10.クンダリニー覚醒

道場では、日常生活では聞くことのない「クンダリニー」という言葉をよく耳にした。
「修行の第一歩は、クンダリニーを覚醒させることです」
「イニシエーションを受けることによって、すみやかに安全にクンダリニーを覚醒させます」
「クンダリニーの覚醒なくして解脱はありません」
クンダリニーが目覚めることによって人は霊的に進化し、最終ゴールの「解脱」に到達するという。オウムで成就者として尊敬されるのも、クンダリニー・ヨーガを達成してからだ。
クンダリニーとともに「チャクラ」という言葉もひんぱんに使われていた。
人体の尾てい骨部分に眠っているクンダリニーが目覚め、背骨にそって上昇するにつれ、霊的なセンターである七つのチャクラが活性化して、超能力が現れてくるという。クンダリニーの覚醒は修行の本場インドではまれなことだといわれているが、オウムではシャクティーパットというイニシエーションによって、短期間で安全に覚醒できるというふれこみだった。
「クンダリニーを覚醒させるために、まず準備のためのヨーガコースの単位を満たして、その後できるだけ早くシャクティーパットを受けなさい」
入会案内をしたシャンティ大師は、そう勧めた。
ヨーガで健康になり、クンダリニーとやらが覚醒して解脱の境地が体験できるなら、悪い話ではないと思った。

クンダリニー、チャクラ、イニシエーション、シャクティーパットなど、オウムでは独特なカタカナ用語が氾濫していた。そして、社会生活を送りながら修行する在家信徒も、俗世を捨て出家しているサマナと呼ばれる専従スタッフも、ラクシュミーだのマイトレーヤだのカタカナの名前で呼ばれる成就者たちも、一丸となって「解脱」「救済」という崇高な目標をめざす勢いがあった。

シャクティーパット準備コースで、アーサナ、呼吸法、瞑想というヨーガの基本的な修行をしながら、私は学んだ行法を自宅でもするようになった。
その日も、組めるようになってきた蓮華座(結跏趺坐)という厳しい座法で、目を閉じて背筋をぴんと立ててすわっていた。
そのとき、「なにかが起きる」という感覚があった。
すると、耳の奥でゴーッという大きな音がしたと同時に、閉じたまぶたの下方から黄金色にうずまくねっとりとした光がものすごい勢いで立ち昇ってきた。
「あっ」というまもなく、まぶたの裏から頭蓋骨の奥まで、金色の光がはじけて広がった。まるで急上昇する巨大な黄金色の龍の輝くうろこをかいま見たようだった。
ぎょっとして目を見開いた。
「いったいなにが起こったの?」
私は自分の身体を見おろし、あたりの様子をうかがったが、どこにも、なにも変わったところはなかった。
道場に行って、シャンティ大師にこの出来事を話した。
「ふふふ…。クンダリニーの覚醒ですね」
ほほえみを浮かべて、当然のことだといわんばかりだった。どうやらオウムでは珍しいことではないようだった。



11.信じようが信じまいが

クンダリニーの覚醒は、霊的な道のりのほんの第一歩にすぎない。オウムでは、尾てい骨から背骨にかけて実際に火がついたような強烈な熱を感じたり、座法をしっかり組んでいながら身体がゴムまりのように勝手に飛び跳ねたり、耳の奥で単調な音楽のような不思議な音が鳴り響くようになったり、クンダリニー覚醒にともなう体験が、新人信徒にさえひんぱんに起こっていた。

ある日、私は座法を組んですわっていながら、すわって瞑想している自分自身を、天井あたりから見下ろしていた。
「あれ? ほんとに私? 髪型も服も私だ…」
また、やはり目を閉じてすわっていると、目の前に――いやそれは脳内にということなのだろうが――鬱蒼とした密林があらわれ、正面の豊かな枝ぶりの樹木の下に、同じように座法を組んで瞑想している褐色の男性行者の姿が見えた。彼の背後の木々の間には、鳥やシカやサルやトラといった、ジャングルに棲むさまざまな生き物がいて、穏やかな月夜に映しだされた湖面のように静かな瞳で私を見つめていた。
密林と行者と動物たちは、完全な調和のなかに織り込まれたあざやかなマンダラのようだった。

