りました。
「震災で、俺、なにやっているんだろう…と思った」
「年内に出頭したかった。でも、なかなか踏ん切りがつかず、出頭は大みそかになってしまった」
彼の出頭をきっかけにして逃走犯は全員逮捕され、オウム事件がある意味終わったという結末を見ると、「1995年のあのとき終わろうとしていたのに終わらなかったものを真に終わらせようとしているのが、2011年3月11日に端を発した震災と原発事故ではないだろうか」という大澤氏の考察もうなずけるような気がします。


#08.グルと弟子

「グルは絶対」――オウムで弟子がよく口にしていた言葉です。
これはグル(麻原彰晃)を絶対の存在と見なして、未熟な自分の見解を捨てて自我(エゴ)を弱めるための修行として言われていました。伝統芸能などを学ぶときにも「師匠が黒と言えば白も黒」ということがあるそうですから、特別おかしなことでもないでしょう。ただ、オウムの場合はこのような宗教的師弟関係によって重大な事件を引き起こしてしまいました。
オウムのグルと弟子の関係について考えるとき、参考になるエピソードを紹介します。早川紀代秀死刑囚(当時ティローパ師)の著書のなかにある、「グルの絶対性についての逸話」と題されたブータン王国を訪問したときの出来事です。少し長いので全文を引用するのではなく、要約して紹介します。

『1992年夏、グル麻原は大勢の弟子を連れてブータン王国を訪問しました。このときグル麻原のたっての希望により、チベット密教の大聖者パドマサンバヴァゆかりの寺院を訪れることになりました。寺院は山のふもとから五時間ほど険しい山を登ったところにあり、グル麻原は最初の登りの二時間はラバに乗って、その後ラバも通れない道を寺院まで登って行きました。
寺院でしばらく滞在したあと下山することになりました。帰りはそれぞれのペースで下りていいということになり、足の速い男性の弟子はどんどん山を下って行きました。目の不自由なグル麻原は長女の肩に手を置いて足元の悪い山道をゆっくり下っていました。グル麻原のまわりには、マンジュシュリー正悟師(故・村井秀夫)、ミラレパ正悟師(新実智光死刑囚)、アーナンダ師(井上嘉浩死刑囚)、ジーヴァカ師(遠藤誠一死刑囚)など数人がいました。寺院を出てから四、五時間経った頃、グル麻原は十メートルほど前を行く私に声をかけました。
「ティローパ、これは道が違うのではないか。来た道と違うぞ。さっき別れ道のところがあったようだが、あっちへ行くのが正解じゃないのか。なんでこんな道を通るんだ」
私が近くを歩いていたブータン人のガイドに道を確認すると、ガイドは「道は間違いない。来た時と同じ道だ」と返事をしたので、同じことを大声でグル麻原に伝えました。
しかし、また少し経つとグル麻原は、今度はかなり怒気を含んだ声で言いました。
「これはやっぱり違うぞ。行きの道はこんなに歩きにくくなかったぞ。これは別の道じゃないのか。なあマンジュシュリー、どう思う?」
マンジュシュリー正悟師は即座に「そうですね。この道は違うように思いますね」と答えました。グル麻原は近くを歩いていた弟子たちに「どう思うか?」と尋ねましたが、みんなは「そういえば違うように思いますね」などと、グル麻原に同意するように答えていました。そのうちにマンジュシュリー正悟師が、「やっぱりこの道は来たときの道と違いますね。向こうに見えるあの電線は来たときはもっと近くに見えましたよ」と言い出し、他のサマナも「そういえばそうだ」などと同意して、グル麻原は「そうだろう。うんうん」と満足そうにうなずいていました。
私はブータン人のガイドに英語でもう一度確認しました。ブータン人はあきれたように言いました。
「私はこの道は何度も通っている。道は一本しかない。来たときと同じ道だ。あなた達は今日初めて通るだけなのにどうして違う道だと思うのか。どうして私の言うことが信じられないのか」
私の理性はブータン人の言うことがもっともであると告げているのですが、グルが強弁に反対のことを主張しているので頭の中が混乱しつつ、「おかしいですね。ブータン人はこの道で間違いないと言っていますが、おかしいですね」などと言いながら歩いて行くしかありません。グル麻原は後ろから追いついてきた弟子たちにも「お前どう思う」と聞いていましたが、ほとんどの者が「そう言われればこの道は違いますね」などと言っていました。そのなかでただ一人ウルヴェーラ・カッサパ師(オウムの音楽班責任者)だけははっきりと、「これは来た道と同じ道だと思いますよ」と言っていました。それに対してグル麻原は、「いやこれは違う道だ。わしは身体で覚えているからわかるんだ。こんな段の多い歩きにくい道は通らなかったぞ」と言いました。そのうち歩きにくさに腹を立てたのか、グル麻原は、私に大声で、「ティローパ、なんでこんな道を通るんだ」と怒りだし、後ろから追いついてきたプンナ正悟師(大内利裕)にも同じようなことを聞いていました。プンナ正悟師は曖昧に笑いながら「ええ」とうなずいていました。
そのうち道ばたに大きな穴のあいているところにさしかかり、誰かが「こんな穴なかったですよ」と言いました。グル麻原が、「プンナ、穴は来たときあった穴か」と聞くと、プンナ正悟師は「この穴はなんか見たような気がしますけどね」などと答えていました。そして、前を歩いていた私のところにプンナ正悟師が来て、小声で「この道は来たときと同じ道だ。あの穴は来たときにあったのを覚えている。来るときは尊師は馬に乗っておられたから、歩いてないからわからないのと違うかな」と言いました。
私はそれを聞いて、「そうや、きっとそうや、さすがプンナ正悟師、そのことを尊師に言ってくださいよ」と頼みました。しかし、プンナ正悟師は「いやいや、恐ろしくてそんなこと言えない」と言って先へ歩いて行ってしまいました。
その後もグル麻原は大声で「お前は道が違うことがわからないのか、このバカ者が」とか「グルにこんな道を歩かせていいと思っているのか」などと怒鳴られるので、私は思い切って、「この道を歩いたご記憶がないとおっしゃるのは、来たときは馬に乗っていらしたからではないですか」と大声で言ってみました。するとグル麻原は一瞬「うっ」と考える様子を見せ、その後「いいや違うよ」と言いましたが、その声は以前とはうって変わって弱々しいものになっていました。またこの一言の後は、あまり私を責めるようなことはなくなりました。
そして、ようやくバスが待っているふもとに近づいてきました。グル麻原の到着が遅いので様子を見にマイトレーヤ正大師(上祐史浩)がやってきて、グルのそばまで行き、話をしていましたが、そのうちにまた下へ歩き出し、私を追い越して行きざまに、「ブータン人がなんと言おうと、グルが違うといえば、この道は来た道と違うのだ」と聞こえよがしにつぶやいて行ってしまいました。私はそれを聞いて、「さすが男でただ一人の正大師、模範解答やな。しかし、怒られている私の身にもなってほしいな」と思いました。
翌日、グル麻原と会ったとき、もう機嫌は直っていましたが、「ティローパ、道はやっぱり二本あるんだよ」と言っていました。ブータン人の誰に聞いても道は一本と言っていましたが、オウムでは、道は二本あったということになっています。』(『私にとってオウムとは何だったのか』から要約)

