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1.二〇一二年

地下鉄サリン事件から十七年の歳月が過ぎていた。長引いたオウム裁判も終わり、いよいよ教祖の死刑執行かとささやかれる頃、もう死んでいるだろうと噂されていた逃走犯の出頭・逮捕が続いた。
テレビに映るなつかしい顔を見ながら、私は愕然としていた。
「生きていたんだ…まるで亡霊を見ているみたい」
信じられない思いで、同じ年月「オウムとはなんだったのか」を考え続けた自分と、彼らの長い逃亡生活をくらべていた。
私たちは同じかもしれない。オウムと出会いそこに生きた。そして、オウムをやめようがやめまいが、信仰を続けようが捨てようが、オウムのなにかを生きているような気がする。
いや、オウムはまだ生きている、ということかもしれない。

私たちは真摯に仏道を歩んでいる者、「解脱(げだつ)・悟り」を追求する修行者のはずだった。ところが、地下鉄サリン事件が起こり、気がついたときには最も忌まわしい犯罪者、狂信者になっていた。
いったいぜんたいこれはどういうことなのだろうか? 
宗教者、識者、あるいは学者でもいい、だれかに教えてほしかった。オウムとはなんだったのか。私たちはどこでどう道を誤ってこんなところへきてしまったのか。オウムと事件について目につくかぎりの本を読んでみたけれど、私が体験したオウムはそこになく、なぜ事件が起きたのか納得のいく答えは見つからなかった。
オウムの後継団体アーレフにいながら、私は一人で「オウムとはなんだったのか」という答えを求め、考え続けた。
それは「宗教とはなにか」「霊性とはなにか」そして「悪とはなにか」という問いでもあった。


2.神秘体験とテロ

二〇〇九年二月二十七日付の過去の記事が目にとまった。
*******
松本サリン事件の被害者河野義行さん(五九)が、オウム真理教元幹部井上嘉浩被告(三九)=二審で死刑判決受け上告中=に二七日午前、東京・小菅の東京拘置所で面会した。
河野さんがオウム事件の被告に面会するのは初めて。井上被告は「とても反省している」と謝罪し、「一日一日が学びの日々」と話したという。
河野さんによると、面会は約二五分。井上被告は白っぽいトレーナー姿で、接見室で顔を合わせ、お互い深くおじぎをした。
河野さんが教団に入った理由を尋ねると、井上被告は「神秘体験がしたかった。ヨガをやっていてのめり込んだ。真理を求めるためだったのに、事件にかかわってしまった」と反省の言葉を述べた。
今後どうしたいかとの問いには「不自由だが、学びがある。一日一日を大事にしたい」と答えたという。
*******

「神秘体験がしたかった」と語った井上被告(死刑確定)は、オウムでも群を抜く神秘力の持ち主だった。
神秘体験とは、クンダリニーとよばれる、人間に眠っている霊的エネルギーの覚醒とともに起こるさまざまな体験のことだ。「霊能力」「超能力」「神秘力」「神通力」どういってもいい。オウムにいた人に、「神秘的な能力、霊的な能力が高かった修行者はだれか」と質問すれば、多くがアーナンダ師の名をあげるだろう。「アーナンダ」は井上被告の宗教名(ホーリーネーム)で、ブッダの十大弟子の一人阿難陀に由来している。
神秘体験にひかれていた井上被告には際立った霊性があり、修行をすることでさまざまな神秘体験をした。「ヨガ」にのめり込み、「真理」を求めていたつもりが、「事件」にかかわってしまったと彼は言う。「神秘体験」「ヨガ」「真理」、そして地下鉄に猛毒サリンをまき、無差別に人を殺す「テロ」。
これらをつなぐものは、短い新聞記事からはなにも見えてこない。


3.オウムランド

「出家すれば三年で解脱(げだつ)させる」
教祖は信徒にこう約束していた。
「それなら、解脱を経験してやめればいい」
私はそう思った。
解脱とは「絶対自由、絶対幸福、絶対歓喜」の魂の状態「ニルヴァーナ」(涅槃)と定義されていた。私は「絶対が、三つもつくのはなんだかなあ…」と思った。
当時、体験談を読んで漠然と抱いていた解脱のイメージは、光り輝くような自分になること。修行の動機も「そんな体験ができるならやってみるか」と軽いものだった。
半年後、出家の決断を聞いて、「やめとけ」と止める友人に私は言った。
「ちょっと、試しにいってくるわ…」
三年の期間限定出家のつもりだったのに、脱会したとき、指折り数えてみると十七年もの年月が経っていて、浦島太郎になった気がした。

地下鉄サリン事件以前のオウムを思い出すと、本当にさまざまな出来事があった。
オウムをディズニーランドにたとえた宗教学者がいたけれど、たしかに千人乗りのジェットコースターのある「オウムランド」だったかもしれない。一歩入ると、そこは底抜けに明るく、素直で、無邪気で、世間の常識から見ればバカバカしいことを真剣にやっている人たちがいた。世俗の喜びを捨てて、解脱のために修行する。オウムは変わった人たちの、でも、決して憎めない人たちの世界だった。
オウムランドの巨大なジェットコースターに乗ると、次から次へと想像を超える風景が過ぎていった。そして、不思議といつも同じ雰囲気に包まれていた。
一つは、みんなとの一体感。血のつながった家族よりも緊密で、相手をよく知らなくても瞬時にきずなを感じ合えた。
もう一つは、なにかことをなすときの天かけるようなスピード感。私たちは「人間の三倍速で動いている」と冗談を言ったものだ。
そして、一番の特徴はオウム全体を包んでいた高揚感だ。その中心には蜜のように至福と陶酔があった。
悪夢のような地下鉄サリン事件を境に、仲間との一体感は確執と分裂へ、スピード感は失速から停滞へ、高揚感は陰鬱さと閉塞へと、徐々にしかし確実にその対極へと転換していった。