このような体験は、オウムに入る直前から起こりはじめた。オウムに出会う前はもちろん、出会ってからも、それどころか後に出家してからでさえ、私は一度もオウムを全面的に信じたことはない。信徒のなかには、オウムを知ったとき、「求めてきたものはこれだ。これこそが真理だ」と、強い確信を抱く人も多くいた。私は宗教を求めてもいなかったし、オウムの世界観や教えに感激することもなかった。
それどころか、いつもどことなく違和感のようなものを抱いていた。
かつて教祖は、教勢を拡大するにあたってこう言ったことがある。
「体験させなさい」
教祖のねらいは正しかった。オウムに接近しただけで体験した私は、強烈な力で引き寄せられ、信じようが信じまいが呑み込まれていったのだと思う。
ただ、私はそれを良しとはしなかった。
「ヨーガを行じれば、だれにでも内的な体験が起こるなら、特にオウムに入らなくてもいいのでは?」
そう考えて、オウムに入って間もないとき、私は四谷にあったインド人指導者のいるヨーガ道場を訪ねてみた。
指導者のヨーギーは、アーサナ、呼吸法、瞑想というオウムの修行コースとほとんど変わらない内容のレッスンをしたあと、参加者から質問をとった。
私は早速手を上げて質問をした。
「ヨーガをやって、クンダリニーは覚醒しますか?」
ヨーギーは、クンダリニーを覚醒させることがいかに危険かを何度も力説した。気が狂った修行者の例もあること、ここでのヨーガにはそんな危険はなく、クンダリニーが覚醒することは「絶対にない」と保証さえしてくれた。
クンダリニーの覚醒なくして霊性の進化はなく、霊性の進化なくしてその達成である解脱もないとして、いかにスピーディーかつ安全にクンダリニーを覚醒させ、霊的な世界を体験させるかを説いていたオウムとは正反対だった。
そのインド人指導者のいる道場に、私が再び行くことはなかった。


12.AUMと宇宙

道場では、見慣れない梵字「オウム字」(AUM)が目についた。
この梵字は教団のマークとして使われ、道場のドア、パンフレット、機関誌、音楽テープ、チラシには必ずどこかに濃い紫色でプリントされていた。
「AUM」というのは、アウム、アウン、オーン、オン、オウムなどと発音され、宇宙の創造・維持・破壊をあらわしている。インドへ行けばだれでも唱えているマントラ(真言)、宗教的な呪文だ。

創造神の名は、ブラフマン。
維持神の名は、ヴィシュヌ。
破壊神の名は、シヴァ。

創造・維持・破壊は、生まれること、生きること、そして死でもある。
いくつもの宇宙が果てしなくこのサイクルを繰り返している。
私たちもまた、生じては滅し、生じては滅しているはかなく無常な存在である――これがオウムの世界観の根幹にあり、無常なるがゆえに生じる苦しみを超えることが、オウムの修行の目的「解脱・悟り」だった。
こんな宗教的な意味は知らなくても、お寺の参道の左右両側にいる狛犬はだれでも知っているだろう。向かって右側が口を開けた「阿(あ)」、左側が口を閉じた「吽(ん)」。この身近な一対の狛犬もまた「AUM」をあらわしている。
集会や説法の始まりと終わりには、全員で必ずオウムマントラを三唱した。

入信案内のときにもらったパンフレットの表紙には、「“聖なる道”それは光を超える」と書かれていた。なかを開くと「真実はひとつ、宇宙創成のプロセス」という、入信案内にしてはとても長い文章が掲載されている。
結論を要約すると、「この宇宙は熱・音・光という三つのエネルギーで形成されており、ビッグ・バン以来、宇宙は拡張し冷え続けている。解脱とは、このプロセスを逆にたどるもので、拡張し冷え続ける宇宙を再び暖め、収縮させ、音の世界にもどし、光の世界にもどし、ついには、消滅させる。それがシヴァ神(破壊を司る最高神)の意思だ」というものだった。
ヨーガの「解脱」が、現代のビック・バン理論で説明できるという斬新な解説だったので、長くて難しい文章にもかかわらず、多くの信徒の心をとらえた。
これを読んだとき私は、「オウムってすごいのかも…」と思った。
古いヨーガの智慧が最新の宇宙論を装うとき、驚くほど魅力的になっていた。