普通に目が見える者は忘れがちですが、盲目の教祖は目の前の現実が見えず、まわりにいる弟子に確認する以外に「現実」を知るすべはありませんでした。このエピソードでも、教祖は弟子に確認しています。私はマンジュシュリー正悟師(当時)が教祖に嘘を言ったとは思いません。しばらくすると電線の位置も違うように見えているのですから、不思議なことですが、彼にとっては教祖の言うことが「現実」になってしまうのだと思います。そして、同じ道だとわかっていても曖昧にした弟子や、「これは同じ道だ」とはっきり言った弟子もいました。このとき私もこの場にいました。教祖に同行するときは写真を撮ることだけを考えていましたから、道について聞かれたときも「さあ、どうでしょう、わかりません」と答えたように思います。教祖は立ち止まって何人もの弟子に確認していたので、「そんなことにこだわっていないで、先を急げばいいのに…」と思ったことをよく覚えています。ブータンの山奥の道が一本でも二本でもどちらでもいいような話なのですが、こんなふうに盲目のグルと弟子たちによって「オウムの現実」がつくられていった様子は、事件を考えるうえで見逃せないことだと思います。

もうひとつ、上祐史浩氏の著書にもグルと弟子の関係を考えるうえで興味深いエピソードが書かれています。

『1990年の国土法違反事件(熊本県波野村の不正土地売買)のときのことだ。事件に関与した早川、青山に加え、一番弟子の石井まで逮捕されたとき、私は麻原と2人で麻原の自室にいたが、麻原がいきなり、
「こんなに弟子たちがやられて、熊本地検に重油を積んだトラックで突っ込んでやろうか」
と叫んだのだ。驚いた私は、思わず相手がグルであることを忘れ、叫んだ。
「それはダメですよ! そんなことをしたら教団が潰れてしまいます。逮捕されている者たちは、みんな辛抱しているんですよ!! 」
最終解脱者で、神の化身である麻原に対して怒鳴ったのである。
それを聞いた麻原は、不思議な反応を示した。数秒、呆然とした表情をしたあと、
「そうだ、そうだ。お前の言うとおりだ」
と嬉しそうに言ったのだ。
麻原に怒鳴ることもその後の麻原の言動も異例だった。その後、麻原と何を話したのか、まったく覚えていない。しかし麻原はほかの高弟にまで、この件で私に感謝したと嬉しそうに話していたのを記憶している。』(『オウム事件17年目の告白』)

ここで注目されるのは、上祐氏が思わず「それはダメですよ!」と叫んだ後の教祖の反応です。「それを聞いた麻原は、不思議な反応を示した。数秒、呆然とした表情をしたあと、そうだ、そうだ。お前の言うとおりだと嬉しそうに言った」というところです。これは弟子(上祐氏)に強く否定されたことによって、思わずわれに返ったということではないでしょうか。そして、怒鳴って止めてくれた上祐氏に感謝していると他の高弟に嬉しそうに伝えているのです。上祐氏も「グルが弟子に感謝するというのは異例のことだ」と書いています。
この場面からうかがい知ることができるのは、教祖はわれを失った特殊な意識状態に入っていて、弟子がグルの言葉を強く否定したことで、正気に戻れたことを感謝しているということです。これと似たことは早川氏のエピソードにもありました。早川氏が思い切って教祖に「馬に乗っていたからわからないのではないですか」と指摘したところです。
『するとグル麻原は一瞬「うっ」と考える様子を見せ、その後「いいや違うよ」と言いましたが、その声は以前とはうって変わって弱々しいものになっていました。』
上祐氏の場合は、思わず「ダメですよ!」と叫んだことによって、「トラックで突っ込んでやろうか」という教祖の怒りはおさまっていますが、ブータンの早川氏の場合は、教祖の勘違いを「馬に乗っていたから」と指摘しても、まわりにいる弟子が肯定したために現実認識は修正されませんでした。このようなエピソードはささいなことかもしれません。しかし、この数年後、どのような「オウムの現実」ができあがっていったのか、私たちはだれよりもよく知っているはずです。