4.非国民

富士の裾野で修行と救済活動をしていた私たちは、事件後すぐに日本社会のまっただなかへ引きずり出され、忌み嫌われ、憎まれ、ことごとく排斥された。
「殺人集団!」「オウム出て行け!」「親元へ帰れ!」
施設兼住居のまわりは、乱暴な手書き文字の看板が林立していた。
出家修行者の住民票の受け入れは拒否され、教祖の子どもは義務教育なのに入学を拒否された。
現代の日本で、私たちは完全な「非国民」になった。
オウムに対しては超法規が許された。出家者は文房具のカッターナイフを持っているだけで逮捕され、それを理由に全国の施設と関係者の住居は、大げさでもなんでもなく何百回もの強制捜査がくりかえされた。
朝早く、ピンポーンというチャイムの音が鳴る。ドアを開けるとそこに警察官の一団がいた。
大声で読み上げられる捜査令状の被疑者の名前に聞き覚えはなく、「だれ? それ」といぶかしく思う。容疑はたいてい「銃刀法違反」や「電磁的公正証書原本不実記載」で、カッターナイフを持っていたとか、住民票の住所に住んでいないことだった。
詳しい説明もなく、なだれ込んできた警察官たちは、部屋中に散らばりくまなく捜索していく。私物の日記や下着までひっくり返されていった。

そして、敬愛していた教祖は、日本犯罪史上最悪の犯罪者になり下がった。
日本全体を敵にまわしたようなこの異常事態に、オウムはよく耐えたと思う。
「グルへの帰依があったから耐えられた」
信仰を失わなかった信徒はそう言うかもしれない。
「修行者にとって苦難こそ修行の糧。それに、これはなにか大きな間違いだろう…」
私は自分にそう言い聞かせていた。
事件から一年、二年と経ち、教団関係者の裁判が進むにつれて、オウムが地下鉄サリン事件を起こしたことは、動かしがたい事実となっていた。「成就者」という教団の準幹部だった私は、後輩や信徒や修行の場を守らなければという重い責任を感じていた。どこにも行き場がないという思いもあった。
「世俗を捨てた自分の生きる場所なんて…ここしかないじゃない…」
しかし、解脱を求める出家修行者と、殺人テロ集団の一員との間には、天と地ほどの隔たりがある。いつしかそれは、私の心に暗い影を落としていったのだろう。

オウムの施設では、いつでもどこでも教祖の説法かマントラが流れていた。
ある日のことだった。私の部屋で説法を流していたカセットデッキが、突然プツリと止まってしまった。これまで感じたことのない静寂が私を包んだ。
そのとき、はじめて私のなかでなにかが立ち止まった。
施設では相変わらず説法は流れていた。それを聴くことも教祖の映像を見ることも抵抗はないのに、どういうわけかそれ以来、説法を聴くために自分の手を動かすことはもうできなかった。
「事件って、なんなの?」
「人を殺してまで、いったいなにがしたかったの?」
重く暗い問いが姿をあらわし、背後からしっかりと私をつかまえた。


5.出会い

一九八九年三月のある日、私の部屋にダンボール箱いっぱいの本が届いた。
送り主は三歳年上の兄で、荷物が届く前に一度電話があった。
「読んでみてくれ、とにかく読んでくれ。すごいんだよ。今後いっさい、おまえに頼みごとはしないからさ、だからオウムの書籍を読んでくれよ」
という押しつけに近い頼みだった。
箱に入っていたどの本の表紙にも、長く伸ばした髪とヒゲの男が載っていた。
「んー、これは、顔がダメかも…」
表紙の写真をながめればながめるほど、読む気はわいてこなかったが、一生に一度の頼みとまで言われれば、義理でぱらぱらと読んで送り返すしかなかった。
兄は、麻原彰晃という人物の著書『生死を超える』『イニシエーション』『マハーヤーナ・スートラ』の三冊を特に熱心に勧めた。
「おれは、ずっとさがしてきたんだよ。インドまで行ったよ。でも、インドに行かなくても日本でもできることがわかった。すごいよ、そこに書いてあることは」
興奮気味にそう話し、最後にこんなことを言った。
「これは本当にすごいからね。おれはオウムの本全部を友だちみんなに送ることにしたよ」
困ったものだ、というのがそのときの偽らざる感想だった。
高校生から下宿生活をしていた兄とはつきあいがなく、お互いにどんなものに関心があるのかも知らなかった。兄がいわゆる精神世界に興味があり、二十世紀最大の聖者といわれたラマナ・マハルシが瞑想修行をしたという、南インドのアルナーチャラという聖山をかつて訪ねたことも、そのとき私は知らなかった。

勧められた三冊を読んでみても、兄がそれほどまでに興奮する理由はわからなかった。キルケゴールやシモーヌ・ヴェイユを多少かじった私にとって、真実とは、難解で高尚で苦悩に満ちているはずだったから、麻原彰晃の平易な話し言葉で書かれている「真理」や宗教世界には、興味も関心ももてなかった。
「所詮、新興宗教でしょ」
そう思った。
箱には、たくさんの定期刊行物も入っていた。そのなかに『マハーヤーナ』という機関誌の創刊号から最新号までがそろっていて、表紙には麻原彰晃の弟子たちの写真も使われていた。写真の彼らはみな若く、質素な身なりで、表情には媚びるようなところがまったくなく、どこか特別な静けさのようなものがあった。
教祖の風貌に拒否感を抱いたこととは反対に、私は弟子たちに好印象をもった。


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