13.ヒヒイロカネとプルシャ

入会すると、四、五センチ四方の紫色の木綿のきんちゃく袋を千円のお布施で手に入れる。そこに「ヒヒイロカネ」と呼ばれる小石を入れて、首から下げて胸の位置につけておくのが最初のイニシエーションだった。オウムで頻繁に使われるイニシエーションという言葉は、エンパワーメント(エネルギー移入)のことだ。
ヒヒイロカネは一見その辺にころがっている小石のようで、色は墨をぬったように黒く、手のひらにのせると見かけよりも重い。なめらかな石の表面にふれるとひんやりとしていた。ヒヒイロカネはエネルギーを込められる霊的な石で、酒井勝軍という神秘家が岩手県五葉山で発見したものを教祖が再発見したという。信徒が一、二週間胸につけて邪気を吸収したヒヒイロカネは、新しいものと自由に交換してもらえた。
「ヒヒイロカネを交換してもらえますか」
信徒が頼むと、修法済みのヒヒイロカネがゴロゴロ入ってる青いポリバケツを道場サマナが持ち出してくる。オウムはエネルギーには敏感だが、聖なる石をどんなものに入れておくかについては無頓着だった。
「どれにしますか?」
「デカイやつがいいな」
バケツをのぞきこむようにして信徒が選んだのは、きんちゃく袋にやっと入る大きなものだった。こんな石を首から下げれば、胸の部分がぽっこり盛り上がって不自然だが、エネルギーに敏感なタイプの信徒は、見かけにまったく頓着しなかった。

この頃、土日を利用して修行する「超能力セミナー」があった。夜十一時から朝五時までの六時間ぶっ通しの徹夜修行だと聞くとだれもが躊躇するのだが、
「超能力セミナーに出ると、甘露水で炊いたお弁当と、プルシャがもらえるんですよ」
そうすすめられると信徒は喜んで参加した。
甘露水もプルシャもエネルギーが込められているので魅力的だったのだ。
超能力セミナーは、第一回から十四回まで毎回メニューが変わり、秘儀瞑想やマントラ、プルシャが伝授された。
“プルシャ”というのは、オウムで手作りしたセラミック製のバッジだ。ちなみに坂本弁護士事件の現場に落ちていたのは、この超能力セミナーでもらえるプルシャだった。事件現場にオウムのバッジだなんて、あまりにも見え透いていたので、当時はオウムを陥れるための工作だろうと思っていた。真相は、犯人の一人中川さん(中川智正死刑囚)が、犯行時に落としたものだった。彼は信徒時代に超能力セミナーに出て、プルシャをもらったのだろう。バッジの留め金部分は粗雑な作りで外れやすく、とても犯行現場につけていくようなものではない。しかし、彼は出家してからも肌身離さずつけていて、そのまま弁護士宅にも行った。プルシャは大切なイニシエーションだったからだ。


14.最高のイニシエーション

オウムにはさまざまなイニシエーションがあった。
なかでも信徒に直接触れてエネルギーを移入するシャクティーパットは、当時最高のイニシエーションといわれていた。エネルギーといっても、目で見ることも鼻で嗅ぎ分けることもできないが、それを感じさせる貴重な映像がある。教祖が日本テレビの番組に出演し、シャクティーパットを公開したものだ。

教祖は数人の弟子とスタジオに登場する。番組司会者の片岡鶴太郎がいろいろな質問をして、最後にシャクティーパット・イニシエーションの実演になる。
一人の女性がスタジオの床にあお向けになる。教祖は意識を集中し、彼女の眉間にあてた親指に力を入れ、ぐるぐると指の腹を回転させはじめる。すぐに女性の身体に変化が起こる。身体が小刻みにブルブルふるえてきたかと思うと、身体全体が激しく振動しはじめる。振動はさらに大きくなり、バタバタッ、バタバタッと、横になった人間が自力でたてることは不可能な奇妙な音をたてる。
司会の鶴太郎やゲスト出演者や観客が、息を呑んで目を見張っている。映像を見ていた私もびっくりして、一瞬テレビカメラが大きくぶれたように思った。スタジオのだれも予期しないことが起こっていた。見てはいけないものを見たような、驚愕と畏怖につつまれたスタジオの異様な雰囲気が映像を通じて伝わってきた。

これは神秘家たちが語る、人体にねむるクンダリニーというエネルギーの存在をうかがわせるものだ。クンダリニーという言葉は、ヨーガの教典や神秘家の著作で目にするだけで、一般ではほとんど耳にすることはない。テレビで公開されたデモンストレーションで、被験者の身体が激しく振動する様子から、女性の内側で制御できない強烈な力がはたらいていることが見てとれる。
しかし、クンダリニーなどという話をしても、ほとんどの人は耳を傾けないだろう。テレビでの実演を見なければ、クンダリニーに興味をもたない。映像を見て驚いたとしても、数分間のテレビの映像はスイッチを切ればすぐに忘れてしまう。自分が現実に直面していなければ、存在しないのと同じかもしれない。

だから教祖は言ったのだろう。
「体験させなさい」と。

※1987年5月3日放送「鶴太郎のテレもんじゃ」


15.カルマの法則

オウムの教えの大きな柱に「カルマの法則」があった。
カルマの法則とは、「なしたことが返ってくる」という因果の法則だ。良いことをなせば良いことが返ってくる。悪いことをなせば悪いことが返ってくる――実にシンプルだ。
入会はしていてもオウムを信じていなかった私は、
「偶然がこの世を支配しているところもあるよねえ…」
とカルマの法則も疑っていた。
あるとき、信徒数人で話しながら歩いていた。
「カルマなんだよなあ」
「カルマって怖いね」
「それはカルマでしょう」
なんでもかんでもカルマで済ませる単純さに、私はいらだっていた。
「カルマ、カルマって、それしか考えられないの? カルマなんてないかもしれないよ!」
腹立ちをおさえられず、そう言い放って振り返った瞬間だった。
ガツッと、なにかが口に強く当たった。
「痛い…」
思わず口を押さえて、うずくまりそうになった。
ありえないことに、通り過ぎた自転車のなにかが当たったようだ。
「カルマの法則」を否定した瞬間に口を打たれるという、神がかり的なタイミングだった。
「言ってはならないことを言ってしまった…」
不信心者の私でさえ、真理を冒涜した罰ではないかと畏れた。
「ほらあ、真理を否定するようなことを言うからだよ。でもさすが修行者だね。悪業を積んですぐにカルマが返ってくるのは、修行が進んでいるんだね」
そんな決まり文句を言われた。
いつもなら「同じことばかり言う」と反発するところだが、沈黙するしかなかった。
そんなことがあって、私はオウムで説かれている真理を否定しないで、慎重に吟味することにした。

「カルマの法則なんてないかもよ!」と言い放った瞬間、口をぶつけたことを、単なる偶然と考えるか、それともカルマの法則は真理だと考えるのか。
私は今こう考えている――カルマという因果の法則を絶対と信じる集団では、カルマの法則ははっきりとあらわれる。
法則を知らず、信じることもない一般社会では、それはあらわれにくい。あらわれるとしても、自分の行為の結果だと肌で感じられるほど早くはあらわれないのだろうと。


16.修行者と煩悩

ヨーガ・仏教的な世界観を学んで、修行者として生活することは、煩悩(欲望)うずまく現実社会にあってはなかなか難しいことだった。煩悩を厭い、離れようとすればするほど、食べ物や会話や人づき合いなど、現実生活はとても生きにくくなっていった。
一日二食、目指すは一日一食。菜食。酒を飲まない。テレビは観ない。雑誌は読まない。布団では寝ない(硬い床で寝る)。睡眠時間はできるだけ減らす(理想は三時間程度の睡眠)。
そして、仏教の十戒を守る――
生き物を殺さない。
盗まない。
愛のないセックスをしない(出家者は性エネルギーを漏らさない)。
面白いだけで意味のないことを言わない。
嘘をつかない。
悪口を言わない。
仲たがいをさせることを言わない。
必要以上に欲しがらない。
嫌悪しない。
真理を否定しない。

信徒はこのような生活規律を守りながら、質素倹約を心がけ、よく布施をした。
布施をしてお金や物への執着から離れるほど、心は軽くなり喜びは大きくなるという。普通の感覚では「お金をとられている」と見えても、信徒にとっては「喜捨」だった。
金銭の布施ができない人はバクティ(奉仕)をした。
「なにかバクティはありませんか?」
「チラシ折りのバクティがありますよ」
「徳を積みたいのでバクティがしたいです」
「ヒヒイロカネ袋を縫ってもらえますか」
道場では、いつもこんな会話が交わされていた。
金銭の布施もバクティも、自分の利益から離れることは同じだった。信徒は、なしたことが返ってくるという「カルマの法則」を信じていたので、金銭を布施すれば、必要なときに金銭的な豊かさが返ってくるし、バクティをすれば、自分が困ったときに助けがあらわれる。自己の利益を求めれば得られず、自己の利益を手離せば得られるという、現実社会とは百八十度違う価値観で生きていた。
信徒はそれを「真理の実践」だといって全力で行なった――極厳ビラ配り、極厳蓮華座、極限の布施、極限教学、極限のクンバカ(息を止める)、極厳修行など、なにをするにも「極厳」や「極限」が好きだった。
そうやって限界まで自分を追い込み、エゴがつぶされてはじめてあらわれる「真理」を悟ろうとしていた。


17.グルの登場

教祖は「尊師」と呼ばれていた。
当時三百人を超えていた出家者を、解脱へと導くグル(霊的指導者)だった。
入会はしたが、私は弟子になるつもりはなかった。信徒数三千人を超え、全国に十五支部道場、ニューヨークにも支部ができたばかり、今まさに急成長をとげようとする宗教団体では、入会したての信徒にとって教祖は遠い存在だ。姿を見るのは月に一、二回支部道場での説法会、例外は、三万円のお布施をして受けるシークレット・ヨーガという十分程度の個人面談だった。
解脱に興味をもった私だったが、そのために「グルに帰依をしなさい」「帰依がすべてだ」と、解脱を経験した成就者から再三言われても、なぜ帰依するのかさっぱりわからなかった。帰依とは自分を捨ててグルに従うことだ。まだよく知りもしない人物に、自分をあけわたすなんてできるはずもない。だから、私にとっては、グルというより教祖だった。

教祖をはじめて見たのは、世田谷道場での説法会だった。
全国各支部道場で行われる「尊師説法会」は、支部のメイン・イベントだった。支部では、説法会に多くの参加者を募ることが救済だと考えていたので、日程が決まると、活動的な信徒はもちろん、あまり道場へ来ない信徒に対しては特に熱心に電話をかけて参加を呼びかけた。
「日曜日、尊師説法会ですよ」
「尊師がいらっしゃいますから、道場に来るだけでエネルギーが上がりますよ」
「最近真理から遠ざかっていませんか。説法会に来て意識を変えましょう」
その結果、大勢がつめかけた道場は、普段蓮華座を組むよう指導される信徒も正座ですわらされ、ぎゅうぎゅうのすし詰め状態になった。
説法開始時刻に近づくと、道場正面の祭壇の前には、白いカバーがかけられた一人用のゆったりとしたソファが置かれた。ある時期から、教祖は必ず「尊師の椅子」に座法を組んですわって説法をした。全国各地の説法会、海外でのイベントにも尊師の椅子は持ち運ばれ、成就者だけが触ることを許されていた。

「最終解脱者」「解脱へ導くグル」とはいったいどんな人物だろう。
私は好奇心いっぱいで教祖の登場を待っていた。修行歴のある信徒は、ぶつぶつとマントラを唱える修行をしながら意識を集中してグルの登場を待っている。
一見するとわからないが教祖は盲目らしかった。
光沢のある白いクルタを着て、やはり同じクルタを着たおかっぱ頭のキリッとした顔つきの少女の肩に軽く手をおいて、ゆっくりと道場の後ろから現われた。
今か今かと来場を待っていた信徒は、入ってきた教祖を見ようと一斉にふりかえる。
「尊師だ」「尊師がいらした」
声には出さないが、みんなの顔がぱっと明るくなる。
「写真と同じ風貌だ。なんだか、大きい人だな…」
身体が大きいのではなく、大きく見える人、というのが教祖の第一印象だった。
正面に準備された椅子に教祖がすわると、先導の役目を終えた少女はさっと姿を消した。
マイクを手渡された教祖は、すぐに深く息を吸って合掌し、オウムマントラを唱える。
オーーーン
教祖の深く響く声のあとに続いて信徒が同じように唱える。
オウムマントラの三唱に続いて「大乗の発願」「苦の詞章」を十三回唱える。

「ホー、湖面に映る虚像のようなさまざまな幻影に引きずられ、輪廻の大海を浮沈する生き物たち、彼らすべてが絶対自由・絶対幸福なるマハーヤーナにて安住することができるよう四無量心込めて大乗の発願をいたします。」(大乗の発願)

「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。」(苦の詞章)

「大乗の発願」と「苦の詞章」は、短くても重要なものだった。信徒は最低でも三万回、まじめに修行する信徒は三十万回、真剣に解脱を求める修行者なら百万回を目指して唱えていた。
そして、説法会の終わり、修行の終わりには「回向」を必ず三回唱えた。
毎回、同じパターンで始まる教祖の説法は、信徒向けなら三十分ほど、説法後の質疑応答を入れても一時間ほどだった。


18.説法

教祖を見たとき、特別な思いはわいてこなかった。説法を聴いてもそれは変わらなかった。
教祖は淡々と法則(ダルマ)について語り、その後の質疑応答も意外なほど理性的で論理的だった。それが印象的だったと言えば言えるかもしれない。崇拝するグルを囲んで熱気に包まれているのを想像していたが、信徒はよどみなく流れる説法を理解しようと注意深く耳を傾けていた。

その頃聴いた説法で、「そうだったのか」と思ったことがある。
それは、「なぜ嘘をついてはいけないか」についてだ。
「生き物を殺さない」「盗まない」「嘘をつかない」など、仏教の十戒を守る理由は、他に苦しみを与えれば、カルマの法則によって、その苦しみは自分に返ってくる。
小さな生き物でも殺せば、そこで与えた苦しみは自分に返ってきて、傷つき苦しむ。
人の物を盗めばそのカルマが返り、奪われ貧しくなる。
嘘をつけばだまされる。
他の生命に不利益を与えれば、カルマの法則によって不利益が返るからなしてはならない。他に利益を与えれば、利益が返ってくるから善行をなせということだった。
オウムでは、このような戒律の意味をもう一歩踏み込んで解説していた。
なぜ嘘をついてはいけないか――嘘をつくとき、自分をきれいに見せようとする心の働きがある。これは周囲に心の「壁」を作ることでもある。この壁は自分をきれいに見せるが、同時に、壁によって物事が正確に見えなくなる。悟りという「ありのままにものを見る」境地を目指す修行者にとって、曖昧にものを見ることは、修行の不利益になるという。
嘘をつくと自分自身が曖昧になり、ありのままに見る力を失う。このような「心」という視点からの説明は、家でも学校でも聞いたことがなかった。知識はたくさん教えられたけれど、どう生きるべきかということを、教わったことはなかったような気がする。

なぜ嘘をついてはいけないか、なぜ酒を飲んではいけないか、なぜ生き物を殺してはいけないか。倫理や道徳ではなく、法則に照らして考えさせられて、「なるほど、そういうことか」「こういうことが知りたかったんだよ」「これはみんなに教えてあげたい」と思うことは多かった。
信徒だった者で、オウムの犯罪を憎む人は多いが、法則を教えてもらったことを感謝している人も多いかもしれない。
後に脱会したとき、私は訪ねてきた公安調査庁の人に言った。
「教祖と弟子たちの犯罪が裁かれるのは、当然のことだと思っています。それとは別に、教祖が法則を説いてくれたことは感謝しています。私にとって法則を知ったのはとても貴重なことでした」


19.教祖という人物

教祖・麻原彰晃は、どのような人物だったのだろうか。
在家信徒だった頃の私には、「わからない」というのが正直なところだ。
本を読んでも、説法会で見ても、シークレット・ヨーガで個人的に質問をしてもよくわからなかった。「尊師はすごい」「グルに出会うことは奇跡なんだよ」と言って、一直線に教祖に向かっていく熱狂的・狂信的な信徒は目立つものだが、私のように疑問を抱きながらそこにいた者も、実は多かったのではないだろうか。

二〇一二年のある日、オウム真理教事件をとりあげたNHK特集を観た。
教祖の説法がそのまんまテレビから流れてきたのにはびっくりした。
オウムにいた私が観ても、これまでになく実際のオウムをよく再現している番組だったが、現実のオウムとは決定的な違いがあった。
教祖像がまったく違うのだ。
あまりにも単純に、詐欺的で、邪悪で、卑小な人物として教祖を描くから、オウム事件全体がわからなくなるのだと思う。教祖には普通でない存在感、人を惹きつける磁力のようなものがあったから多くの人がすべてを捨ててもついていったのだ。教祖を崇拝しなかった私にもそれは感じられた。マスコミは教祖やオウムをおどろおどろしく暗く狂気的に描くことが多いので、そんな印象をもたれているが、現実の教祖はとても明るかったし、教団内部も底抜けと言ってもいい明るさだった。説法を聞いただけではわからないかもしれない。言葉を交わすと感じ取れるもので、近くで弟子の名を呼ぶのを聞いたなら少しわかるかもしれない。

「どうだ、ミラレパ」
「アーナンダ、アーナンダはいるか?」
「ケイマ、きみはどう思うか」

教祖の深い声と屈託のない笑顔は、接した人を魅了した。
教祖と同じ場にいて感じるなにかが、「この人こそ本物だ」と、多くの弟子に信じさせた。
事件から数年たった頃、私は古くから帰依信徒だった老夫婦を訪ねたことがある。彼らが頼りにしていた一人息子は、オウム事件で犯罪者になり服役していた。残された夫婦は、自宅を何度も何度も強制捜査され、狭い田舎町で隠れるように暮らしていた。
老夫婦は、事件後どれほど大変だったかを語った。まだ教団にいた私には想像もつかない苦労だった。
話の最後に奥さんがぽつりぽつりと語った。
「本当にひどいめにあいました。事件後は大変なことばっかりでしたよ。でもね、麻原さんのあの笑顔、にこにこっとしたときの、あの笑顔を思い出すと、今でも麻原さんを憎むことができないんです。あの笑顔、本当に忘れられないんですよ…」
老婦人は、今の境遇に似合わないやわらかなほほ笑みを浮かべ、かつての幸福をなつかしむように言った。

魅力がなければ人はついて行かない。
ましてや彼のためにすべてを捨てること、犯罪に手を染めることなどありはしない。
教祖は、接してみてはじめてわかる明るさと軽やかさ、激しさと強さのある人物だった。宗教者としては、まったく妥協がなかった。弟子たちはそれに魅せられていた。洗脳や脅しや恐怖だけで、あれほど多くの人をあんなところまで連れていくことはできない。
躊躇なく「ポアだ」と指示する人物が、慈愛の笑顔で弟子を魅了する。呑み込むような深い闇と、突き抜けるような明るい光。教祖は、両立するはずのない両面をそなえていたと思う。